黒の誓い 9 「増援が来たようだな」 「ああ」 ダンジェリは剣を構えたままちらりと空を見た。 空と大地を埋め尽くすほどの軍勢が押し寄せてきている。 「…バスティアンは半分ほどを寄越したようだな」 「あれで半分か」 魔界はクロノスの何十倍の大きさがある。 あれで半分というのもかなり減ったほうなのだ。 ヴァルディスはダンジェリを盗み見た後魔界軍のほうを振り返った。 「止まれ」 ほんの一言でピタリと静止した魔界軍にレオニクスは感心した。 よく、躾られている。 「……バスティアン」 「ヴァルディス様…」 「半分はディシセスティを制圧に行け。トゥーベの護衛も強化してこい。残りでここを守る」 「はい」 ディシセスティ。アイレディアのボルケナのひとつでクロノス最大の神殿である。 レオニクスはやはり、という顔で何も言わなかった。 「治癒者にハレスを見せろ。一命は取り留めた」 「…はっ!」 バスティアンは敬礼すると指示を出すために魔界軍へ戻っていった。大まかな命令しかヴァルディスが下さないのは、バスティアンがきちんと遂行してくれるからだ。 稀有な男達を従えられるのは、それだけの器があるからだとこの短時間で悟らされたダンジェリは思わず舌打ちした。こんな化け物たちを世に解き放ってくれたレオニクスにも恨みを言いたい気分だしそもそもこんな奴らと戦争した四千年前の馬鹿共を恨みたい。いや、魔界と戦争を決めた上層部の奴らを一番恨みたかった。 「…死にたくなければそのまま退け」 「そうは行かない」 頭である己が倒れれば召喚剣士隊は退くことが出来る。後から何と揶揄されようとも隊士に無駄な犠牲は生まずに済むのだ。命さえあれば何でも出来るというのがダンジェリの持論であり、部下の命は何が何でも守ってやるのが使命だと考えていた。 ヴァルディスに勝てるなんて、思っちゃいない。 「隊長」 しかし剣を構えたのはレオニクスだった。そのことにダンジェリは不愉快そうに目を眇める。 「おい、ザーヴェラ。お前じゃなくて…」 「ヴィーは俺のです。許可なく戦わせるわけにはいきませんし、今回は許可しません」 「お前、黒竜王を従えたつもりか?契約通りに従うような竜じゃないだろう」 「ヴィー、下がれ」 ヴァルディスは大人しく下がった。初めてとも言える命令に逆らうことは勿論出来たが、あえてしなかった。レオニクスの全身からこの男を倒したいという気迫が滲み出ている。 「隊長…驚かないんですね。俺がこんな姿でも」 「知らないはずがないだろう」 虎の耳と尻尾を生やし、赤っぽくなった髪に縞模様の入った頬。昔とはかけ離れたその容貌だが事前に画像を入手していた。 もちろんそれくらいのことは予測している。 だが、レオニクスは続けた。 「そうですね…隊長、あなたは何でも知っているはずです」 「何のことだ?」 「俺を育ててくれた婦人が、亡くなったのは俺が学生の頃です。強盗に殺されました。そして俺の母も同じ傷を負っていました。二人とも、傷口は酷くえぐれ、そして焼け爛れていた…そんな傷をつけられるの、俺一人しか知らないんですよ」 レオニクスの目がダンジェリの剣を睨みつけた。一見日本刀であるそれは、力を解放すると形状が変わる魔剣である。 そしてそれは、刀身がねじれ、斬ると同時に炎を宿す剣である。 「…俺が殺したって言いたいのか?」 「違ってもいいですよ。貴方ひとりの死くらい、背負って生きます」 「…はぁ」 怒りに燃える目を見てダンジェリは息を吐き、首の後ろを掻いた。 「だからガキも殺せって言ったんだ」 「やはり…」 「年々あの女に似ていくお前に危機感を抱いたのは確かだ。こうやって、いつか化けるんじゃないかとな」 言外に認めたダンジェリはめんどくさそうに剣を抜いた。 レオニクスが、ダンジェリに勝つことはないとでも言いたげだった。 勝てるかどうか、それは誰にも分からなかった。 