序章
新しい生命の誕生を待ち望んでいた。目の前をウロウロ、ウロウロと歩き回る男の姿はまっこと人間らしい行動なのだろうと、苦笑が洩れた。
「陛下、そう慌てないでください」
「しかし、いてもたっても居られないのだ」
「お気持ちは分かりますが‥マーサ様なら大丈夫です、わたくし達は無事を祈りましょう」
「うぬ、しかしな‥軍師殿」
どうしたらいいのか分からないのは軍師と呼ばれた人物も同じであったが、今まさに父親になろうとしている国王よりも幾分か落ち着きを払っていた。大丈夫です待ちましょう、と声をかけるが組んだ腕をソワソワと動かして頻りに階段を見つめている。
それからどれだけ経っただろう、ウロウロと歩き回る国王が立ち止まり冷静を装っていた軍師が手を胸の前で組んで神に祈りを捧げ始めた頃、赤子の産声と共に召し使いが転げ落ちるように階段を降りてきて「おうまれになられました!」と国王に告げた。
「生まれたか!」「はい!」
「陛下、早くマーサ様の元へ」
「ユエ」「はい?」
軍師殿とではなくユエと呼ばれた女性は幾度か瞬いて国王を見上げた。キョトンとしていれば国王は彼女の手を取り、階段をかけ上がったのだ。足が縺れそうになったのを必死で建て直し扉の前でユエは立ち止まる。
「いけません陛下、先ずは陛下がマーサ様を」
「なぜ、あいつもユエに会いたがっているだろう」
「‥きっと殿方には理解できないのです、先ずはパパス殿が‥わたくしはそのあとで十分にございます」
首を傾げた国王は「すぐに呼ぶ」と言って妻の元へ急いだ。すぐに追い付いた召し使いがクスクスと忍び笑っているのを見て、ユエは溜め息をついた。
「まったく、殿方というのは」
「パパス様らしいと思いますがね」
「‥サンチョ殿、止めてくださいよ。何故わたくしが家族水入らずに入らねばならないのですか」
「ユエさんも立派な家族だからではないのですか?」
「‥パパス殿はお優しいから」
すぐに大きな声で名を呼ばれて、ユエは弾かれたように扉を開けた。その様子をみたサンチョと呼ばれた召し使いは「やれやれ」と苦笑して城下に知らせるべくその場を後にした。
「‥マーサ様」「ユエ」
「よくぞご無事で、頑張りましたね、マーサ様」
「ふふ、見て、ユエ‥可愛いでしょう?」
パパスが抱いている赤子は黒髪で可愛らしい男子だった。マーサは「抱いてあげて」とユエの手を離して目線を赤子にやった。
「‥しかし、わたくしには」
「ね?‥祈ってあげてほしいの、この子が立派に育つように」
「はい、‥お名前はもう?」
「リュカというわ、もうずっと前から決めてあったの」
ユエが恐る恐るパパスから赤子を受けとるとパッチリとした黒い瞳が彼女を捉え嬉しそうに手を差し伸べた。新たな生命の息吹にじんわりと視界が歪むのを意識して、パパスは「ユエが泣くなんて」と笑った。
「‥‥!!!」
ユエは赤子の頬に触れた瞬間に雷が落ちたかのような衝撃を受けた。胸の奥が痺れたかのように震え、自らの毒に浮かされそうな不安に駈られた。何か大きな切っ先を向けられる様子が閃光に似た映像として脳裏を掠めた。
「(天より授かりし御子‥ああこの子が私を、----)」
ドクンドクンと煩く脈打つ心臓に二人はとても心配そうな表情をしていた。ユエは微笑んで首を横に振り、赤子を天に翳した。
「幾多の困難をも幾多の幸せに、神よ、新たな生命の息吹を見守りたまえ」
この子が、わたくしを--殺してくれる
ようやく出会えた光だとユエは涙を溢した。
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