黒の誓い
8
ポセイドン研究所。
海底にありその存在すらごく一部にしか知られていない。しかしそこの主で研究者のジェームズ・リリアンは世界的に有名な学者であった。彼は世間的には失踪したことになっており、彼自身、その私生活も過去も謎に包まれていた。海底の扉はここ十年、客を寄せ付けず静かに沈んでいた。
しかし今、その扉の前に鎮座する巨大な船の中から、扉は開かれようとしていた。
「ここがポセイドン研究所か」
海底の砂にまぎれた扉の前でヴァルディスは呟いた。船の中から見るだけでは何の魔術もかかっていないように見える。
「何の魔術もなしか?」
「ジェームズ・リリアン博士は大の魔術嫌いなんだよ、変人だろ」
魔術が世界を支えるクロノスにおいて、魔術嫌いなど変人以外の何者でもなかった。レオニクスも呆れたように呟く。
「彼なら俺のキメラを解明できるかと思って連絡したことあるけど門前払い食らったしな」
「ではなぜここがいいと言ったのだ?」
魔術嫌いなものに、魔術の強化を頼むなど愚の骨頂である。ここを推したレオニクスにヴァルディスは怪訝そうに尋ねた。
レオニクスは「んー」と首をひねった。
「変人だけど、頭脳は最高だから。それに、ここなら試作品も出来るくらいの設備はあるはずだし」
『リリアン博士は魔術嫌いだが魔術の研究においては第一人者でもある』
「分かりませんね。嫌いなのにどうして研究を?」
『どうやったら魔術を根底から破壊できるか知りたくて研究しているらしい』
「…変な奴だな」
「変人だろ?」
レオニクスはくすっと笑った。硝子越しに見える研究所のドアをゴールデンシャーク号自慢の光速レーザー砲で撃ち抜いているところだ。
こうでもしなければまず入ることすら出来ないだろうというのがアルタイルの考えだった。
「どうせこれはダミーだ」と肩を竦めながらあっさりと彼はレーザー砲を撃った。
「あ、壊れた」
「何だ?あれは」
「水を防ぐ膜ですね。しかし魔術ではありません」
銀色の波打つ膜にゴールデンシャーク号は舳先だけ侵入させた。流石に船が大きすぎてそれ以上入らないのだ。
「俺たちはここまで。あのオッサンと会いたくねーし」
スピーカーから聞こえてきた声に呆れたように笑い、レオニクスはヴァルディスの腕を引っ張った。
「じゃ、出よう」
「ああ」
ヴァルディスたちがいる部屋から舳先の甲板へはすぐに出れる。
数メートルの廊下を抜け、甲板に出たレオニクスは目の前の空間に息を呑んだ。
海の中に出来た空間。その真ん中にぽつんと立つ大きな建物。普通に息が出来る不思議な空間だった。
「レオ、掴まれ」
「え?ああ」
ヴァルディスはレオニクスを抱きかかえると舳先から飛び降りた。数十メートルの高さだったがストンッと何とも軽やかな着地だった。
膝を曲げて衝撃を逃がし、翻ったコートがはためき黒髪が空中を舞い終える頃ヴァルディスは何もなかったかのようにレオニクスをおろした。とんでもない身体能力である。
ディシスは自分で降りてきた。ハレスも飛び降りてくる。
ポセイドン研究所の扉は固く閉ざされていた。
レオニクスのノックに返ってきた返事は「帰れ」のみ。いささか苛立ったレオニクスだったが今回の目的を説明することにした。
「今クロノス中のボルケナが弱って魔力が減ってるでしょう。それを解決するための魔術装置作りに協力してもらいたい」
「断る」
「…」
「ならば、協力させるまで」
ヴァルディスがさらっと言い放ち、扉の前に立った。
「この俺がわざわざ会いに来たのだ。門前払いなど言語道断」
「ああ、王様スイッチ入った…」
レオニクスの呟きを無視し、ヴァルディスは構えた。
『まさか竜…』
ガァンッ!!
