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黒の誓い
 8


「ダンジェリ、行っちゃったみたいだね」

ジリアクスが愉しそうに言った言葉にクリスティンはきつい眼差しを送った。普段から厳しい彼女はジリアクスが古参だろうと関係なく、不適切な行為は咎める。

「第一機動隊の隊長が負けたとあっては我ら召喚剣士隊の面目は丸つぶれとなるのだぞ」

「あれ?クリスちゃんはダンジェリが負けるって確信持ってるみたいだね」

「……万が一だ」

苦々しく言ったクリスティンは戦場に目を戻した。ある建物を包囲したものの、そこから全く攻め込めない。軍の方針で召喚剣士隊は後方援護ということもあり、隊士たちの士気は目に見えて下がっていた。
召喚して向かわせても死体で帰って来るのだから遣る瀬無い。シュイノールの奪還という名目も、本来アイレディア王国が介入する話ではなく、上層部への不信感は高まっていた。

「誰か向かわせろ」

「じゃあアンタが行くんだな」

誰か隊士を派遣しろ、と言いたかったクリスティンは眉をあげた。声の主は第七機動隊隊長、カエサルだった。カエサルは腕組みしたままもう一度繰り返した。

「アンタが行けよ。クリスティンお嬢様」

「……」

「そんな言い方ないんじゃないの?カエサル」

「ジリアクスは黙っとけよ。澄ましたこの女、よくあいつらのこと知ってんだろ?じゃあ行けよ」

このように噛み付いてくるのはカエサルだけではなかった。彼女の部下とジリアクス、ダンジェリなど一部のみが彼女に変わらず接し、後はみな何かしら因縁をつけてくる。
クリスティンはまたか、とため息をついた。
そんな態度が気に入らなかったのか、カエサルが追い上げてくる。

「大方、獅子でも助けてくれるんじゃねえのか?お前の身体に誘われちまった、可哀想な獅子様がよ」

その瞬間、何かの糸が切れたような音がした。
いや現実にそのような音はしていない。だが、その場に居る誰もがそれを聴いた気がした。
同時に、凄まじい速度で振りぬかれた二本のサーベルがカエサルの首の数ミリ先で止まった。
クリスティンが怒りに燃えた瞳でカエサルを睨みつける。

「侮辱も大概にしろ…身体だけでのし上がれるほどこの世界甘くねぇんだよ…。次、侮蔑するような言葉を吐いたら」

クリスティンはすぅっと剣先を首に一瞬だけ押し付け、鞘に納めた。

「ウチは暗殺が得意だって、忘れんじゃねえ」

固まるカエサルを詰まらなさそうに嘲笑い、踵を返した。
今の第三機動隊では、黒竜王と交戦は出来ない。だが、他の隊士たちも怖気づいて隊長たちも踏み出せずに居た。何より、今は待機命令が出ている。
しかしこのままではまた犬死が増えるだけだ。総隊長の馬鹿が何故出たのかは知らないが、彼が呆気なく倒されれば召喚剣士隊が倒れされたのと同義になる。
それは見逃せない。

「どこに行くんだい?クリスちゃん」

「連れ戻してくる」

このシュイノール奪還戦の大将はロナルド・ベン。まだ返事はしていないがクリスティンがさせられる結婚の相手だった。交渉に行けば、召喚剣士隊が潰れる前に何とか出来るかもしれない。


■■□■



「メニア隊長」

本部へ向けて歩いていたクリスティンは肩を揺らした。
その声は、今最も聞きたくなかった、低く落ち着いた、男の声。上官である彼に呼び止められれば、クリスティンは立ち止まるしかない。

「お久しぶりです閣下」

「…ああ。何処へ行く気かね?」

「…ベン中将のもとです。閣下」

オルトヴィーンは重く息を吐いた。彼女の結婚の話は知っている。そしてどうして今から向かうのかも大体予測はついている。
向かって、何をするのかも。

「君は、結婚を承諾するつもりか」

「…」

クリスティンは黙り込んだ。気まずげな蒼い目にオルトヴィーンは懸念が確信に変わったのを感じた。
この戦も、また負ける。そんなことは分かっている。
ただ、彼女は召喚剣士隊を守るためだけに向かうのだろう。守ったところでまた、侮蔑を受けるのは目に見えていても。
レステの獅子は思慮深い目を細め、休めの姿勢をとったクリスティンの前に立った。
クリスティンがびくつくのが分かる。

