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叶えたいものは 1
闇に紛れて近寄る気配。
僅かな衣擦れの音。
それは部屋の前で一度止まり、その場に腰を下ろした。
「じいちゃん、僕だよ」
可愛い孫の来訪に、ぬらりひょんは相好を崩した。
「おお、リクオ、来たか。入れ」
その声を合図にからりと音を立てて開く襖。
いつものように墨染の衣と青い羽織姿のリクオが部屋に足を踏み入れ、適当なところで胡座をかいた。
「何の用?じいちゃん」
リクオが小首を傾げる。
ずいぶんと男らしい体つきになってきたが、昼の姿では仕草にやはり子供っぽさが残る。
しかし、奴良組三代目総大将は肩書きだけのお飾りではなく、それだけの阿呆ではないことも知っている。
それは妖怪の力を持たないこの昼の彼にも当てはまる。
「リクオ。お前、今日はずいぶん早く帰って来たそうだが、何かあったのか」
夕食のときにその情報を耳にし、こうして孫を呼びつけたのだ。
いつものように飄々と尋ねるぬらりひょんに、リクオの表情が僅かに強張った。
「ああ、うん。氷麗がちょっと、怪我しそうになったから連れ帰ったんだよ」
氷麗という妖怪はいない。
誰のことかと思いを巡らし、やがてそれが一人の女の名であることに気づく。
早々に気づけたのは、やはり思い出深い女の 子どもであるからか。
ぬらりひょんは目を細め、かすかに口元を緩めた。
それにしても、いつの間に平常でも名を呼び合う仲になったのだろう。
「…………雪女か。怪我は大丈夫なのか」
「うん。しそうになったってだけで、怪我はしてなかったみたい」
そう笑うリクオは、しかしどことなくぎこちなかった。
ここに来ても尚、リクオは迷っていた。
爺にどこまでを話そうかということを。
孫の悩みには気づかずに、ぬらりひょんは大げさに溜息を吐いてみせる。
「にしても、人間の世界も危なくなったのう」
今では何が起こるか分からない世の中になったもんだと、ぬらりひょんは愚痴った。
「氷麗が危ない目にあったのは、僕に責任があるから」
そう言って、リクオは拳を握り締めた。
悔しさに唇を噛み、迷いを吹っ切る。
本人に言うこと以上に、今更迷うことなどあるはずもない。
その拳を見つめていたかリクオの瞳は、意を決したようにぬらりひょんを射る。
「ねえ、じいちゃん。僕、氷麗が好きだ」
はっきりと言い切る硬い声。
突然の一言に、ぬらりひょんは意表を突かれた。
しかし、それを表に出すことはしない。
彼を見つめる瞳が赤く燃えている。
いい目をするようになったのう、と彼は内心ほくそ笑んだ。
しかし、と内心で呟いて、真剣なその一言を笑い飛ばした。
「そうかそうか。お前も男になったもんじゃのう。しかし、お前はちと真面目すぎじゃ。わしが若い頃は毎夜毎夜 女をとっかえひっかえ……。雪麗にも呆れられたもんじゃ」
目を細めて思い出すのは愛しい昔。
まだ珱姫とは出会っていない頃の話だ。
端正な顔に、思い切りの良い性格。
大将たる器、百鬼を従える畏れ。
完璧とも言える男だ。
モテないはずがない。
そして、その血をリクオは継いでいる。
ぬらりひょんの若き頃を知る者が、口を揃えてぬらりひょんのよく似ていると絶賛するほど、夜の姿のリクオは若き彼によく似ていた。
それを知っているからこその助言だ。
「お前もまだ若い。今は一人に決めずに少し遊んでみたらどうじゃ」
此奴(こやつ)も夜に遊びに出ることはあるようだが、それでもまだ一人前の男にはなっていないようだ。
しかし、そこまでの潔癖でもないだろう、と提案するぬらりひょんを半ば睨みつけて、リクオは硬い声で否定した。
「僕は、氷麗以外いらない」
女を抱きたいがためではない。
彼が求めるのは、氷麗という一人の存在だ。
真剣さを笑い飛ばすぬらりひょんを睨む瞳は、赤く燃えていた。
爺は色を知ってこそ一人前の男だと思っているが、きっぱりと断る孫はやはりまだ尻の青い若造なのか。
ぬらりひょんはもう一つ溜息を吐く。
何故よりによって雪女なのかなんて、詮ないことだと分かってはいるが、そう思わずにはいられない。
「雪女は一途じゃろう。あれらは誇り高い一族じゃ。主と認めた者にはどこまでも尽くす女じゃ。
お前、雪女と盃を交わしたと言っておったのう。あれもまた、お前を好いておるのじゃろう」
また、というのは彼女の母、雪麗のことだ。
あれは最期まで誇り高くあった。
何色にも染まらぬ純白の雪のような女だった。
彼女から送られてきた娘は、彼女によく似ている。
その彼女らの気性を知っているだけに、許せないこともある。
「女を知らぬお前が側近に手を出してどうする気じゃ。本気の女を遊びで抱くほど馬鹿な男はいないぞ」
戯れが戯れで済まされないことも多々あるものだ。
いっときの気の迷いで手を出す相手には、本気の女は向かない。
無駄に期待を持たせておいて裏切るほど、手酷い仕打ちはない。
だから彼自身も、雪麗に手を出すことはしなかった。
口づけで凍死することを理由に、ずっと逃げ続けたのだ。
彼女が畏れの調節をきちんとこなせることは知っていたけれど、そう言うわなければ逃げようもなかったから。

