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黒の誓い
 5



同刻、神界にあるシリウスの神殿にヴァルディスはひとりでいた。レオニクスはディシスとともに荷造りを任せているため連れてこなかった。
闇に覆われた神殿で、光に溢れる場所は数箇所。その中でも最も光に満ち、厳重な警戒が敷かれているのがピーターの眠る部屋、通称棺の間である。ヴァルディスはもはや見慣れた光景を目の前にしながら己の父親をまんじりともせずに待っていた。純白しか色のない部屋に、死んだ天使。

「ここは―――死の部屋、か」

ここを訪れたものは数名。それでも噂はまことしやかに囁かれていた。シリウス神の神殿には、死の部屋がある。そこに生は一切なく、死の冷たさが支配している。
そんなものは戯言だと笑い飛ばす神はいなかった。ヴァルディスも、ピーターを長く正視できなかった。ぴくりともしない頬も、組んだまま一切動かない手も、羽ばたくことのない翼も、どこか禍々しい。彼はシリウス神の唯一の妻。その身にシリウスの子を宿すこともなくたった五十年ちょっとで亡くなってしまった天使だ。ヴァルディスはゆっくりと瞬きした。彼の何に、シリウスはあそこまで惹かれ、ここまで愛を注いでいるのだろう。

「来ると思っていた、ヴァル」

「――父」

待ち人の声にヴァルディスはピーターから視線を外した。ふわり、と肩にかかる重みと視界の横を舞う衣。鼻腔をくすぐる芳しい香り。黒髪に混ざり合う銀髪と、耳に吹き込まれる低く重く、心を撫ぜるような声。

「もっと早いかと思っていたぞ父は」

「後始末があった」

後ろから父親に抱きしめられながらヴァルディスは静かに言った。
じんわり、と疲れが取れていく。
安らぎに身を委ねながらヴァルディスは続けた。

「父よ」

「何だ?」

「クリフは、何を代償に何を得たのだ」

「さぁ。私にも分からぬ」

「なに?」

シリウスはあっさりと言った。ヴァルディスの怪訝そうな声にも首を振る。

「私は確かにクリフから記憶と野生であることと愛を奪ったが、それでクリフが何を本当に失ったのかは私の関することではない」

「…」

シリウスはヴァルディスを引き寄せて階段に座らせた。素直に従う息子を褒めるように抱き寄せたまま、説明するために口を開く。

「神とはそういうものなのだよ。いわば、水面に石を落すようなもの。我らは水面に石を投げ、雪山に振動を与える存在――それが何に繋がるかまでは操れぬしどうなろうと助けもせぬ」

たとえ津波がおき、雪崩が起きてもそれはただの結果であり、シリウスたちのどうすることでもない。
神とは残酷な存在なのだ。決して、安らぎの存在ではない。

ヴァルディスは黙って聞いていた。

「だからヴァル。この父はクリフの望みを叶えただけなのだ。引き換えに私が奪ったものも、クリフが真に望めば取り戻すことも出来よう。奪っただけで、ないわけではないのだから」

「…」

「お前は優しい子だなヴァル。――この父を、軽蔑するか?」

シリウスはヴァルディスを覗き込んだ。その声音には少しの不安が混ざっている。
しかしヴァルディスは首を振った。

「軽蔑などせぬ。父は俺の考えもつかないほどの重みも痛みも感じてきている。そんな父が、そういう存在なのだからとせねばならぬことをしただけなのだから俺は受け入れ、傍観しよう。これは俺の関わる問題ではないが、何か重要なことならば黙ってはおれぬから来たまで」

珍しくも長く喋ったヴァルディスは疲れたように息を吐いた。シリウスは嬉しそうに笑った。
神の血を直接ひくヴァルディスにも、当てはまることはあるだろう。血を半分引くからこそ、背負ってしまった荷物もある。
シリウスは愛しい息子を腕に納めながら冷めた目で神殿を眺めた。

「可愛い子、他に何か知りたいことは?私は全ての始まり。全ての起源であるから、知らぬことはないぞ」

優しい声。それはほんの数人にしか向けられぬ極上の声だった。常に向けられているヴァルディスでもたまに恥ずかしくなるほど甘いそれに導かれるように息子は口を開いた。

「――クロノスに行く前に、聞きたい」

「何だ?」

「もし俺が負けたら、今度こそ死ぬだろう。そしたら、父はどうする」

シリウスは微笑んだ。完璧な微笑だった。深い瞳は細められ、薄めの唇は弧を描いている。

「クロノスに送る力を全て、断つ」

「父――」

「私は終焉を描くことは出来ぬ。それはアルスの力。しかし私が力を送らなければ、作物は実らず子は生まれず、花は咲かずに木は生えぬ。クロノスは、朽ちていくだけの世界へと変貌を遂げるだろう」

