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帰らないといけないから


闇が世界を覆うとき、私は教団の傍の竹林を歩いていた。
どうしてこんな時間にと尋ねられても、ただなんとなく、としか答えられない。
真夜中の散歩だ。
不意に闇の中に気配を感じて警戒するも、すぐにそれがよく馴染んだ家族のものであることに気づく。
「リラ」
「ティッキー。どうしたの、また?」
闇から現れたのは夢と同じティキ。
けれど、夢のように私は彼に抱き着くことはしなかった。
彼は月夜に照らされる白い包帯に気づいたようだったけれど、何も言わずにただへらっと笑った。
「言い忘れていたことを言いに来ただけだよ」
その言い草に、何故だか嫌な予感がした。
「リラ。エクソシストとノアの恋は叶わないよ」
腰を屈めて、耳元で囁かれる。
それは、警告。
ティキは何故だか、妙に哀しそうだった。
私はその言葉を噛みしめるように目を閉じた。
「………分かってるわ。……分かってる……」
繰り返し呟く声は自らに言い聞かせるようで。
心が痛む理由が分からなくて、私は困惑する。
腰を屈めたティキが、私の右頬に触れた。
「なぁ、リラ。お前、自分に二面性があるの、自覚してるか?」
私は顔を上げて、何の話かと問う。
ティキはバカだから、言葉を探しているみたいだった。
「いや、俺たちにも悪戯好きと殺戮者の二面性はあるんだけど。お前はイノセンスの面とNOAHの面とがあるから、特にはっきりしてんだ。甘えん坊のときはイノセンスの方で、冷酷なまでに無表情なのがNOAHの方だろう?
この前夢ん中で会ったとき、お前イノセンスに呑まれてたろう。無自覚だろうけど」
夢の中で、浮かれたように家族に抱き着いた私。
今はあんなにはしゃぐ気も起こらない。
「ロードが心配してたぜ。ちゃんと『帰って来い』ってさ」
ティキは哀しそうに目を細めて、私の頭を撫でてくれた。
ロードはきっと、私の気持ちを一番よく知っている。
帰って来いの言葉の本当の意味を、私は知っている。
知っているからこそ、私は笑みを浮かべた。
「大丈夫よ。この任務が終わったら、イノセンスは壊すから」
「それマジか?」
ティキは何故か驚いていた。
「ええ。千年公に指示されてるの」
たとえ指示されていなくても、必要のないものはいつまでも放っておいたりしない。
イノセンスと同調できるとはいえ、NOAHの遺伝子はどうしても排除したがる。
NOAHの身体ではどうしても痛みが伴うのだ。

世界は白か、黒か。
どちらかを選ばなければならない。
いつまでも、灰色ではいられない。

私は縋るようにティキの裾を握った。
「ロードに伝えて。もうすぐ帰れるって」
「………了解」
ティキは私の髪を一撫でして、闇の中に消えていった。



帰らなければ。
大切な家族のもとへ。

そこが、私の唯一の居場所だから。



「ねぇ、ティキ。私、NOAHの力使ったらダメだって怒られちゃったよ」
それはもうティキには届かず、ただ闇に紛れて消えた。

だから、私の居場所は教団にはないの。


帰らなければ。
__家族が待ってる。










「なあ、ティム。リラって不思議な子だと思わない?」
なんだか部屋に篭っている気がしなくて、僕は自室のある階の階段の傍の窓から天を見上げていた。
パタパタと羽を羽ばたせるだけのティムに苦笑する。
「ティムに言っても分からないか」
リラと過ごしたのはたった三ヶ月弱。
それなのに、彼女は面白いくらい多面性を持っていた。
時折14とは思えない穏やかさで笑ったかと思えば、何も知らないというような幼稚な一面を見せたり。
急に幼い子供みたいに甘えてきたかと思えば、冷徹とまで言える冷静さで物事を判断したり。
純粋そうに頬を染めてみせたかと思えば、何も興味のないように無表情になったり。
「ほんと、飽きないなぁ……」
彼女の傍にいると和んで、ほっこりして。
もっといろんな彼女を見てみたいと思う。
それはもしかしたら、似た境遇の彼女に親近感を抱いているだけかもしれない。
それでも。
僕はそっと自分の唇に触れた。