「分かりました…それでは、参ります」 「お前殺したら黒竜王キレ…ッ!!」 余裕だったダンジェリは瞬時に顔色を失くした。 飛び込んできたレオニクスの一撃は速く、そして重かった。何とか受け止めたダンジェリは愕然としながら何とかその剣を捌いた。 炎虎の能力だけではない。踏み込みもきっちりとしていたし攻撃や行動の流れが読めている。 一言で言えば、上達していた。それも桁違いに。 「――っ!おまえ、本当にザーヴェラか」 「貴方は弱くなりました、隊長」 読まれる動き、防がれる攻撃。多彩な攻撃と型破りな動きに翻弄される。 「…レオニクス様は…」 「俺が教えた」 指示を出し終わり戻ってきたバスティアンが目を見張った。それに淡々とヴァルディスが答える。 「ヴァルディス様がですか?」 「ああ。お前と手合わせさせられるくらいには、仕上げておいた。教えてやってくれ」 「それは勿論構いませんが」 バスティアンは答えながら内心で感心していた。ヴァルディスが教え、バスティアンにも頼むくらいなのだから相当剣のセンスがいいのだろう。 見ているだけでも確かによかった。荒削りとは言え、隙を見逃さない観察眼は天性のものだろう。 更に炎虎の力が目覚めているせいか力も強くなっておりスピードも大幅に上がっている。 ダンジェリに召喚の隙を与えずレオニクスは攻め立てた。 「召喚剣士というものは召喚に頼るきらいがある」 「だから隙を与えず攻め立てる戦法ですか。しかし長時間は持ちません」 「短期で決められなければ何か考えるだろう」 暢気に会話している二人の前ではレオニクスの猛攻にダンジェリが押されていた。 最初に油断したせいでダンジェリはなかなか調子を戻せなかった。 「ダンジェリ!!」 「っ!重っ…」 レオニクスの剣がダンジェリの太ももを切り裂く。思わず膝をついたダンジェリの首をめがけてレオニクスが剣を振りぬいた。 総隊長ともあろう者が元セカンドに殺される。その光景にアイレディアの者達は息を呑み、瞬きすら忘れた。 「やべっ、死ぬっ…」 ザシュッ…!! 鮮血が飛び散った。 ダンジェリの右腕が勢いで飛んでいき、ボトリと落ちる。 首は、繋がっていた。 「っああっ!!!」 「レオ…」 うめき声を上げ、二の腕からなくなった右腕を抱えたダンジェリが倒れた。 肩で息をついたレオニクスは髪の合間からダンジェリを睨み上げた。 「俺は、アンタと同じにはならない…っ」 「…っ、甘い、ぜ」 「何とでも言え。利き腕失くしてそれでも来たら今度こそ殺してやる」 ダンジェリは低く笑った。それを忌々しそうに睨んだレオニクスはドゥラを振り血を飛ばすとヴァルディスのほうへ歩いていった。 総隊長は召喚剣士隊最強なわけではない。だが、きっとまたやってくる。 「一度では殺し足りぬか」 「…ダンジェリ隊長は俺の大事な人を二人殺したから」 それでもレオニクスはきっと殺せないとヴァルディスは分かっていた。 ダンジェリの返り血を浴びたレオニクスを引き寄せ、一度だけ抱きしめる。 ダンジェリが倒れたことでアイレディア軍は徐々に後退していった。 「レオ」 「ヴィー…」 レオニクスは独りで気づき、悩んだのだろう。気づいてやれなかったことをヴァルディスは悔いた。いつから気づいていたのかは知らないが、ヴァルディスは何もしてやれなかった。 ダンジェリは召喚剣士たちが運んでいった。倒れそうなレオニクスはヴァルディスが支えている。 「ヴァルディス様。私はコーディルの様子を見てまいります」 「ああ」 気を遣ったバスティアンがその場を離れる。レオニクスはヴァルディスの肩に顔を埋めていた。そのためどんな顔をしているのかは分からない。 その髪に口付けながらヴァルディスは愛しそうに目を細めた。 馬のいななきが聞こえても、二人は離れなかった。 [*前へ][次へ#] [戻る] |