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名探偵の助手
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 午前のみの講義を終えた後、莉子は地図に示された美容室の前に来ていた。まるで、フランス映画に出て来そうな洒落たビルに立ち竦む。窓からそっと中を窺うと、今のところ客はいない様だった。一人の男性が、こちらに背を向けて切った髪を掃いている。しかし、立ち竦んでいても始まらないとばかりに勢いよくドアを開けた。
「いらっしゃいませ。荷物をお預かり致します、どうぞ」
「え」
端正な顔立ち、高い身長と程よく付いた筋肉、心地よく響く低音の声の男が振り向く。その優雅な身のこなしに、ドキッとする莉子。
「さあ」
静かに迫られた彼女は、おどおどしながらも荷物と上着を預ける。
「今日は、如何致しますか?」
席に案内されながら、男は莉子の髪に触れた。
「じゃ、じゃあ、軽く揃えてもらう感じで」
「いや、ここはセミロングにして……緩めに内巻きのパーマをかける。色素は薄い様だから、カラーは不要だな。顔が小さいから、単に長く伸ばしているのは勿体ない」
「じゃ、じゃあ、それでお願いします……」
お洒落には気を遣いたいものの、疎い彼女は美容師が呟いたセンスに任せようと決めた。シートを広げ、服に髪が付かない様に首へと巻かれる。勿論、首にはタオルを巻いて隙間を作らない様にする。
「大学生?」
「あ、はい、そこの日芸大に今年入学したばかりで……」
霧吹きで髪を濡らすと、美容師は手際よく鋏を入れた。背中まであった長さをばっさりと肩口にまで揃えた後、座席を下げて彼女の顔に薄いタオルを乗せてから髪を洗い始める。
「熱くありませんか」と耳元で囁かれ、思わずビクッと体を震わせながらも「大丈夫です」と答える。髪を濡らすと、シャンプーの香りが鼻を擽った。フローラルの香りだろうかと考えながら、彼女は身を任せる。
「音楽関係?」
「楽理科なんですけど、解ります?」
美容師の指先に酔いながら、莉子は彼からの質問に答えた。
「何となくだけどね」
そう言うと、シャンプーを流してリンスで柔らかに仕上げをする。
「凄いですね」
「いや、観察していれば解る。日本芸術大学の学科は、美術か音楽の二択だ。しかし、美術ならばそれなりの癖がある。絵の具や粘土の香り、服の汚れも目立つ。しかし、それが一つも無い。それから預かったバッグの中に、楽理のテキストとスコアが入っていた」
「見たんですか?!」
リンスを流して洗髪が終え、椅子が起こされると同時にツッコミを入れる莉子。
「偶然、見えたんだよ。伊部莉子」
彼は彼女の髪をタオルドライすると、鏡の前に設置されているドライヤーを手に取って乾かし始める。
「フルネームで呼ばないでッ!」
「まるで、豚の品種の様な名前だな。だが、反って面白い。あのナンクロを解いて、電話をかけてきたという行動力も」
いくらかすいたのだろうか、すぐ渇いた事を確かめると、太めのカーラーを使ってくるくると莉子の髪を巻き始める。巻き終わると、髪の生え際に沿って油性クリームが塗られた。
「一体、何なの……」
座ってしまった事を、今更後悔する莉子。冷たいパーマ液に身奮いしながら、鏡越しに彼の姿を見る。
「美容師というのは、仮の姿だ」
「は?」
いきなり、美容師は本職ではないと伝えられて彼女は素っ頓狂な声を上げた。
「探偵の助手を捜していたのだよ」
「た、探偵ッ?!」
更に慌てる莉子を見て、美容師は口元を歪めて愉快そうに笑う。
「アルバイトの面接に来たのだろう?」
「わたし、そんなつもりじゃ……」
「まずは、仕上げてからだ」
半ばパニック状態に陥った彼女を黙らせてから、彼は真剣な目付きで色素の薄い髪に内巻きのパーマを当てていく。莉子はすっかり、その表情に見取れていた。

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あきゅろす。
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