ヴァルディスの死は、同時にクロノスの死へ繋がる。シリウスは優しい声音のまま言った。

「私から、お前を奪うのだから当然だろう?」

神殿の気温が一気に下がった気がした。笑みが完璧なのがまた恐ろしい。
抱き寄せる腕は確かに温かいが目があまりに冷たく凍り付いている。久しぶりに、凄まじい執着を感じた。
ヴァルディスは小さく笑み、目を伏せた。
この父親の、この執着と愛情を確かに自分は欲している。彼に抱きしめられ彼に愛されるたびに、甘える悦びが湧き上がってくる。レオニクスといるときとはまた違う、安らぎ。
きっと己はどちらかを亡くしても生きてはいけないとヴァルディスは確信していた。生きてはいけるかもしれないが、確実に己は狂ってしまうだろう。
殺戮を繰り返すかもしれないし魔界を滅ぼすかもしれない。

「父」

「ん?」

「約束、だ」

ヴァルディスは子供のように笑った。常日頃の彼を知っている者ならば見せられても信じないほど、らしくない笑みだった。
ヴァルディスの過去で数回、浮かべたかどうか怪しい、無邪気な笑み。
シリウスはわずかに目を見張り、そして優しく笑った。

「もちろんだわが子よ」

可愛いわが子の約束。
もしヴァルディスが死んだなら、棺をもうひとつ増やさねばならない。もしレオニクスが欲しがったらあげてもいい。
きっとレオニクスにも分かる。死というどうしようもない風に攫われた愛しいものの身体だけでも手元に留めたい気持ちは、きっと。

「ヴァル、おいで。ここは冷える。ここからクロノスへ行くのか?」

「ああ。そうする」

シリウスはヴァルディスの腰を抱き、棺の間を出た。ここから直接向かうのなら時間はある。
神殿は広い。棺の間は最も奥にあるためすこし離れていた。シリウスはヴァルディスをつれ、ソファやテーブルのある普段食事や休憩用に使っている部屋に入った。
広い部屋には凝った装飾の柱やテーブル、ソファが置かれており、卓上には紅茶セットが置かれていた。
シリウスが手をふると照明に火がついた。暖炉にも勢いよく炎が燃え上がる。
もう重要な話は終わったため、のこりは親子水入らずの団欒に宛がわれた。

「ヴァル、レオニクスとはどうだ?」

「楽しくやっている」

「ああ、いい男を捕らえたものだ。流石はわが子だな」

「だろう?レオほどいい男はおらぬ。…父は別だ」

ヴァルディスは紅茶を受け取り、柔らかく応えた。シリウスもレオニクスに好意的なのが嬉しい。レオニクスも好意的で、仲良しなのにヴァルディスは安堵していた。
部屋は瞬く間に暖かくなった。

「可愛い子、いい子だ。父は嬉しい」

「そうか。父はどうだ?アルス神は相変わらずか」

「あれは変わらぬ。何千万年、もしかしたら何億、ともにおるがどうにも変わらぬな」

シリウスは呆れたように言った。自分と同時に生まれ、自分が初めて目にした他人、アルス。それからずっと共にいて、お互い知らないことはない。
そしてこれだけ長い間一緒にいて、身体を重ねたことはなかった。

「父も変わらぬのではないか?」

「私か?私もかもしれぬな」

「変わってしまっても、父にかわりはない。俺は構わぬぞ」

「今日は如何した。嬉しいが随分甘えただな」

綺麗な顔を緩めてシリウスはヴァルディスの頭を撫でた。
ヴァルディスは目を伏せ、大人しく身を預けた。おや、と眉をひそめてシリウスは問いかける。

「どうしたのだ?」

「…なんでもないのだ」

呟くような声。シリウスはああ、と内心納得した。
反乱は、ヴァルディスが自覚せずとも彼の心に酷い疲れと傷を与えたのだ。赤く濡れた手にさらに浴びせられた血にヴァルディスは己で知ることなく疲弊し、シリウスに甘える結果を生んだ。
父親に甘え、少しでも癒そうという自衛本能だろう。レオニクスに八割がたは癒されたはずだが、やはり傷は残っていたらしい。
シリウスは黙ってヴァルディスを抱きしめてやった。

愛しいわが子の苦しみは出来るだけ取り除いてやりたい。

「父」

「ん?」

「クロノス問題を片付けて、魔界を統治して、その後俺には夢があるのだ」

「夢?」

ヴァルディスは身を起こした。
目を細め、遠くを見つめる。

「王を無事引退できたら、レオニクスと二人で大草原の小さな家で住みたい」

「大草原…」

「見渡すばかり地平線の、広い大草原でファドを放ちレオニクスと自給自足して生きていきたいと思うのだ」

今、その情景を思い浮かべているのか。何もかもを手に入れた男のあまりに慎ましい夢にシリウスは微笑を浮かべざるを得なかった。

「ならばヴァルのために父の大草原を譲ってやろう。いい場所がある」

「いいのか?」

「お前は何も望まぬからな。お前の望みは何でも叶えてやりたいのだよ。父に贈らせておくれ」

ヴァルディスは頷いた。
大草原の小さな家にレオニクスとふたり。

何十年先になるかは分からないけれど、いつか叶えたい、たったひとつの夢。

ヴァルディスの夢を、必ず叶えてやりたいと思いながら、クロノスへ発つまでの数時間、シリウスは息子との団欒を心から愉しんだ。





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