キスはいっぱいした。
それ以上のことも経験済みだ。
けれど、恋をしたことはない。
身体は勝手に求めるけれど、心はいつだって満たされなかった。
僕の心にはマナがずっといて。
マナだけが僕の世界で。
エクソシストになって仲間ができても、それだけは変わらなかった。
ずっとマナだけを愛していた。
それで良いんだと思っていた。
僕を孤独から救ってくれた人だから。
それなのに。

天を見上げてもマナは見つけられない。
縋るように、左眼に触れる。
マナは未だそこにいる。

「ねぇ、マナ。僕はどうすればいい?」

そんな僕の中にするりと入り込んだリラ。
こんな切なくて甘い想いを抱くのは初めてで。

触れただけの唇が熱い。
頬が熱くなるなんて初めてだ。
きっと顔色は赤く染まっている。
こういうのを、赤面するっていうんだろうな、なんてどこか他人事のように思った。

右の頬が痺れるように熱くなった。
まるで傷が奔ったような感覚に、リラを思い出す。
どうして彼女は僕の傷を引き受けたりしたんだろう。

『私の負うべき傷は自分で負うわ』
だなんて。
彼女を庇ったのは僕の意思だ。
あの傷だって、リラが生きていさえすれば痛みなんてすっ飛ぶのに。
女の子に傷を負わせて男の僕が無傷だなんて、居た堪れない。
キミに痛い思いをさせたくなくて庇ったのに。
意味がなくなっちゃったじゃないか。


僕の報告を聞いて、コムイさんたちはリラに傷の転移を禁じたそうだ。
今回は僕の傷がまだ軽かったから良かったけれど、危うく大惨事だ。
イノセンスのことだって、気遣ってあげられなくて過労を強いてしまった。
それなのに、彼女は帰りすがら役に立てないことをずっと悔いていた。

もっと他人を頼ればいいのに。

なんて、同じことをよく説教される僕が言えた立場ではないけれど。
それでも、どうしても支えたくなる。
彼女が崩れてしまわぬ前に。

哀しい顔よりも、笑顔が見たい。
せっかく目が見えるようになった彼女に、世界をもっと知ってほしい。

好きだよ、と言ったら、キミは笑うだろうか……。

「なあ、どう思う?ティム」
ティムはふわりと月に背を向けた。










パタパタとどこからか羽ばたく音がする。
この音を、私はよく知っていた。
どこからか零れた月の光に照らされたそれは、黄金に輝き。
伸ばした指先にふわりと舞い降りる。
「ティム」
アレンがいつも連れているゴーレム。
みんなの持っている黒いゴーレムと違って、愛嬌があって私は気に入っている。
「主人はどうしたの?ティム」
尋ねても答えが返ってくるわけもなく。
「主人を置いてくるなんて、悪い子ね」
手のひらにぽってりと乗ったその身体に、頬を擦り寄せた。
遠くから足音がかすかに響く。
ティムの主人が名を呼びながら探している。
「ほら、行きなさい。主人が探してるわよ」
そう言うも、ティムはプルプルと身体を振って拒否を示す。
困ったわ……。
こんなわがままな子だとは思わなかった。
足音も声も次第に近づいてきて。
真夜中のため声は抑えてあるけれど、何も音のしない世界ではそれさえも大きく響いた。
せめてと悪足掻きで階段の影に身を隠す。
階段を降りてくる影に息を潜めるも、ティムがまるで存在を知らせるように頭上で羽ばたくから、すぐに見つかってしまった。
「ティム、もう勝手にどこ行くんだよ」
それは怒っているというより、悪戯坊主に言い聞かせるような口調で。
ああ、ティムには敬語を使わないんだ、と思ったりした。
「あれ、リラ?」
そのままティムだけを連れて上がってくれればいいのに、なんて考えは虫が良すぎたのか、あっさりと見つかってしまって。
びくりと跳ねる肩で深呼吸して。
私は影から顔を出した。
「……アレン…」
ああ、一番会いたくなかったのに。



