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名探偵の助手
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「あ……、未だ気分悪い……」
同学科で同級生の首吊り死体を目撃してしまったのだから、気分が良い筈は無い。到底上を向く事の出来ない莉子は、大教室の一席で暫く俯いていた。
「伊部さん?」
「は……、はい?」
同じく、同学科で同級生の瀬渡ソノラに顔を覗き込まれる。恐らく何度か呼ばれていたのだろう。訝しげに、瀬渡は莉子の顔を覗き込んでいた。
「聞いてた? もう、今日の講義は全て休講だって。やっぱり、事件のせいかしらね」
自殺の話なんて聞きたくないのに、と莉子は眉根を寄せる。
「それから、空玻教授が伊部さんの事を探していたわ」
「本当? じゃあ、行かなきゃ……。教授、研究室かな……」
「だと思うよー」
自らの怠い体に鞭を打って立ち上がる莉子に、瀬渡は軽く答えた。自分が何かしただろうか、と考える。レポートは提出期限を守った筈だし、学費は両親から振込みを済ませたという連絡を受けている。そんな事を考えながら、莉子は楽理科の研究室のあるフロアへと向かった。

 空玻新留教授研究室、と書かれたプレートの掛かった部屋のドアをノックする莉子。空玻新留は弱冠二十八歳にして、教授にまで上り詰めた天才と呼ばれる人間である。しかし、顔だけなら癒し系と女子学生には割と人気の人物なのだ。理論も技巧も備わった彼に、落ちない女性はいないだろうと莉子は感じていた。そして、彼女はスッと息を吸ってから一息に名乗る。
「楽理科二回生の伊部です」
「どうぞ」と言われてから、莉子はドアをそっと開けた。そして、空玻を目視するとそのまま頭を下げる。驚く程に、片付いた部屋だった。かなり掃除も行き届いている様で、塵や埃は全く見当たらない。作業机には、ノート型パソコンと小型の電子ピアノが揃えて置いてあった。そして、最新の音響機器。これでクラシックを聴いたら、音の深みが増しそうだと莉子はぼんやり思った。
「失礼します」
「やあ、待っていたよ。掛けたまえ」
「あ、はい」
穏やかな彼の様子に安心し、莉子は示されたソファに腰掛けた。
「具合が悪いのかい? 随分と顔色が悪い」
「いえ、大丈夫です」
「なら、良いのだが」
ふっと微笑み、空玻は傷の無い長い指を組む。講義は不思議系だが、見た目は癒し系と謳われるだけあってか既に莉子を和ませていた。
「少し前、ここに刑事が訪ねて来てね」
「そうなんですか」
それも、今回の事件に関係があるのだろうかと彼女の想像を掻き立てる。だとしたら、秋野さんは自分の意見を少しは汲み取ってくれたのだろうと莉子は考えていた。
「秋野時雨だとか名乗っていたな。君は彼に、自殺と音楽には関係性があると言ったそうだね」
「は、はい……」
「その論には、わたしも賛成するよ」
緩んでいた糸が、ピンと張り詰める。
「か、空玻教授?」
「君は、頭が良い」
「きょ……、教授」
莉子には、空玻の目が鈍く光った様に見えた。
「黙って聞きなさい、講義の時間だ」
ゾク、と彼女の背筋を冷たいものが走る。
「音、それは芸術でありながら兵器でもある。解るね? 人間に聞くという機能が備わっている限り、それは絶対だ。難聴の場合でも、骨伝導という手段がある。凄いと思わないか?」
こくり、と小さく頷く莉子に満足そうな微笑みを見せる空玻。
「人を癒す音楽、人を操る音楽、人を興奮させる音楽があれば、人を殺す音楽もある。人を殺すには音による衝撃波でも良いが、それでは能が無いだろう? だから、わたしは考えたのだよ。人を自殺に追い込む音楽は無いか、とね。最初は、人を鬱にする程度のものだった。しかし、少しずつ少しずつ出来上がっていったのだよ」
驚きと戸惑いに、目を見張る莉子。
「君は、わたしの話を──理想を完全に理解出来ている。わたしは、君を買っているのだよ」
そして、空玻は席を立った。
「わたしと、共に来てほしい」
更に莉子の手を取って、ソファから立たせる。
「わたし……」
「解ってくれるね?」
俯く彼女の顎に手を添えて、上を向かせる空玻。滑らかな動きで、その癒し系と形容される顔を近付けていく。
「そうはさせない」
タイミングを見計らったかの様に、ドアが開けられた。
「秋野さんッ?!」
「この間の刑事か」
音に驚いた莉子が振り向くと、勝手に閉まったドアを背にした秋野が拳銃を構えていた。行動を遮られた事に苛立ちを覚えながらも、ゆるりと部外者の声のする方を向く空玻。しかし、全く慌てる様子は見せなかった。
「彼女から離れろ」
「成程、全て聴いていたというわけか。ならば、これはどうだね」
懐から取り出した耳栓をして、リモコンを手に音響機器へと向ける。
「動くなッ!」
「それは聞けない要求だな」
ピッと音がしたかと思うと、スピーカーから目茶苦茶な音楽が流れる。不協和音だろうかと莉子は考えたが、そんな物でこの様に酷い頭痛は起こらない筈だと考えを放棄した。
「な……ッ?!」
秋野の手から、拳銃が滑り落ちて床に転がる。そして、無意識に膝をついた。大した音量でも無いのにも関わらず、頭の奥まで音に侵食されていく感覚が二人を襲う。
「あ、頭が割れそうだ……」
「と、止めなきゃ……。スイッチ……、スイッチ……ッ!」
もがく様にスピーカー本体に近付いたが電源の位置が解らず、莉子は顔を顰めた。
「伊部くん、いつか迎えに行くよ」
お先に、とホワイトボードに書いて窓から飛び降りる空玻。二階に研究室があったという事が幸いしたかか、身軽な彼はそのまま走って見えなくなった。
「空玻……ッ!」
「んんん……ッ!」
莉子は最後の力を振り絞り、コンセントを引き抜いて倒れた。
「り……、莉子……ちゃん……」
音楽が止んでも、二人は暫く眼球までもが圧迫されている痛みは引かなかった。

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