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二十五話 組織が遺した爪痕は消えず

「灰原さんって笑わないし泣かないし、人形みたいで気味が悪いよね」


気にするようなことじゃない。
目の前のものを単純に受け入れるだけではなく、取捨選択が出来るようになった子供たち。
その成長を喜びさえすれど、傷つく必要性など存在しない。
子供の戯言だと流せばいい。
それだけ、なのに…。
それだけのことが、どうしてこんなにも難しい?
どうしてこんなにも心が乱されるの?
いつの間にか視界が霞み、堪えるように唇を噛んで腕に顔を伏せる。
胸に抱えた膝の上で、自嘲の笑みが零れる。
バカみたい。
最初から分かってたはずなのに…。
彼らがやがて成長していけば、私の異様さに気づくことくらい_…。
分かってた、はずなのに…。
バカだよね。
こんなことで傷つくなんて…。
「灰原さんって笑わないし泣かないし、気味が悪いよね」
もう一度、それがリフレインされる。
無性に心が乱されて涙が溢れてしまいそうになる。
泣いたりしたら負けだと、意味のない意地を張るけれど、誰かに縋りたくて…。
けれど、そんなことは出来ないから、ぎゅっと膝を抱えた手に力を込めた。
感情の起伏が少ないことくらい自覚している。
けれど、だからといってどうすればいいの?
幼少期を組織で過ごした私は、感情を表に出す術など身につけなかった。
弱みを見せれば殺される。
それが私の世界だった。
だから組織を裏切り、初めて外の世界で生活して、愕然とした。
無条件に人を信用する彼ら。
家族以外の人を友達と呼び、赤の他人を心配して泣く、その優しさ。
そして、人の心が温かいものだということ。
たくさんのことを教えられて、随分丸くなったと思うけれど…。
人が知らないようなことを知っていてキレすぎる頭脳。
子供らしさが欠片もないポーカーフェイス。
時に残酷なほどの決断を容易に下す冷酷さ。
それらは、全て消えない過去を形容しているだけで…。
ひたすらに辛さを助長する。