「女の子がこんな時間に一人で出歩くなんて、危ないですよ。リラは本当に危機感がありませんね」
入団して二日目のあのときのように、小さな子を嗜める口調。
けれどそこには呆れは含まれていなくて、ただ優しい声音だった。
二人で並んで、私たちは階段を上がる。
ティムはアレンの肩に止まっていた。
「アレンはこんな時間に何してたの?」
まさかティムを探すだけに降りてきただけではあるまい、と尋ねると、アレンはティムを弄りながらくすりと笑った。
「今日は月が綺麗だったので、月見を少々。リラこそ、こんな時間にどうしたんです?」
そんなことを聞かれても、なんとなくの散歩でティキに会ってしまったことは後ろ暗くて。
「私も、月を見てたの」
寂しい瞳を闇に隠して、嘘を吐いた。
お互いが嘘を吐いているのはバレバレで。
だけれどお互いが追求する勇気もなくて。
ただひたすらに、無言が続く。
夜の静寂を破るのは二人分の足音と、ティムの羽音だけで。
まるで世界にいるのが、二人だけみたいだった。

アレンの部屋の前を通り過ぎても彼はまだ私の隣を歩いていて。
小首を傾げる私に、アレンは笑みを含んだ声で送るよ、と言ってくれた。
送ると言ってもそんなに距離は離れてなくて。
あっという間に着いてしまいそうなのが嫌で、歩調を緩める。
アレンもそれに合わせてくれて。
時を延ばしたところで話しもしないのに、どうしてだろう。
離れたくないなんて、思ってはいけないのに。
それでも進めば距離は縮まるわけで。
着いてしまった私の部屋の前で、私はアレンに向き合う。
__闇よ、私の表情を隠して。
「ありがと……。送ってくれて」
誰かにありがとうを言うなんて、とんと久しぶりだ。
小さな声は、アレンに聞こえただろうか。
「また、夜遅くに出歩きたくなったら、声をかけてください。一人で出て行ったらいけないよ」
また、なんてないのに。
彼はいつも通りに笑う。

それが、心苦しくて。

「ねぇ、戦いが終わったら、何を望む?」

彼は、急にどうしたんですかとは聞かなかった。

「そうですね……。
__たわいない平和を」

まるで子供みたいな夢物語を語れる彼に、涙が零れそうになった。

「戦争は、なくならないわ。この戦いが終わっても、またどこかで争いが起こる……」

人間はバカだもの、と続けると、彼はあははと笑った。

「ラビみたいなことを言うんですね。
それでも、僕はたわいない平和を望みます」

そう言い切る彼に。
私はたった一歩の距離を詰めて。
抱きつく。

彼が戦うのは何のため?
彼が笑うのは何のため?
彼が望むのは何のため?
彼が生きるのは、何のため?


ああ、本当に。
この世界に二人だけなら良かったのに。


音は何もなかった。
声も要らなかった。
闇を見通せない目も要らなかった。


しがみつくように抱きついた私を、
彼は何も言わずに抱きしめてくれて。


その温かい腕の中で、溶けてしまえればいいのに。


彼の抱き締めてくれる腕の強さに、泣いた。


彼の左手が私の右頬に触れて。
そのまま促されるように顔を上げて。
甘い甘い視線を絡める。


彼の顔が近づいてきて。

私はひたすらに彼を見つめていて。

彼の瞳が閉じて。

吐息が混ざる、その瞬間に。





唇と唇の間に指を滑り込ませた。





彼の唇を指先で受けて。



私はそのまま、彼を突き放した。





彼の腕は呆気なく離れて。

立ち尽くす彼に背を向ける。

ドアを開けて。

できるだけ声が震えないように。

世界を壊す、音を発した。

「おやすみ」

パタリと音を立てて閉まるドア。

淡い月の光に輝いた水滴は、どうか見逃して。









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