中編
34
「───…じゃあ、いってきます」
「気を付けてな」
「いってらっしゃい」
玄関前で老夫婦の見送りを受け、慣れない下駄を鳴らして宿所を出た。
巾着には財布と携帯にポケットティッシュ、そして一応持っていきなと渡された絆創膏が入っている。
花緒に触れている指の間が擦れてしまうかもしれないから、という配慮だ。
生地が薄く作られた浴衣は、半袖の洋服よりも涼しい。
地面を一歩踏むたびに鳴る下駄の音を聞きながら、ゆっくりと商店街までの道を歩いた。
昼下がりの空は快晴で、日差しは暑かったが木陰を選べば直射は免れる。
着物は自然と背筋が伸びるな、と日頃の姿勢の悪さを自覚しながらも着物で過ごしたら背も伸びるだろうかという自分の思考に笑う。
商店街に近付くにつれ、ここ数日で最も賑わっている音が聞こえて、熱気が伝わってくる。
商店街の外や店先などで屋台が出て浴衣や甚平を着た人が多く、小さい子供が可愛らしい浴衣で親の手を引っ張っている。
あれが普通の親子なのかもしれないな、と見回せば殆どの親子が手を繋いで屋台を巡っていた。
中学生や高校生は浴衣と私服姿が混ざって集団で写真を撮ったりして、皆がこの祭りを楽しみにしていたのだろう。
「お、楓ちゃん!浴衣似合うねえ」
「三神さんが着せてくれました」
商店街の中をのんびり歩いていると、かき氷屋の店主に声をかけられてそちらへと寄っていく。
屋台用に小さめのかき氷を売っていて、シロップの種類が豊富に揃っている。
「晃が見たら驚くだろうなぁ」
「そうですかね」
「その浴衣、昔晃が着てたやつだろ?あいつは覚えてねえかもしれないけどな」
「はい、よく覚えてますね」
「やんちゃ坊主が浴衣着てしおらしく歩いてりゃ覚えちまうわな。 あいつ小せぇ時から三神さんにゃかなり懐いてたから、二人も嬉しくて浴衣着せたんだろうよ」
「…ふふ、今でも懐いていますけどね」
「晃ん所はアイツが生まれてすぐによ、母親のじいちゃんばあちゃんが亡くなっちまって、三神さんの所によく遊びに行ってたんだよ」
通りで久住さんが朝早くから居間にいても老夫婦が平然としていて、当たり前のように食事を一緒に食べていたわけだ。
二人からすれば久住さんはずっと孫と変わらない存在で、彼も二人を祖父母のように思っているからこその親しい関係が築かれているのだ。
と言っても、久住さんは商店街の人達と誰とでも親しいので特別変化があるようには感じられないのだけど、短時間の関わり程度ではそう思っても仕方ないだろう。
もうすぐ神輿が回るぞ、と周回ルートを教えてくれた店主に礼を言って、屋台を見て回りながら時間を潰す事にした。
商店街の外の屋台で買った甘辛いタレの焼き饅頭を食べながら、行き交う人を眺める。
老夫婦への手土産は何にしようかと一通り見て回った屋台を思い出しながら、普段食べない物が良いなと考えていると商店街の奥から歓声が聞こえてきた。
一定のリズムで複数の太い声が耳に入ってくる。
すぐ傍を駆けて行った学生たちの「神輿始まったよ!」という話し声で、こちらへ緩慢に向かっているであろう神輿のイメージを浮かべた。
しばらくすると声は大きくはっきりと聞こえて、神輿を囲む人なのか一定の距離を保って歩く集団が見えてきた。
焼き饅頭を平らげてビニールに串を落とし、そちらへと歩を進めると黄金色の鳳凰を模した飾りが上下に揺れている。
掛け声は賑わいを上回り、担いでいる全ての人が鯉口と呼ばれる白のダボシャツを着て白い股引きと足袋を履いている。
頭に捻った手拭いを巻いていたり被るようにしていたりと様々で、息の合った運動が繰り返し行われて少しずつ前進していく。
熱気に包まれて暑そうに見えるのに、担いでいる人達は皆が楽しそうだ。
それを眺めていると、同じような服装の集団の中に久住さんを見付けて鼓動が強く打った気がした。
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