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七夕  (西浦)
夕方、駅前の雑踏。
買い物した荷物を自転車のカゴに入れ、エナメルのバッグを肩に掛け直して、ふぅと溜息をつく。

梅雨の合間の晴れの日、グラウンドで思いきり練習するには絶好の日和だったけれど、生憎テスト期間の真っ最中。
練習は厳しく夏の大会も目前だけれど学業優先の西浦野球部は、この時ばかりは野球から離れた生活を余儀なくされている。
栄口は、学校から近くて広い三橋家での勉強会を断って夕飯の買い物を済ませ、駅前のスーパーの駐輪場で姉から預かったメモを確認しながら買い忘れがないかをチェックして、ふと、視線の端に揺れる何かに気付き、顔を上げる。

目の前に、大きな笹。
色鮮やかな笹飾りと短冊が、昼間の熱を未だ含んだ風にさらさらと揺れる。

「たなばた…そか、もう7月だもんな」


母がいた頃、7月になると父がどこかから笹を貰ってきた。
まだ小さかった弟の分も短冊を書いて、姉と作った笹飾りを姉弟で飾った。
―――家族5人の、大切な思い出。


「そういえば、最近飾ってないなあ…」

ふと、小学生の弟を思う。
母との思い出は朧げだろう。姉も自分も学校があって、父は出張が多く留守がちの我が家。
父も姉も兄も忙しいことをよく理解している幼い弟は、淋しいとはっきり口にすることはない。

「…淋しくないはずないよね……」

やめるつもりでいた野球をこうして続けていられるのは、家族の支えがあるから。それを栄口は痛感している。
夏大を前に、練習量がさらに増えた。
朝早く帰りも遅い自分は、当番制だった家事も弟の相手もあまり出来ていない。
だからこそ、テスト期間だろうがなんだろうが、練習がない日くらい自分が家事をやろうと思っているのだけれど。

自転車に乗って帰りを急ぎながら、あらためて家族に感謝していた栄口は、あることを思いついて自転車を停め、携帯を取り出す。
「―――あ、もしもし三橋?栄口だけど」
『え、あ…さっ、さかえぐち、くん?どうした、の?』
夕飯の当番だから、と勉強会を断ったはずの栄口からの電話に、わたわたと三橋が答える。
「勉強してるとこ、ごめん。ちょっと聞きたいことあって。あのさぁ…三橋ん家って、笹ある?」
『さっ…ささ?』
「うん。七夕で飾るやつ。もしあるなら貰えないかなぁと思って」
『えっ、あ、…ささ、笹…あっ』
わたわたわたわた。
その動作が想像できて、思わず笑みが零れる。
けれど三橋の慌てっぷりに、やっぱり明日学校で話したほうが良かったかな、と思っていると、電話口の声が一際低いそれに変わる。
相変わらず不機嫌そうな、聞き慣れた声。
『あぁ、もういいから代われ。もしもし栄口?阿部だけど、何?』
「あ、阿部?いや、駅前に七夕の笹飾りがあってさ、見てたらなんか懐かしくなって家でも久しぶりに飾ろうかと思ったんだよね。で、三橋ん家に笹があったら貰えないかと思ったんだけど…」
『へぇ、七夕ね……おい、三橋!!』
『あっ…ある、よ…』
『聞こえたか?あるってよ』
「良かった、じゃあ今から行っていいかな」
『おー、言っとく』
ぷつり、と携帯を切る。
家に向かっていた自転車の方向を三橋家へ変え、ペダルを踏む。

「三橋、ごめんな〜急に。でもありがと」
「う、ううん。へいき、だよっ」
三橋家に着いた栄口が伐りたての笹を抱え、嬉しそうにふわりと笑う。
「ってか、なんでいきなり笹?」
「あ、七夕?駅前に大きな笹飾りあるよね」
「うん。見てたら懐かしくなって。弟が小さいときは飾ってたんだよね」
「へぇ、良いね。うちも飾ろうかな…。妹、喜びそうだし。三橋、俺も貰ってもいいかな?」
西広の言葉に、こくこくと三橋が頷く。
「どうせなら部室に飾ろうぜ!!なあ、花井」
「あー…そうだな、一応シガポに聞いてみっか。っつうか、田島と三橋は七夕よりテスト気にしろよ?」
栄口が嬉しそうに話すのを見ていた田島の提案に、主将としてクギを刺した花井は、験担ぎではないけれど久しぶりに七夕もいいかも、と思う。
…監督と顧問に許可を得るのは自分だが。
それよりも、栄口やみんなが楽しそうに笑う時間を大切にしたいと思う。きっと誰もがそう思っているはず。
「あ、勉強の邪魔しちゃってごめんね。俺ももう帰らなきゃ。じゃ三橋、本当にありがと!!」
幸せそうな笑みを三橋家に残して、自転車のカゴに笹を挿した栄口は帰り道を急ぐ。


笹を持って帰った時の、弟の顔を思い浮かべる。
途中、姉にも電話を掛けた。
いつもより少し弾んだ声に嬉しくなった。



七夕は一週間後。
栄口家、西広家の玄関先と、西浦野球部部室前に笹飾りが揺れる。




短冊に願うのは
大切な人の幸せと
仲間たちとの未来

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あきゅろす。
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