4 隙を見逃す余裕を持てる相手ではない。 だとしたら、今が最大の好機。 深月は身体を沈め、低姿勢から一気に男との距離を詰めた。 「そうか…君は…」 力の抜けた声が聞こえた気がした。男はもう目の前だった。 深月は男の胸に飛び込み、ナイフを突き立てた。 布を裂き、皮膚を貫き、ナイフは温かく脈打つ心臓を捕らえる。 「くっ…」 顔を上げると、苦しみに顔を歪ませる男と目があった。 その顔はどこか切なげで。 それに気付いた男は、目を細めて深月に微笑みかけた。 「やっと…」 「え?」 それは嘲笑でも何もなく、 「ク、フフ…」 男はゆっくりと右手を深月の顔にかざし、優しく撫ぜる。 そのまま男は、ナイフを握り締めたままの深月を抱き締めた。 耳に口をよせ、ひとつ吐息をもらす。そして、 「深月…」 笹が擦れるような声だった。 とりわけ愛しいものを呼ぶような。 思わず深月は反射的にナイフを持つ手に力を込める。 「…っ…また、会いましょう…ね」 後ろに回されたそのままに、男の体重が一気に深月にかかってきた。 慌てて男の拘束から逃れるためにナイフを抜き、床に突き飛ばす。 男は人形のようにごろりと投げ出された。 「意味が、わからない」 どうして自分の名前を知っていたのだろうか。 ナイフに付いた血を丁寧に拭き取る。 男の心臓から流れ出した血が、じわじわと床を浸食していた。 『過去』の人間が『未来』の人間をどうして知り得る…? 男の側へとしゃがみ込み、顔を眺めるが、やはり覚えはない。 「なぜ…あなたは…」 手を伸ばそうとすると、景色が大きく歪んだ。 物たちは粒子となり、それらの粒子は形を保つのを拒否しだした。 男の死が確認されたのだろう。 深月が未来へと戻る時間である。 もう男は死んでしまった。 深月は思った。 また過去へ言ったときに若い頃の彼に会う可能性は、きっと限り無くなく0に近い。 そして、死んでしまった彼は問いに答えることはできないのだ。 もうどうにもできない。 そう、終わったことなのだ。 深く気にする必要はない。 そう自分に言い聞かせる。 しかし目を閉じると、男の言葉が内側から響いてきた。 『……また、会いましょう…ね』 耳に触れるか触れないかの距離で囁かれた声は、まるで深月の身体に絡み付いてくるようだった。 [戻る] |