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憎しみが生むもの





風が、通り過ぎる。
さわりと頬に触れるのは白い髪。
僕は一度目を閉じて、そして開いた。
その先に見えるのは、大きな背中と風に弄ばれる赤い髪。
「__ねぇ、師匠」
僕が立ち止まると、繋がれた手がくん、と引っ張られ、師匠が振り返る。
お前はすぐに迷子になる、と大きな手が差し出されたのはついさっき。
僕らは今、街に居た。
あの、既視感を覚えた街。
「ねぇ、師匠。師匠は覚えていますか?この景色…」
師匠はただちらりと景色に視線をやった。
その先で、一人の男の子が軒先で転ぶ。
年は10歳くらいだろうか。
転けた衝撃と痛みに滲み出る涙を堪え、少年は母親のところに駆けていった。
師匠も僕も、それをじっと見つめていた。
やがて、ひどく長い間が経って、その少年も母親も見えなくなってもずっと見つめながら、師匠は声を零す。
「………ああ。こんな、街だったな…」



+++++



その日も、太陽が沈むまではいつも通りだった。
いつものようにバイトをして、身を粉にしてふらふらで。
これから帰ったら食事の用意をしなくちゃ。
遅いってまた怒鳴られちゃうかな?
いっそ、今日は外に食べに行こうか。
そんなことを考えながら、僕は幽鬼のようにふらふらと歩いていた。
その頃は、僕は師匠の弟子になって一年と少し経った頃で、Lv.1のAKUMAを破壊することに慣れてきた頃だった。
ふらふらと歩いていた僕は宿屋への帰り道を見失い、きょろきょろと辺りを見渡した。
そのとき、ちらりと視界の端に映った白いもの。
それを追うと、見つけたのは奇怪なデブ。
あのときの、変な奴。
マナを、父さんを苦しめようとした奴。
左眼の傷が疼く。
奴の名を。
「せっ____」
千年伯爵、と叫ぼうとした。
怒りと憎しみを込めて。
叫んで、襲いかかろうとした。
左手は妙に熱く、発動の準備は出来ていた。
けれど、叫べなかった。
襲いかかれなかった。
後ろから、何者かに口を塞がれ、左手ごとまるで抱き竦めるようにして裏路地に引き釣り込まれた。
「__っ!!!」
離せ。
離せっ。
離せっ!!
ばたばたと暴れて、それでも腕は緩まない。
服からよく知った煙草の匂いがした。
「落ち着け、馬鹿弟子」
低い声はよく知っているもの。
この一年、嫌というほど聞いてきた。
それでも僕は、暴れるのを止めない。
止めない。
どうして、どうして止めるんですか!!
目と鼻の先に、我らの天敵がいるのに。
「お前が出て行ったところでなんになる?みすみす殺されてイノセンスを壊されるだけだろうが。お前はエクソシストだ。殺させるわけにはいかねぇ。じっとしてろ、アレン」
アレン。
その声はまるで僕を落ち着かせるようで。
僕は師匠の手の中で唇を噛み、鼻で荒い呼吸を繰り返した。
両眼から何かが零れる。
右眼は涙だが、左眼から滴り落ちるのは赤い血だった。
目の前を、すぐ目の前を、伯爵がのんびりと通り過ぎる。
それでも気づかないのは、きっと聖母ノ柩(グレイヴ・オブ・マリア)の聖母ノ加護(マグダラ・カーテン)のおかげだろう。
身体が震える。
心が痛い。
涙が、血が、止まらない。
止まらない。
「__ぅくっ、ひっく……」
伯爵が通り過ぎてから長い間経って、やっと師匠は僕を離した。
僕はもう自分の身体を支えられず、膝から崩れ落ちる。
地面に倒れ伏して、土を思い切り拳で殴った。
「ぁあっ!!あ"あ"あ"っっ!!」
涙が、血が、土に黒い染みを作っていく。
悔しいのか。
哀しいのか。
この心に燻る感情を、なんて表すのか僕は知らない。
そのとき、機械音を立てて僕の左眼がAKUMAの存在を探知した。
「チッ!!ご丁寧に置き土産かっ」
苦々しい師匠の声につられて顔を上げると、そこにいたのは数十体のAKUMAたち。
当時の僕にはこれほどの大群を見たことがなかった。
いつも多少なり束になってかかってこられるときは、師匠は僕に逃げろと指示をした。
きっと今日も逃げろと言われるだろう。
まだ弱い僕は足でまといだ。
でもっ。
「わぁああああああ"あ"あ"あ"っっっ!!!!」
泣いている。
みんな、泣いている。
救わなくちゃ。
壊さなくちゃ。
ああ、憎い、憎い。
こんな苦しみを与えている伯爵が憎い。
こんな苦しみをマナに与えようとした自分が憎い。
ああ、醜い、醜い。
僕の左眼に映る魂は醜い。
僕は、醜い。