嘲るような言い方に、リクオは静かに怒りを燃やす。
本気の想いを遊びだと括られて黙っていられるほど、弱い気持ちではない。
誰に相談することもなく、本人に告げたのだ。
たとえ反対されようとも、簡単に諦められるような気持ちではない。
そもそもその程度の気持ちなら、全てが崩れる危険性を犯してまで想いを口にしたり、その心を欲したりしない。
「遊びじゃない。僕だってたくさん悩んだ。すべてをめちゃくちゃにしてしまうと分かっていても、それでも……言わずにはいられなかった……」
その言い草に、ぬらりひょんは苦虫を噛み潰したように表情を歪めた。
さては此奴、既に女を口説いたか。
バカめ、と悪態をつくが、それはどこか語気が弱かった。
同じ雪女に惚れられた爺と孫なのに、こんなにも辿る道は違うものかと、どこか妙に感慨深かった。
どんなに言い寄られても応えようとしなかった爺。
彼女の想いを知らぬまま惚れた孫。
ぬらりひょんだって、雪麗のことは好いていた。
一瞬でも興味を持たなかったと言えば嘘になる。
美しい雪女だ。
あの当時、家事はほとんどあれがやっていたと言っても過言ではない。
美貌はもとより、その働き回る姿に興味を抱いた。
しかし、興味はあったが、あれはどこまで経っても朋友だった。
本気だと分かっているのに戯れで抱いて、泣かせるのは趣味ではない。
何よりそうして彼女が屋敷を出てしまうことを懸念していた。
あれがいない屋敷は、きっと寂しい。
抱いたことがなかったせいか、むしろあれは女というより大切な戦友だった。

ふうと息を吐いて、脳裏に次々と蘇る記憶を追い払う。
そして、中から最も言っておかなければならないことを選び出す。
のほほんと笑っていたぬらりひょんの目が、厳しい視線でリクオを見据える。
それは一瞬たりとも彼の心の動きを見逃すまいとしているようだった。
「リクオ。わしと鯉伴が人間としか子が成せなかったこと、知ってるな」
リクオは神妙に頷く。
ぬらりひょんには実証のない話だったが、息子の人生から考えると、おそらく彼もそうだったのだろう。
「わしは珱に惚れたが、鯉伴は初め 妖怪を娶(めと)った。しかし、子が成せなかったために、彼奴(あやつ)らは別れたのだ」
珱姫の形見とも言える一人息子だった。
ぬらりひょんの血を後世に継ぐためには、鯉伴はどうしても子を成す必要があったのだ。
「知ってるよ、じいちゃん」
リクオはぬらりひょんが何を言いたいのかを探りかねて、あくまで表はきょとんと、しかし内心で眉を潜めた。
「リクオ。お前はわしの血を引き継ぐ唯一の後継者だ。奴良組の跡取りを産まねばならねぇ。羽衣狐は失せたが、呪いが消えたかは分からん」
リクオはぎゅっとその拳に力を込めた。
羽衣狐との呪いが消えていなかったら、リクオと雪女が平和に隣で暮らせる未来はあり得ない。
リクオは敏い。
自分が何を求められているのかもよく知っていた。
大人になるにつれて、彼の色恋沙汰が組内での懸念の一つになっていることも。
「もし、鯉伴のように妖との子が成せなかったら、お前は一度愛した女を手放せるか」
この血を、絶やすわけにはいかない。
情けないとは言え、ぬらりひょんの血がなければ百鬼を率いれるかさえ怪しい。
跡取りを産めない女と惚れた腫れたの押し問答をしているどころではなくなるのだ。
血縁や潜在能力だけが絶対だとは思わないが、どうしてもそれは必要なものであることも確かなのだ。
「互いが愛し合っているのに別れねばならぬのは、とても辛いじゃろう。その苦しさに耐えれず、愛し合った日々を憎むかもしれぬ。
__覚悟はできてるのか」
問われて、リクオは瞑目した。
墨色の衣を握り締める。
心臓が嫌な音を立て続けていた。
幸せだった日々を憎むかもしれないほどの覚悟。
それがこの時点でできているかと問われても、リクオは返しようがなかった。
答えられないリクオに、ぬらりひょんは重ねて問う。
「…………後悔、しないのか」
リクオは閉じていた瞼を開き、赤く光る瞳で眼前の爺を睨みつける。
その問いには即座に答えられる自信があった。
だって、心なんてとっくに決まっている。
「しない。
挑戦する前から諦めるんじゃなくて、挑戦してみて納得するんだから、後悔なんてしない」
たとえそれが自己満足だろうと、いつか苦い過去に悶えることがあろうとも、それでも後悔する日だけは一生ないだろう。
それだけは、はっきりと誓える。
ただ、とリクオはさらに続けた。
「ただ……氷麗は僕の組に必要な人材だ。氷麗が僕を避けることになっても、もし氷麗が僕を受け入れてくれて、子が成せなくて別れても、僕は氷麗にはずっと僕の傍にいて欲しい。そのときはもう一度側近として。__それは、わがままかな……」
もし氷麗がリクオの気持ちに応えなければ、彼女はリクオから離れようとするだろう。
そして、たとえリクオに応えて夫婦になっても、子が産めないなんてことになれば、彼女は山吹乙女のように彼の前から姿を消すだろう。
氷麗の性格は知り尽くしているつもりだ。
けれど、それでも彼は彼女を手放す気にはなれない。
彼女は何にも変え難い存在。
いつも、一緒にいた。
彼女が傍にいない日々は、想像さえつかない。
彼女を手放すくらいなら、自分の気持ちくらい抑え込んでみせる。
爺は話は終わったと言うようにそっぽを向いた。
「そんなことは女に聞け。わしは、そこまで知らん」
言い捨てた彼は、気づかれぬところで、ふっ、と笑った。

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