強烈な回し蹴り。凄まじい威力で振りぬかれた足と超合金の扉が衝突し、扉はへこんでしまった。
しかし開かなかったことにヴァルディスは眉を跳ね上げた。スピーカーからは怒り混じりの怒鳴り声が響いてくる。
「壊すな!超合金をへこませるような怪物とは会わん!」
「分かった、五分後に会おう」
「話を聞けぇえええ!!」
ヴァルディスはレオニクスを見た。いきなり矛先を向けられたレオニクスは戸惑ったように首を傾げる。
「何?」
「お前の炎で溶かせ」
「――俺が!?ヴィーだって出来るだろ」
「どうせお前がいるのに何故俺がせねばならぬ」
「…ですよねー」
レオニクスは諦めたように呟くとヴァルディスと場所を交代した。ドゥラを引き抜きヴァルディスに預けると、人型を解く。
ボゥッ!と炎が燃え上がり、人影が虎の姿になっていくのが見えた。顔髭や足、尻尾などに炎を纏わりつかせた赤に近いオレンジの虎がヴァルディスを情けなく見た。海色の目や雰囲気はレオニクスそのものである。
ヴァルディスは炎に触れた。熱くはない。どうやらレオニクスは炎の熱さも調節できるらしく、ヴァルディスが触れている今は熱くないようにしているらしかった。
普段は顔髭や足に炎は纏っていない。今回は最初から臨戦態勢で出たらしい。
「やってこい」
『分かったよ』
レオニクスからヴァルディスが離れる。ハレスもディシスを遠ざけた。
ゴォォォとレオニクスから火柱が上がる。離れていても空気が熱くなり息苦しくなった。
レオニクスが吼えるのを合図にするように火柱は集束し、真っ直ぐ超合金の扉に向かった。レオニクスは前足を開き、頭を低くして炎を向け続ける。
あまりの熱さに膜の周りからぼこぼこと空気が海面へと大量にあがっていった。ディシスは素早く防御膜を張り、熱さから守る。
超合金の扉は真っ赤になり、やがて溶け落ちた。
ぐにゃり、と溶けていく扉に十分な広さの孔が開いたところでレオニクスは炎を止め、ハレスが氷で急速に金属を冷やす。
瞬時に物を凍りつかせるほどの氷に真っ赤だった扉は瞬く間に冷え、霜までついてしまった。
レオニクスは虎のまま炎をしまい、お座り状態で前足で顔を撫でていた。ふわもこ症候群のレオニクスにとって自分の身体でさえ至福のときになるのだ。
「ギャアアアア!わしの傑作のひとつがぁあああ!!お前達!許さんぞ!」
「別に許していただかなくとも構いませんが」
『ディシス、博士はどこにいる?』
『地下の研究室だ』
レオニクスは頷き、ぱっと人型に戻った。ちなみに服についてはヴァルディスたちが使っている魔術をかけてもらったので心配ない。
レオニクスたちは破壊した扉から悠々と内部に入った。陰気な雰囲気が漂う研究所にげんなりしながら一本道を進む。
これは立派な不法侵入だったが気にするものはいなかった。このパーティ、モットーは終わりよければ全てよしなのである。
短い一本道を抜けるとそこは階段かエレベーターか選べるホールだった。エレベーターの前に、人影が見える。
ヴァルディスが息を呑んだ。常にない反応にレオニクスは心配そうに顔を覗き込んだ。しかしヴァルディスはそれすら気づかず、人影を凝視していた。
「ピーター…」
「え?」
「ヴァルディス様?」
ヴァルディスが呟く。ハレスは人影を凝視し、あっと息を呑んだ。
人影が近づく。レオニクスの視界にも鮮明に映り、レオニクスも息を呑まざるを得なかった。
艶やかな黒髪、大きめの目、はかなく笑みを刻む口元に華奢な身体。
それは、シリウスの神殿の棺の間に眠る彼にあまりにも似ていた。
「リリアン博士に言われて来ました。私は試作品004、名前はありません、呼ぶときは004とお呼びください」
「試作品――?」
「私は人工生命体です。どうぞこちらに」
ヴァルディスたちは言葉が出なかった。
あまりに似すぎている。まるで生まれ変わりだ。今も棺の中で眠る、死んだ彼に。
「どういう、こと」
「分からぬ、が…これは、まずいかもしれぬ」
「え?」
「父が…心配だ」
ヴァルディスの呟きに、レオニクスは目を伏せるしかなかった。
□□■■
ガタッと、音がした。シリウスの神殿で、落ち込み引きこもっていたシリウスを引きずり出そうと手を伸ばしていたアルスは思わず手を止めた。
扉が開く。顔を手で覆ったシリウスが出てきて走り去った。
「おいシリウス!」
慌ててその後を追いかける。シリウスは凄まじい速さで神殿を駆け抜け、棺の間へ荒々しく入った。
そこには、変わらぬ姿で眠る愛しい天使がいた。シリウスは膝から崩れ落ちてしまった。
「おいシリウス、シリウス!?」
「アルス…」
慌ててかけよったアルスを見つめ、シリウスはその身体に縋りついた。
初めてかもしれない、態度にアルスは何があったのかと尋ねた。
「似ている」
「え?」
「仕草も表情も声も顔も・・・・ピーターそのものなのだ…。何故だ何故今更、あれはピーターではない、ないのに、どうして」
跪くアルスの胸に顔を埋める形でシリウスが呟いた。アルスはシリウスの見た光景を引きずり出し、息を呑み、そして納得した。
ピーターの死を乗り越えたシリウスに、あまりにも酷な映像。
「あぁああああ!!」
どうしてどうしてどうして今更!
シリウスの慟哭を受け止めながら、アルスは一筋涙を流した。
それはシリウスからピーターを奪ったことへの謝罪なのか、あまりに残酷な痛みへの同情なのか、アルスにさえ分からなかった。
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