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第三話… 帰りがけ
始業式は1時間もかかることなく終了した。
続いてLHRが催され、新しい荷物が机の上に高々と積まれていた。さすがに大学受験を控えている身では、参考書の量が半端ではない。今日一日では持ち帰れそうにないため、仕方なく半分は机の中にしまうことにした。
行きに比べて随分と重たくなったかばんを担ぎ上げ、蘭は新一を呼ぶ。
「新一っ!♪」
新一は学生かばんを閉じて、蘭を振り返った。黒髪の後ろ姿がきょとんと惚(とぼ)けたような幼顔にさし替わり、蘭の胸はきゅんと締め付けられた。新一が帰ってきたのだと、朝のサプライズが夢ではないということが、急に実感を伴って彼女の胸を疼かせたのだ。
新一の蒼い瞳が"どうした?"と優しく尋ねる。
言葉はなくてもわかる、この距離が…
快晴の日の青空のように澄んだ蒼い瞳を再び見れる、この瞬間が…
嬉しくて、堪らなくなって、蘭は破顔した。
狭い教室に詰められた机の間を縫い、転がり込むように、やがて新一に辿り着いた蘭は声を弾ませる。
「新一、帰ろぅ?」
「おう」
新一も上機嫌で答え、揃って教室を後にした。途端、聞こえてくるのは工事の音。
「そういや、新しく体育館ができるんだっけ?」
窓の外を眺めながらポツリと零した新一を見上げて、蘭は目を瞬いた。工事は随分前から始まっていて、生徒たちにはもう慣れた音であり、既に話題になることもなくなった。だから、蘭は今更何の話かと思ったが、すぐに工事が始まったときには新一はいなかったことを思い出した。
「ええ、そうよ。半年くらい前だったかな?工事が始まったのって。どうやら更衣室にシャワーがついたり、器具庫が大きいらしくて、皆出来るの楽しみにしているのよ」
「そういや、古かったもんな〜体育館」
「そうそう。あ、そう言えばね…__」
新一がいなかった一年間の小さな変化を、蘭は得意になって話し出した。それはジョディー先生のことだったり、新出校医や中学校音楽教師の結婚式の話だったり、新一も知っている内容もあったが、彼は一つ一つにきちんと反応を返していた。
「おい、毛利!」
突然、野太い声が止まる様子のない蘭を呼び、二人は振り返る。教務室の前を通りかかった二人を呼び止めたのは、三年生の学年主任を務める空手部の顧問だった。彼は蘭の隣の新一を見て声を上げた。
「おおっ、工藤!!お前、やっと復帰かよ。ったく、二年次丸々休みやがって、受験に響くぞ」
嫌に現実的な脅しに、新一は乾いた笑いを漏らす。
「遅れはこれからしっかり取り戻すつもりですよ」
「お前が本気になったら大丈夫な気もするが…。ま、頑張れよ。それより、毛利。今度の試合について確認したいんだが、今いいか?」
教師は新一の肩を叩いて激励を送ると、学年主任から顧問の顔に切り替えて蘭に向かい合った。しばらく二人だけの話が続き、その間新一は手持ち無沙汰に、青い空を見上げていた。
「じゃ、気をつけて帰れよ」
教師はその言葉を最後に、教務室に入っていった。
「ごめんね、新一。待たせちゃって」
蘭は眉根を下げて手を合わせ、上目遣いに新一を見上げた。それがなんとも彼女らしくて、新一は思わず笑みを零す。
「別に気にすることねぇよ。早く帰ろうぜ、腹減っちまってよ」
「うん、そだね」
二人はまた階段を降り、たわいない話をしながら廊下を歩く。下足場にたどり着くと、丁度志保が靴を取り出すところだった。
「あ、志保ちゃん!」
蘭は笑顔で駆け寄り、自分も靴を履き替える。
「遅かったね、校舎迷わなかった?転校初日だもんね、わかんないことがあったら、遠慮なく聞いてね」
「……図書館に行っていただけだから。今日が始めての登校じゃないし、大体の校舎図は頭に入ってるわ」
蘭の笑顔とは逆に、志保の答えはにべもなかった。蘭は愛想のない志保に言葉が続かなくなった。
「おいおい」
新一は容赦のない志保に呆れ、宮野はこんなやつだからと蘭を慰めようとした。だが、それより前に蘭が笑顔を取り戻す。
「ごめんね、余計なこと言って」
彼女は笑顔を貼り付けていたが、それは先みたいに無邪気なものではなかった。好意が押し返された痛みを隠す、偽りの仮面。それを破ったのは張本人である志保だった。
