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お傍に 1
リクオさま。
氷麗(つらら)は、いつでもあなたさまを見つめております…。







「リクオさ…__リクオくんっ」
無意識でいると、学校で あることも忘れてリクオさまと呼んでしまいそうになる。
こればかりは、いつまで経っても直りそうにない。

本日最後のHRが長引いてしまい、私は若を待たせているだろう教室に急いだ。
私の声に気づかれた若が少し笑って私を振り返った。
「なに焦っているの、氷麗」
ゆったりと苦笑しながら、若がこちらに歩み寄ってくださる。
教室には部活のない生徒がまだ残っていて、彼らが物珍しそうに私たちを見ていることに、私は気づかなかった。
「お待たせしてすみませんでした。私めの都合で若をお待たせするなんて…」
さっきまでより格段に人の気配がなくなりつつある廊下で、若に頭を下げる。
本当は指をついてもっとちゃんと謝りたいところだけれど、ここはコンクリートだし学校だし、そんなことをすれば目立って仕方がない。
「いいんだよ。HRだろ、仕方ないんだから」
しかし、若はどこまでも優しくて、私を諭すように慰めてくださった。
帰ろう、とカバンを担ぎ直し、歩き始められたその背中に私は続く。
廊下を歩きながら、ふいに思い出したように若が尋ねられた。
「そういえば、青はどうしたの?姿が見えないけれど」
「はい。青は掃除当番なので、少し遅くなります」
「待ってなくてもいいの?」
下足場に着いたにも関わらず、ともすれば教室に引き返しそうな若に、慌てて両手を顔の前で振った。
「もちろんですっ。私たちの都合で若を振り回すなど、以ての外ですから。若のことは、この私がちゃんとお守りしますから安心してください」
若は苦笑して、下駄箱に向き直る。
私も下駄箱から靴を取り出そうとしたとき、靴の上に紙切れが乗っていることに気づいた。
「そんなに硬くならなくてもいいよ。いつも僕の都合について来てくれてるんだから、それぐらい構わないのに」
その紙切れに気を取られ、若の言葉を聞き流してしまう。
「……氷麗?」
靴を履かれた若が動かない私を覗き込む。
不思議そうな瞳に我に返り、私は慌てて手の物をポケットにしまった。
「あ、すみません。ぼうっとしてて」
「なに、隠したの」
突然の詰問口調に思考がついていかない。
「え?」
「さっき隠したもの、なに?見せて」
そう言って手を出されては誤魔化すことも出来ない。
嘘を赦さない少し鋭くなった視線と有無を言わせない口調に気圧され、私は素直にそれを若の手のひらの上に置いた。
「……これが下駄箱に入っていたの?」
「はい。さっき開けたときに見つけて。何でしょうね、誰かが入れ間違えたのでしょうか?」
それは、よく見ると封筒だった。
藍色の星の散った柄。
誰かが誰かに用があって入れたものかもしれない。
しかし、間違えられていてもそれを正しい本人に渡すことなど出来ない。
それには宛先が書いてないのだから。
唯一封筒に書いてあるのは、差出人の男の名。
しかし、それは聞いたこともない名であった。

若はわずかに顔を歪められたかと思うと、はい、と封筒を私に返してくださった。
「私が貰ってもいいのでしょうか」
「うん。十中八九 氷麗宛てだと思うよ」
踵を返したその背に更に言い募る。
「でも、私はこの人を知りません」
「いいから。…家に帰ったら、ちゃんと読むんだよ」
強制的に会話を終わらせようとするような声音に、私は視線を手紙に落として、小さく了承の返事を返した。
靴音に顔を上げれば、若は歩を進められ、既に下足場から出られるところだった。
私は慌てて手紙をしまい直し、若を追う。
「お待ちください、リクオさまっ。一人で出歩かれてはいけません。リクオさまっ」
また気を抜いてリクオさまとお呼びしていることにも気づかなかった。
そんなことよりも、振り返ってくださらなかった若が、寂しかった。



このとき、若は気づいておられたのだろうか。
この、手紙の内容を。



「ねえ、氷麗。僕は、氷麗も青も皆、大切な家族だと思っているよ」
日の落ちてきた通学路を歩きながら、今まで無言だった若が突然口を開かれた。
しかし、あまりに唐突で、真意が図れない。
「若?」
一歩後ろから乗り出し、見えた若の横顔はどことなく凛々しかった。
「だから、僕に従うだけじゃなくて、ちゃんと自分の人生を生きて欲しいんだ」
「私は、リクオさまと行動を共にできることを幸せに思っております」
それは、心からの言葉だった。
今更若のお傍から離れることになってしまったら、私はきっと一日を長く感じることだろう。
リクオさまのお傍でリクオさまを見ている毎日が、私にとって充実している日々なのだから。
しかし、若はどこか寂しげに笑って、左右に首を振った。
胸の詰まる、大人っぽい表情だった。
「氷麗。氷麗はもっと自分の時間を作っていいと思うよ。せっかく学校に来ているんだから、楽しんで欲しい。僕の護衛なんて放ってもいいからさ」

