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Shelf.
Moira 2
Moira 2

 穴を掘っている男が居る。彼は労働者ではない。だが穴を掘っては掘っては掘り下げていく。その穴には彼以外に労働者達がいた。
 彼の名前はアレクセイ・ロマノビッチ・ズボリンスキーという。元は貧しい家の長男として生まれついたアレクセイは、しかし幼い頃よりの悲惨な人生を糧とし、必死に働いた末に一財を築く富豪となった。
 そして穴を掘っている。決して鉱山や油田を引き当てようというのではない。彼は彼の、分かりやすく言うならば、ロマンのために穴を掘っていた。彼は信じていた。幼い頃、寝物語に祖母が語ってくれた御伽噺を。
 祖母が語ったのは、神話の時代から受け継がれる系譜に連なる「雷神の民」と呼ばれるもの達の英雄譚だった。
 街角の子供はみんな知っている。右腕のない雷神を。けれど子供たちは知らない。雷神には何故右腕が無いのかを。
 祖母は語った。かつての楽園を破壊した邪神を、右腕と引き替えに放った雷(いかずち)の槍で斃した英雄の神話を。そして神話の系譜は途絶えてはいないのだと、実しやかに微笑んだ。
 まるで見てきたかのように語られる、再び邪神に立ち向かう彼らの話は、どこか謎めいていて心を躍らされた。
 そんな御伽噺を信じた幼心は、貧困に喘ぐ弟妹達との生活の中でも強く心に灯を燈していた。末の妹が病気になったときには、既に居ない祖母の変わりに己が御伽噺を語って聞かせた。
 働ける齢になった頃、遠くの炭鉱へ出稼ぎに行った父の不運な事故が知らされ、そのあまりにあっけなく悲惨な死に様に嘆く間も無く、母は情婦となっていた。アレクセイも母と家族を支えるため、少しずつ仕事をこなすようになった。
 けれどそんな生活が長く続くことはなく、母も無理が祟って父と妹の許へと旅立ち、残った家族は離散してしまった。アレクセイは商家へと丁稚奉公へやられたが、その際手元に残った母の形見に生きる希望を見出し、とにかく必死に働いた。
 残ったのは一冊の叙事詩。幼い頃より胸に抱いてきたあの「雷神の系譜」にまつわる、アレクセイにとってのキセキとも言える代物だった。そこに記されているのは、時の遥か彼方を望む神話である。
 アレクセイはその叙事詩を目にしたとき、涙を流したかもしれない。そこに書かれた運命の女神を、その残酷な悪戯を、己のそれまでの人生をして知っていたからだ。
けれど生きることを恐れずに戦った。そして得たものは遠く離れた家族の幸せと、新しい家族となった妻との幸せだった。運命は、確かに彼に微笑んでみせたのだ。
 叙事詩に書かれた神話はオワリを告げ、新たな戦いのハジマリを示唆して途切れていた。そのハジマリを誘(いざな)う神話を、アレクセイは歴史の舞台に立たせたかった。語られるだけの神話は、果たして運命の行方を教えてはくれないままで存在している。
 神話か逸話か御伽噺か。その行方と追い求め、穴を掘り続ける彼のことを、他者は「拝金野郎の妄想」「無駄な努力」と嗤った。それでもアレクセイは諦めなかった。そして穴を掘り続ける彼を、学者は「成金野郎の道楽」「馬鹿な男」と嗤った。それでも妻となったエイレーネは着いてゆくと言ってくれた。
 幼心に燈された灯を、燃えるような夢に変えて掘り続ける。黄金も名声も欲してなどいない。ただ、神話が迎えた終焉の先を、この目で確かめたかった。
 まるで入れ子人形のように不条理ばかりを詰めた人生も、運命の贈り物であるに違いない。女神が再び微笑みかけてくれることを願っては、ひたすら穴を掘り続けている。


「おおぉぉ・・・!!」
 アレクセイは思わず声を上げた。共に穴を掘っていた労働者達もざわめく。
 掘り続けた穴の底、錆びて磨り減ったシャベルに当たったものを慌てて、しかし慎重に掘り出す。現れたのは、神話が歴史となったその確たる証だった。
「あなた・・・?」
 突然大声を出した夫に驚いたエイレーネが声を掛ける。
「エイレーネ!エイレーネ!」
 しかし自分が呼ばれたことには気付いていないのか、アレクセイは必死に妻の名を呼ぶ。そこには焦りとそれ以上の喜色が浮かんでいた。
「なんですの?」
 今までになかった夫の声に、エイレーネもそわそわした気持ちで問い返す。そしてアレクセイが「ハラショー!ハラショー!」と繰り返し喜びの声を上げ、震える手で撫でているものに気付くと、一瞬言葉を喪ってしまった。
「まあ・・・!素晴らしいわ!」
 こみ上げてきた想いを止められず、アレクセイに抱きつく。労働者たちも様々に言いあいながら笑っていた。
エイレーネにはそれが詳しくなんなのかは分からなかったが、夫の夢が形を成したのだと嬉しくなり、自分もアレクセイと共にそれにそっと触れてみた。不思議と、温かさを感じる。それは、新たな息吹を運んでくれるような気さえさせた。
 きっと、アレクセイはまたあの叙事詩の言葉を語るだろう。「運命は残酷だ。されど彼女を恐れるな。運命は戦わぬものに微笑むことなど、決して無いのだから。」と。


そして語られる神話の時代。されどそれは一つの終わりと一つの始まりの詩。
それがもたらすものは運命が紡ぎだす問。されど人は惑いの儘に解を違える。
しかし問に気付かぬまま幸せを歩み(密やかに歯車を廻すのも)、不幸せに嘆くものもいるだろう(世界を蝕む奈落へ墜とすのも、運命の女神)。


穴を掘り続けた彼らもまた、改竄を赦さない歴史を知ることで、新たに紡ぎだされる運命があることを識らぬ死すべきものたちである。


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