手、が。

発動した手は鉤爪のような形にはならず、見られないくらい、表現できないくらい、醜いものに成り果てる。
ぐっと襟首を掴まれて、後ろに放り投げられる。
鼻腔を擽ったのはやはり嗅ぎ慣れた匂いで。
離れて行く背中はあまりに大きく。
その強さに憧れて、切望して、僕は手を伸ばす。
けれど、それが届くことはなく、背中をコンクリートの家の壁に叩きつけられた。
「__っ!!」
息が、詰まって。
頭上で爆発音。
同時に、AKUMAの反応も消えた。
己の弱さに歯噛みして。
ただ地に倒れ伏すしかできない己がみっともなくて。
辛くて苦しくて醜くて。
醜くて憎くて憎くて。
憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて。
ジャリ、と。
発動の止まらない原型を留めていない醜い手を、師匠のブーツが踏みつける。
踏み躙る。
容赦ないその行為は痛みを伴って。
それでも、左眼の血は止まらない。
「ぅああ、ああっ!!」
「悔しいのなら強くなれ。感情に囚われない強さを身につけろ。憎しみで戦うことは許さん」
見ろ、この左手を。
神の結晶を人間の醜い感情で穢した成れの果てだろうが。
どれくらい、そうしていたのか。
心を満たす感情が憎しみから痛みにすり替わり、左眼から滴り落ちる血が乾いた頃、師匠は踏み躙っていた足を退かした。
僅かだが地に減(め)り込められた左手は、発動されていない赤い腕に戻っていた。
師匠は無言で踵を返し、月に向かって歩いていく。
振り返らない黒い団服、赤い長髪。
さっさと来い、アレン。
名を呼ぶのは低い声。
僕は左手を右手で支えながら、その大きな背を追った。



それが、師匠との修行時代に受けた、唯一の折檻らしい折檻だった。



+++++



おそらく師匠も当時を思い出していたのだろう。
師匠は目を細めて苦笑した。
「ちったぁマシな発動ができるようになったか?」
それでも嘲るような口調に、僕も笑って返す。
「さあ?師匠が自分の目で確かめてください」
どうせ、これからまた長い旅になるんでしょう。
そう続けると師匠は鼻で嗤った。
図らずも教団関係者ほぼ全員にカミングアウトされた僕の性別は、彼らに思いの外大打撃を与えたらしくこのまま僕が教団にいるのは宜しくないと判断され、僕は師匠の任務の手伝いを任された。
それはどうやら難しいものらしく、長期任務になるらしい。
まあ、師匠と一緒にいられるから文句はないけど。
「これからはもう愛人にはツケられねぇからな、お前頑張って働けよ」
「慎んで領収書を取らせていただきますっ」
早速の理不尽な命令に、教団名義で領収書が取れることを知った僕は即答した。
まったく、油断も隙もあったもんじゃない。
難しい任務ならばきっとAKUMAたちは邪魔をしに来る。
働いている暇はないだろう。
けれど、僕を師匠の特別にしてくれるのなら、やっぱり愛人関係は清算されなければならないわけで。
愛人のいない師匠や、スポンサーのいない旅は想像がつかなくて、不安になる。
「………あの、師匠?スポンサーが必要なときは愛人さん作っても__」
いいですからね、と言う前に、師匠が僕の頭を乱暴に掻き混ぜた。
そりゃ、絶対嫉妬して面倒臭いことで喧嘩を吹っかけるんだろうけど。
でも、師匠が修行時代に領収書を取らなかったのは足跡を残さないためだろし。
ならば、難しい任務の邪魔をする気は毛頭ない。
僕がない頭で難しいことを考えていると、師匠はいいんだよ、と苦笑して更に髪をぐちゃぐちゃにした。
僕は髪が乱れたことに少しむっとして、師匠が愛人を作る気がないことに安堵する。
「おら、やる」
僕が髪を整えていると、師匠の手から放り投げられ、反射的に受け取る。
それは小さな鳥籠のようなものがついたネックレスだった。
「?なんですか、これ」
よく見ると、その鳥籠の中には鳥ではなく小さな石が入っていた。
何やら身覚えのある色にハッと師匠を振り仰ぐ。
風に流れた赤い髪の中から、鳥籠の石と同じ色のピアスが顔を覗かせる。
そういえば、ベッドの上で見たとき、ピアスは片方しかついていなかった。
僕は驚いた表情のまま師匠を見つめる。
師匠はにっと笑って、繋いだ手を引いた。
「一人前になったら(臨界点を突破したら)それ付けろ」
「っ、はいっ!!」
僕は嬉しさに心を弾ませながら、師匠の背中について進んだ。







お前が、消えない証拠が欲しいんなら、証拠がないと不安なら。
そう、言われているようで。











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