私は瞠目した。
足が知らぬ間に止まっていたことにも気づかなかった。

__今、若は何と仰った?

心が痛い。
泣いてしまいそう。

俯いて、零れそうな涙をぐっと堪える。
足が止まっていた私に気づいて、若が戻ってきてくださるのが気配で分かった。
ああ、何をやってるの、私……。
情けないにも程がある。
さっきよりずっと近くで名を呼ばれて、震えそうな声を押し出した。
「__それは、私がお邪魔をしているからでしょうか…?私が、若の周りをうろちょろしているから…若の、ご迷惑になっているのでしょうか…?」
……怖い。
若から、要らないと言われることが怖い。
若のお傍から離されてしまったら、私は何の為に生きていけばいいのだろう。
ずっと、私の世界はリクオさま中心だと言うのに…。
「違うよ、氷麗。そうじゃない」
優しく否定してくださる若の声は、しかし、どことなく硬かった。
「では何故、そんなことを仰られるのですか」
顔を上げて、まるで責めるような私に若は踵を返される。
その表情は、もう見えなかった。
「__……あの手紙を読んだら、きっと分かるよ」







初めまして。突然のことで驚かれていると思いますが、僕はあなたが好きです。美しさも可愛さも兼ね備えているあなたに一目惚れました。ただ視界に映る度に見つめているだけでよかったのに、だんだんと想いが大きくなって、こうしてお手紙を書いている次第です。
明日の放課後、屋上で待っています。良ければ返事を聞かせてください。
 及川 氷麗さま
          桐生 朔夜(きりゅう さくや)



「……えええっっ!?!?」
帰ってから諸々の仕事を終え、床につく前に開いた手紙の内容に驚きの声を上げる。
これはいわゆるラブレターというやつだろうか。
何度も読み返してみても、内容が変わることはない。
はっきりと『好き』だと『一目惚れ』だと書かれている。
私は手紙を放り出して布団に寝転んだ。

どうすればいいのだろう。
雪女である私が人間の男の子に告白されるなんて。

頭がぐるぐると回っている気がする。
気持ちがぐちゃぐちゃになって、訳が分からなくなってきた。

__私には、リクオさまだけなのに。

ふいに浮かんだ想いに思考がはっきりとしてくる。

そうだ。
どうすればいいかなんて、最初から決まっていた。
いつだって、私の想いがリクオさま以外に向くことはない。
ましてや人間だ。
私の本性を知らない男に見初められたり口説かれたりしたところで、私の心を揺るがすことは出来ない。


人間は、妖怪を畏れる。

それが、この世の摂理なのだから。







それにしても、困った。
断るにしても、人間が待っているのは放課後だという。
これでは若のお傍を離れて私用を済ませるか、私用のためにまた若をお待たせしてしまうことになる。
そんなことは断じて赦されないことだった。

若の後ろを青と並んで登校しながら、答えの出ない問題にうーんと唸る。
そのとき、若がふと振り返った。
「あ、そうだ。今日、僕 掃除当番だから」
都合の良すぎる話に、私はまじまじと若を見つめてしまった。
「本当ですかい。そんなら、わしらはお待ちしてやすね」
「うん。多分長引くからさ、ゆっくりしてていいよ」
妙に意味深長に若と目線が合った。
しかし、真意を問いただす前に、若は家長 カナを見つけて走り寄ってしまった。







放課後。
青に一言断ってから、屋上に向かった。
そこには、すでに人影があった。
「良かった、来てくれたんだね」
「あの、あなたの気持ちは嬉しいんだけれど、私はあなたの気持ちに応えることは出来ません。ごめんなさい」
それが、私にとって一番誠意のある答え。
また、リクオさまのお傍で仕えるために、私は片をつける。
これで終わったと内心ほくほくしていた私は、このあと続いた言葉に意表を突かれた。
「それって、奴良 リクオくんのこと?」
「え?」
「知ってるよ、君がリクオくんをいつも見つめていたことは。僕も、君を見つめていたから」
「それなら…」
知っていたのなら、どうしてわざわざこんな手間を取ったのだろう。
「それでも、諦められなかった。こんなにモテる君が片思いしてるんだから、一度振られてるのかもしれないし、叶わない恋なのかもしれないって思ったら……」
人間の言葉はおそらく的を射ている。
私は一瞬瞑目すると、朱と藍とが混ざり始めた空を見上げた。
私には心地よい冷たさの風が、髪で遊んで去っていく。
「確かに、私のこの想いは叶わないのかもしれない。でも、たとえ叶わなくても、私があの方のお傍を離れることはきっとない。私は、想いを叶えるためにお傍にいるわけではないのだから。あの方のお傍にいられることが、あの方をお守りできることが、とても、誇らしいから。私はあの方のお傍で、あの方のご成長をこの目に刻むために、お傍にいるのです」
いつか必ず、ご立派になられる我らの主(ぬし)のお姿を、できるだけお傍で目に焼き付けたい。
……それが私の真実だった。
それこそが、私がリクオさまに抱く思い。
想いなど、その中の僅かでしかない。

