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中編
27
 



 ───視界が開けて最初に脳が理解したのは白い天井だった。彼はあまりの明るさに目が眩み、押し潰したような痛みを感じた。
 生温い風が痩けた頬を撫で、細めた視線を動かすと白い布が周りを囲み横から流れる風で揺れている。
 窓が開いていた。向こう側には濃い緑と水色の空や島のように浮く雲が絵画のように広がり、山の形がはっきりと確認できた。

 無意識に動かそうとした体はしかし固まっているかのように動かし辛く、力もあまり入らない。
 ただ視界に入る物だけが頭に浮かびそれ以外の思考は出来ずに、彼はゆっくりと意識しながら呼吸を繰り返した。

 ここはどこだろう。

 思考が若干稼働を始め、彼は自分の居場所を病院の部屋だと理解はしていたが、それだけだった。

 壁の向こうからパタパタという音を聞いて、彼は窓とは逆の方向へと目線だけを寄越す。カーテンで隠れていて見えなかったが滑らかに扉の開く音がした。



「───…吉野さーん、今日もいいお天気ですよー」



 優しげな女性の高い声が誰かを呼んだ。仕切られたカーテンの向こう側がどうなっているのか知らない彼は、自分が呼ばれているとは分からず返事をしなかった。
 声が出るかどうかも確かめていない。
 仕切りのカーテンが揺れて、音を立てて開かれる。



「足のマッサージしま……!」



 薄桃色の制服を着た女性と目が合う。
 一瞬固まり驚愕の表情を見せた彼女は彼が目を開いている事を確認すると、飛び込むようにベッドに近付いた。



「吉野さん!? 吉野さん、わかりますか?」



 言葉始めは慌てて張り上げられた声も、次いで放たれた音は既に落ち着いていて彼女は彼に向かって呼び掛けながら、近くにぶら下がっていたナースコールのボタンを押した。

 彼は返事をしようと口を開くも、そこから出るのは掠れた音だけで、仕方なく瞬きをして応えた。



「今担当を呼びました。私の言葉、何と言っているか分かりますか?」



 ひらりと彼の目の前で手を振る彼女に、彼は僅かな頷きを返した。
 痛みや気持ち悪さ、目眩などはあるか、と問われた彼は耳を近付けた彼女に向けて掠れた声で「ない」と答え、安堵した表情の彼女を見る。

 すぐに部屋の外から慌ただしい足音が聞こえ、白衣を着た四十くらいの男性が戸惑いを滲ませた顔で現れた。



「吉野くん、大丈夫? 体は動く?」



 看護婦から粗方の状態を聞いた医師は彼の手に触れて言った。
 その温かさに驚く自分にも驚いた彼が指先を僅かに動かしてみせると、医師が納得したように頷いた。



「一応毎日動かしていたんだけど、やっぱり難しいかな。 まさか10年以上経ってから目が覚めるなんて───」



 看護婦に指示を出した後の医師の言葉に彼は疑問した。
 10年以上? なんの話だ。まさか自分はそんな長い間ここで眠っていたというのだろうか。
 思い出そうにも頭の中には現状の事に一杯で、過去は真っ白だった。ただ、彼はずっと長い夢を見ていたような気がしていた。



「とにかく検査しよう。すぐに始めても大丈夫?」



 訳が分からないまま彼は頷き、医師は看護婦と同じような安堵を見せる。
 その後すぐに彼は別の場所に運ばれ、様々な検査を受けた。点滴を打ってはいても彼の体は随分と痩せ、最近は切っていなかったという髪は肩まで伸びていた。二年ほど前まではずっと坊主だったらしいが、それを担当していた看護婦が病院を辞めてしまい、以降はなにもしていないという。
 彼を担当する看護婦は「ぶきっちょだから傷付けたらって怖くて」と恥ずかしそうに言っていた。


 検査を終えた後は数日慣れるために現状維持で、少しずつリハビリを始めよう、という医師に彼は戻ったベッドの上で頷いた。

 なぜこうなってしまったのか、その話も近いうちにしよう。医師は目覚めたばかりの彼に負荷を掛けすぎない為にと詳しい説明を後に回し、彼の痩せた肩に手を置いて言った。



 


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あきゅろす。
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