「謝らないで。あなたは、何も悪いことをしてないでしょう?私が二度も同じ好意を受ける余裕がないだけ。気にしないで」
ぱちくりと蘭が目を瞠り、新一も意外性に驚いて志保を見やった。志保はかばんを持ち直して蘭に向き合う。青空が、彼女の向こうに広がっていた。
飾り気のない、真っ直ぐな言葉。それは一見冷たく感じられるが、ただ不器用なだけだった。どうしてか嬉しさが湧き上がり、蘭は無意識のうちに笑みが口元を彩る。
「うんっありがと!!」
蘭はまるで太陽のように笑顔を弾けさせて、志保に駆け寄る。
「ねぇ、志保ちゃんって家どこなの?」
蘭の無邪気な質問に、志保はちらりと新一に視線を投じる。新一がその視線に気づき顔を上げたら、一瞬視線が交わっただけで逸らされてしまった。
「米花町二丁目二十二番地」
「あれ?二丁目って新一の家の近くよね?」
蘭は首を傾げて新一を振り返った。新一は志保を伺うが、彼女は素知らぬ顔で顔を背けていた。一言以外は何も話そうとしない彼女に呆れ、新一は溜息をついた。
「ああ、隣の阿笠博士んちに居候してんだよ、こいつ」
「…そっか、哀ちゃんもコナンくんと一緒に行っちゃったもんね」
蘭はコナンを思い出して憂いをその瞳に滲ませた。自然と顔が下がり、明るかった表情が歪む。コナンと哀であった新一も志保も、かける言葉が見つからずただ立ち尽くすしかない。重苦しい沈黙に気づいた蘭が、ハッとして顔を上げた。
「でもっ、こうして志保ちゃんに会えたんだから悲しんでばかりいられないよねっ!新一も無事に帰ってきたしっ」
その明るさが無理に作ったものだということは明白で、新一は胸が痛くなった。
「…人は出会いと別れを繰り返す。それがその人にどんな影響を与えるかは誰にもわからねぇ。でも、おめーが何かをもらったなら、その出会いも別れも決して無駄だったとは言わねぇだろ」
「相変わらず詩人ね」
志保が呆れた表情で新一を見やる。彼もジト目になった。
「バーロー。茶化すなよ」
「気障なのよ、あなた。彼女を口説くのなら私のいないところでして」
くすり。
不毛な応酬の合間に聞こえた笑い声に、二人は蘭に視線を落とす。彼女は喉元でクスクスと笑い、肩を震わせていた。その様子にはさっきの憂いは感じられず、志保は安心して踵を返そうとする。
「じゃあ、私帰るから」
「えっ!!一緒に帰ろうよっどうせ同じ方向だし」
蘭は瞬時に志保に縋りつかんばかりに引き止めた。
「……邪魔物は退散するわ」
「邪魔なんかじゃないって!!ねぇ新一っ」
「蘭がいいなら、俺は別に…」
急に話を振られた新一は適当に答えを返す。志保は意地悪く笑みを零した。
「あら、二人が夫婦だって噂されてることはもう知ってるわ」
瞬間、蘭は熟れた林檎のように真っ赤に頬を染める。
「なっ!!ふっ夫婦じゃないよっ!!もぅ園子ねっ、志保ちゃんにそんなこと吹きこんだのはっ」
プリプリと怒る彼女がかわいい。拒絶の言葉とは裏腹に、隠しきれない喜びと甘えが覗いていたことを、新一は知っていた。だからこそ、彼は落ち着いて笑いを零したのだ。
「あら、名探偵さんは余裕の表情ね」
「バーロー。バカなこと言ってんじゃねぇよ」
「そうだよ、志保ちゃんっ!!そんな噂信じなくていいからねっ」
真っ赤な蘭が少々可哀想になって、志保はとりあえず納得したように振舞った。
「さて。あなたが彼を放っておいてもいいのなら、一緒に帰りましょう。クラスのこととか話してくれたら嬉しいわ」
小首を傾げてはにかむ志保に、蘭は迷うことなく首肯し、破顔した。
「うんっ帰ろうっ!!」
まるで腕を組まんばかりに身を寄せ合って、女子二人は昇降口を後にする。状況の展開にいまいちついていけない新一はぽかんとしたまま、二人を見送った。
「新一ーぃ!?置いてくよーー!!」
蘭が振り向いて彼を呼ぶ。天頂まで上っていた太陽が優しく彼女を照らした。その光さえも消すことのできない笑顔が、ひどく眩しかった。
「ったく、女にはついていけねぇや」
新一は溜息と小さなぼやきを昇降口に置き去りにして、二人を追いかけるように陽の元に駆け出して行った。


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