人間の男の子は困惑した表情で私を見ていた。
やはり、人間には分かるまい。
「意味が分からないよ、氷麗ちゃ_」
「名を呼ばないでっっ!!!」

『氷麗』
若のお声が耳に蘇る。
私がその名を呼ぶことを許しているのは、若だけ。
人間風情にその名を呼ばれるなんて、不愉快だ。
絶対零度の冷気が屋上を満たす。
「私の言葉が分からないのならば、私のことなど早々に諦めなさい。あなたでは私の心は動かせない。想ってきた年月が遥かに違うのに、勝てるとでも思っているの」
言い捨てて、私は屋上を出た。



人間は、いつだって傲慢で馴れ馴れしい。
誇り高き雪女は、一度決めた主(あるじ)にしか一生を捧げない。
母はぬらりひょんさまに。
私は、盃を交わしたリクオさまにだけ。



しかし、屋上にいたのは十分も満たなかったはずなのに、教室には誰もいなかった。







「若っ若ぁっっ!!」
家に帰るなり、私は靴を揃えることもせずに若の部屋まで屋敷を駆ける。
部屋の中ではなく、縁側に若は昼のお姿で佇んでおられた。
「雪女、顔が真っ赤だよ。走って帰ってきたの?早く冷水でも浴びないと溶けてしまうよ」
自分の身体が熱いことは自覚していた。
しかし、そんなことより確かめなければならないことがある。
「誰のせいだと思っているんですか、誰のっ!! 酷いじゃありませんかっ。掃除当番だと嘘をついて私を置いて帰るなんてっっ」
あのとき、掃除当番はまだ掃除をしていた。
彼らに聞けば、今日は若の当番ではなかったらしいのだ。
「だって、そうでもしないとお前は返事もしないつもりだったろう」
「当然ですっ。若と人間を天秤にかけるなどおこがましい。答えは最初から決まっているのですから」
おかしいと思ったのだ。
こんなにも都合の良いはずがないと。
それなのに、まんまと若の嘘に嵌められた自分が情けない。
「どうしてそんなに怒っているの」
若は怪訝な顔で尋ねられた。
まるで、怒られる心当たりなどないというように。
「若こそ、どうして置いて帰ったりしたんです。急ぎの用がおありだと知っていれば、あんなの放っておいたのに」
私が詰め寄ると、若は罰が悪そうに顔を背けた。
視線は葉も花も落としてしまった桜の木に投げられた。
「__急ぎの用なんてないよ」
「だったら、何故っ?」
季節は冬。
昼の外気でさえ若には寒いのに、夜になり更に冷え込む縁側ではきっと耐えられないのではないだろうか。
今だって、いつもの墨染めの着物に冬用の少し厚い羽織しか纏われていない。
若の息が白い。
身体の熱さが引かない。
若には寒い冷気さえ、私を冷やすことは出来ない。
「僕がいなければ、お前はその男の子と一緒に帰れるだろう」
思いも寄らない返答に、気づかされた若のお考え。
「それって、私があの告白を受けると…そう思われていたということですか」
若は分かっていてくださるものだと思い込んでいた。
たとえ若があの手紙がラブレターであることをご存知でも、私の答えは是でも了承でもないことを。
嘘までついて送り出してくださったのは、けじめをつけさせるためだと。
「まさか、人間ですよ?」
「僕のおばあちゃんもお母さんも人間だよ。妖怪と人間の混血も珍しいことじゃないだろ」
……分かっていてくださるものだと思い込んでいた。
「良い機会だと思うよ。昨日も言ったように、もっと学校を楽しんだらいい」
「私には…リクオさまのお傍にいられることが、唯一絶対の幸せだというのに……。私からリクオさまを取り上げるおつもりですか」
ああ、心が砕けてしまいそう。
想いが叶うことは望まないけれど、お傍でご成長を拝見することさえ叶わないということだろうか。
「雪女は、もっと世界を見たらいい。僕の傍で仕えることだけが、お前の存在意義じゃない」
どうして、リクオさまは……__。
足の力が抜けて、傍の障子を掴み身体を支えた。
身体の熱が冷めない。
このまま、溶けてしまいそう。
「どうして…名を、呼んでくださらないのです…?昨日までは、氷麗と呼んでくださっていたではありませんか。人間の格好のときは氷麗です、リクオさま」
身体中から力が抜けて、その場にへたり込んだ。
ガタリと障子が音を立て、若が私を見て駆け寄ってくださる。
「雪女っ…。こんなに熱くなったら溶けちゃうよ」
若の手がいつもより冷たい。
それはリクオさまの手が外気で冷えているのか、私の身体が熱いのか、もう分からなかった。
「学校での私の行動がお気に障られたのでしたら、学校へはもう参りません。ですから、どうか屋敷の中だけでも……」
「言っただろう、雪女。そういうことじゃないんだ」

__どうして、若はこんなにも辛そうな表情をなさっているのだろう。

考えを巡らそうとしたとき、視界がグラリと廻って、仄かな温もりに包まれたところで、私の意識は途切れた。







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