「私は、君ほど強い女性を知らない」

「え…?」

「君が召喚剣士隊から失われるのは非常に哀しいことだ」

クリスティンはこの場から逃げ出したいほど緊張していた。
何を言い出すつもりなのだろう。

「君は、君の正義は変わらないかね」

「はい」

「そうか」

「閣下?」

「君を失うのは国にとって損失でしかないと私が説得してみせよう。結婚を白紙に戻すことは出来なくてもそれくらいなら出来る」

クリスティンは一瞬哀しそうに目を伏せた。気持ちが溢れそうになるのを何とか押し留める。

「ありがとうございます…」

「…君は」

揺れる金の糸の隙間から見えた、悲しみに彩られた瞳にオルトヴィーンは息を呑んだ。
憂いを帯び、しかし刻まれているのは微笑み。
その垣間見えた一瞬、あまりに彼女が美しく見えた。
ここが戦場ではなく、私室で、彼女と二人きりで居るような錯覚。

「閣下…?」

気づけば、触れていた。その冷たく見える頬に。クリスティンが動揺したようにオルトヴィーンを呼ぶ。

「メニア隊長」

「は、はい」

オルトヴィーンの目に力が戻った。

「君は、まだ返事はしていないな?」

「え?」

「答えなさい」

政略結婚のことだと気づき、クリスティンは頷いた。オルトヴィーンの狙いが何かは分からないが、確かにまだ返事はしていない。
向こうはすっかりやる気らしく、クリスティンは返事をしてもしなくても同じだと思っていた。

「そうか」

「はい」

「では来なさい」

オルトヴィーンはクリスティンの腕を引きかけてやめた。背を向けてついてくるのを確認して足を進める。

「閣下?」

「見たまえ」

少し高い場所に上るとシュイノールが見渡せた。クリスティンはふ、と目を見張った。

「…まさか…」

シュイノールの向こうから、大軍が押し迫っている。確かめなくとも分かる。魔界軍だ。それも、見たことが無い規模である。
武装した黒竜たちが飛んでくるのを先陣に、巨大な狼や熊、ヒッポグリフやケルベロスなどが統制の取れた陣形で押し寄せてきていた。明らかに鍛え抜かれた、戦慣れした猛者たちだ。

「勝ち目は初めからないのだよ…。しかしロナルドはそれにも気づかぬ愚者だ」

「…どうされますか」

「私はこれから交渉に行く。君は残りたまえ」

「閣下!」

「黒竜王は話の分かる王でもあるらしい。大丈夫だ」

「ダメです危険です!」

「メニア隊長」

オルトヴィーンは用意していた馬にひらりと乗るとクリスティンを呼んだ。
顔を上げた彼女に柔らかい笑みを向け、軍服の一部であるネックレスの金色のタグを首から外した。
そのタグは個人の識別を示すもので、軍に入ったら与えられるものだ。二十年以上、首にかけつづけたにも関わらずその輝きは失われていなかった。
そのタグをクリスティンに差し出した。

「受け取りたまえ。君にあげよう」

「え…」

「万年筆の礼だ。ここではそれしかないのでね」

「そんなっ…こんな大切なものは受け取れません」

「受け取ってくれたまえ。生きて戻れるかも分からん」

オルトヴィーンは有無を言わさず言い切ると馬の手綱を引き走り出した。
あっという間に見えなくなった中将にクリスティンは泣きたくなった。手に残された、彼を示すタグが鈍く光を放つ。
ロナルド・ベンとの結婚。それはどうしようもない。
だがクリスティンは本部に背を向けた。

「…」

タグを首にかけ、服の中に入れる。
召喚剣士隊の本部に戻りながら、ジオクを呼び出した。

「姉…隊長、何ですか」

「ザーヴェラはお前の親友だったな」

「え、ええ」

「秘密裏に交渉して来い」

「…分かった」

言葉短かに理解した出来のいい弟を向かわせ、息を吐く。

クリスティンの手は、わずかに震えていた。





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