09
「…その時、要さんが言ったことを思い出したわ。私は子供を産めないのに、あの人は後継ぎとかそんな先の話よりも私を優先した事を」
早織さんが他の人との子を作って後継ぎにすればいいと言ったことか、と思い出す。
「あの人も、先のことより今の事を想っている。長くない私を、変わらず愛してくれる。それがあの人の今の幸せなのだと、それを大切にしているのだと。───だから、あの子が言った言葉の意味を理解した私は…」
言葉を途切った早織さんは、思い出したように笑った。
「…やっぱり親子ね。性格はあの人に似たのかしら。私はあの子に何もしてあげられないのに、大事な母親だと言ってくれた。期待に応えたいとも。だけれど同時に、今の自分の意思は曲げられないのだと言った」
ふ、と息を吐いた早織さんと目が合うと、彼女はまた微笑んだ。
「ごめんなさい、少しお喋りが過ぎたわね」
「いいえ。聞けて良かったです」
「あなたはいつも優しいわね、甘えてしまうわ」
「優しくないですよ。疲れさせてしまってすみません」
「いいの、私が話したかったから。───諒君、」
真っ直ぐにこちらを見る早織さんに、なんですかと返事をする。
「あの子のこと……二人のこと、見守ってあげてね」
一瞬目を見開いてしまったけど、直ぐ様頷いた。
そのあと早織さんは、夕御飯食べていって、と優しく微笑んでから、聞いてくれてありがとう、と言った。
俺はそれに微笑んで立ち上がり、頭を下げて襖を開け、縁側に出る。
ゆっくり休んでください、と言って襖を閉める直前、早織さんが声をかけてきて手が止まる。
「あの時、酷いことをしてごめんなさいね。私の我が儘だったから」
「仕方ないことです。気にしていませんから」
「ありがとう。諒君───」
するりと襖を閉じて縁側を歩く。道場の方で音がするからまだそこに居るだろうと足を向ける。
頭の中で、早織さんの笑みが思い出される。優しく、儚く、力強い目が真っ直ぐに貫いて。
『諒君、私はもう彼を認めているのよ、彼の努力は伊織の為だけにあると、伊織は幸せなのだと、あの子の笑顔がそう言ってる』
じわりと、視界に膜が張った。
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