ピンポーン。


一切音がなかったその家に、機械音が響き渡る。
時間帯からして宅急便とかだろうと無視を決め込むが、再度ベルが鳴る。
そして、インターホンから予想もしなかった声が聞こえ、哀は顔を跳ね上げた。
「哀ちゃーん、いないの…?」
「吉田さんっどうしてここに?」
哀はすぐにインターホンの通信機まで駆け寄った。
工藤邸のそれはカメラがついており、歩美はカメラに大きなナイロン袋を突き出した。
「お菓子、一緒に食べようと思って」
どうしてなんて質問をするほど愚かではない。
彼女のこの突然な行動が、誰のためかくらい分かる。
「ごめんなさい、少し待っていて」
哀はそう言い残して洗面台で顔を洗ってから、鍵を開けに玄関に走った。
「どうぞ。…リビングで座っていて。飲み物持っていくから」
「ありがと、哀ちゃん」
歩美を家に上げ、哀はキッチンに向かう。
「博士と違ってここにはジュースは常備してないから、紅茶くらいしかないけれど…ミルクティーでいいかしら?」
「うん、ミルクティー大好きだよ!」
歩美はにこりと満面の笑顔を浮かべた。
その笑顔がいつになく眩しかった。
マグカップを二つテーブルに置き、二人だけのお茶会が始まった。
歩美が持参したナイロン袋には、入り切らないほどのお菓子が詰め込まれていた。
おそらく遅いから帰れとすぐに追い出されないためだろう。
彼女の優しさが嬉しくて、たわいない話で会話を繋げようとする歩美を眺め、哀は小さな微笑を漏らした。
やがてテーブル上のお菓子がなくなると、歩美はどれがいいかななんて言って新しいパッケージを出してくる。
哀はそっとその手を止めた。
「もうダメよ。チョコレートとスナック、二つも食べたんだもの」
「えーまだ残ってるのに…」
明らかに不満げな歩美に、哀は苦笑を深くした。
「食べ過ぎるとご飯が食べれなくなるし、太る原因になるわ。残りは今度彼らが来た時のために取って置いたらいいわ」
「はぁーい」
年頃の女の子には太る原因になるという脅しは抜群の威力を見せた。
歩美が大人しくお菓子をしまっている間に、哀は席を立った。
「あっ、哀ちゃんどこ行くの?」
「そろそろ夕飯作らなくちゃいけないの。あなたはそろそろ__」
「あっ哀ちゃん、あのねっ」
そろそろ帰った方がいいわよと続けようとした口は、歩美の声に遮られてしまう。
けれど、それきり彼女は瞳を泳がせて黙ってしまった。
「どうしたの?あなたも、一緒に食べる?」
冗談のつもりで言ってみたら、歩美がこくりと首肯したので、哀は目を見張った。
「あのね、哀ちゃん。歩美、今日親戚の人が死んじゃったとかで、お父さんもお母さんも家にいないんだ。だから、泊まってもいい?」
歩美は恐る恐ると話し出し、決して哀と目を合わせなかった。
それだけで嘘だと分かるのに、それすら嬉しかった。
けれど出てきたのは、こんな可愛くない言葉。
「生憎ここは私の家ではないから、帰ってきたら工藤くんに聞きなさい。私は構わないから」
それなのに歩美が上げた顔は、喜びに輝いていた。
「ありがとうっ!!あ、歩美もお料理手伝うねっ」
泊めてもらうお礼だと言う歩美に哀は戸惑い、断ろうとしたが、結局押し切られてしまった。
「歩美もお母さんのお手伝いしてるんだから!」
と頬を膨らませて抗議されては、断ることなど出来ない。
「じゃあ、玉ねぎの皮を剥いて、水を沸かしてくれるかしら」
歩美を信用してないわけではないが、出来るだけ刃物を使わない仕事を割り振るのは親心に似ているだろう。
うんっ!と元気良く返事する歩美にエプロンを手渡し、哀もエプロンをつける。
「新一お兄さんっていつ帰ってくるの?」
「今日は連絡がないから事件には巻き込まれていないようね。この料理が出来上がる頃には帰ってくるわ」
携帯の履歴チェックを終えて、パチリと閉じて哀はポケットにしまう。
「じゃあ、事件があるときは?」
歩美は小鍋に水を満たして火にかけ、哀は冷蔵庫から食材を取り出す。
「夕食のときはいないことがほとんどね。あまり大学抜けれないみたいだから。帰ってくるのは九時とか十時とか…もっと遅かったり、帰ってこないこともあったりね」
「そんなに!?……寂しくない?」
規則正しく包丁とまな板が当たる音がする。
「心配なくても、一人で大丈夫よ」
哀は手を止めぬまま答えた。
口元に刻まれているのは微笑か苦笑か。
歩美には見分けが付かなかったが、それが無理に作られたものだということはわかった。
堪らなくなって、歩美は叫んだ。
「哀ちゃんのバカっ!!なんで心配もさせてくれないの?なんで嘘ついたりするの?一人で…そんな風に笑わないでよ…」
歩美は涙を零し、哀は呆気に取られて彼女を見つめた。
言い返す言葉が見つからなかった。
慰める方法を知らなかった。
彼女の怒りを解く言葉が分からなかった。
逡巡するだけで、どれだけ時間が経ったか。
遠くで門が開く音がした。
それは小さな音だったが、静けさの降りた二人には届いた。
「あ…」
「お兄ちゃん?…歩美が出るっ!」
涙を拭って、歩美は玄関に駆けた。
「新一お兄さん、お帰りなさい」
ひょっこりと歩美が顔を出すと、新一は驚きもせずに笑った。
「よぅ歩美ちゃん、いらっしゃい。お迎えサンキュ。哀はまだ料理中か?」
「あ、うん。さっき作り出したところで…でも、簡単なものだからすぐ出来るよ」
「……さっき?」
歩美と並んでリビングに歩を進めながら、新一は眉を顰めた。
哀は大抵、五時ごろには支度を始める。
新一が帰ってもまだ完成してないこともあるが、それは新一の帰りが早かったり、新一の頼みを受けていたりと理由が必ずあるのだ。
「あのね、新一お兄さん。歩美のお父さんもお母さんも親戚の人が死んじゃったとかで家にいないんだ。だから泊まってもいい?」
歩美の突然の申し出に新一は一瞬驚いたが、すぐに笑顔を作った。
「ご両親にちゃんと言って出てきたなら俺はいいよ。夕食が楽しくなるしな」
「うん、ありがとうお兄ちゃん」
屈託ない笑顔を残して、歩美は哀に報告するために駆けていった。
歩美の姿が見えなくなると新一は口元に浮かべた作り笑いを消した。
新一は考え込みながらもキッチンに行き、哀の後ろ姿に声をかける。
「ただいま、哀。ほらオレンジジュース、買ってきたぜ」
「え?オレンジジュース?なんで?」
どうして歩美がいるのを知っているのかと尋ねた歩美に、新一は笑って哀からメールを貰ったんだよと教えてくれた。
「ありがとう、工藤くん。ジュースは冷蔵庫に入れておいて。もうすぐご飯できるから」
会話の間一度も手を止めなければ、一度も振り返ろうとしない哀に、新一は更に眉を顰めた。
料理を作っている最中でも、研究が佳境に入っていても、哀は必ず振り返ってお帰りなさいと言ってくれた。
その後邪魔だと冷たくあしらうとしても、一度も顔を見せないということは今までになかった。
どうしてと考えて、出てくる答えは一つ。
学校で何かがあった。
そして、それは哀の心を深く傷つけるもので、歩美が嘘をついてまで気にするほどのこと。
新一は小さく舌打ちして、股の辺りで拳を作った。
そのとき、そばにいてやれなかったこと、他人づてにしか理由を知り得ないことが、酷く悔しかった。
新一の漏らした舌打ちは、哀には届かなかったが歩美にはしっかりと聞こえていて、歩美は縋るような目線を彼に向けた。


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