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中編
33
 



「今日の祭りに着てってもらおうってね、二人で話をしていたの」
「折角来たんだから、めかして晃を驚かせてやれ」
「え、でも、俺が着て良いんです?」



 大切に保管されていた浴衣は、きっと向こうで見たことがある安値で市販されている物とはまったく別の、呉服屋で仕立てたような浴衣。
 着られる人が居ないとは言うが、町には高校生も居るわけで。たかが短期滞在の宿所の客に着せるものではないと思う。

 それでも御夫人は「楓ちゃん似合うと思うのよ」と笑みを見せ、丈を見ようと俺へと浴衣を翳す。



「しつけージジババだとは思うけどよ、孫が遊びに来てくれたように感じるとどうにもなあ」
「いや、しつこいなんて思わないです。嬉しいですけど、申し訳ない気持ちもあって…」
「良いのよ、私たちが見たいの」



 町を出ていった子供も、その孫にも会えない二人の気持ちは俺には分からないけれど、老夫婦が自分に対してどう感じているのかを知ってしまうとその気持ちが痒くもあり寂しくもあり、けれどやっぱり嬉しくて。
 申し訳なく思うのは変わらないが、着方がよく分からないと素直に告げると二人は「教えてあげる」と若者の無知を何も気にしていないようだった。


 祭りは昼から行われているらしく、お客さんが訪れた為に老夫婦は祭りには行けなくなってしまったが、楽しんで来てと言われると楽しまないわけにはいかない。
 もし今日のうちにお客さんが来なかったら俺と一緒に行く予定だったのを知り、やっぱり誰も来ない方が良かったのにと見知らぬ無実の客を心中で非難してしまって、また新しい自己嫌悪を背負った。


 浴衣と帯、巾着に下駄まで揃っていて、最近まったく切っていなかった肩に付くくらいの髪は結べる長さだったので細いヘアゴムで縛る事にした。

 畑仕事以外は普段から着物姿でいる老夫婦に着付けを教わりながら、本当にぴったりの丈の浴衣をいじる。
 高校生の頃はこれくらいの背丈だったのかと久住さんの過去を知って、少しだけ余裕のある布が体格差を物語っていた。



「楓君は和装が似合うな」
「……なんか落ち着かないです」
「慣れたら過ごしやすいぞ、着るのも楽だしなあ」
「思っていたより簡単でした」
「持って帰っても良いのよ」
「えっ、いやそれは……」



 御夫人の言葉に冗談ではと目を見張り首を振るも、その表情は冗談ではなさそうだった。



「ちゃんと保管できる環境ではないので、痛めたくないから持ち帰るのはやめておきます……」
「そう…?残念ねぇ…」
「でも機会があれば、また夏にくるかもしれません」



 心底そう思っていた。
 もしまた来られるなら、時間と金銭に余裕を作れたら、ここに訪れたい。

 そう言うと老夫婦は嬉しそうに表情を崩して、「じゃあ家で保管しておこう」と納得してくれた。
 姿見で自分の浴衣姿を確認すると、見慣れない服に身を包んだ自分に違和感しかなくて、髪を結って変な所がないか歪んでいないか確かめる。

 まだ昼には時間があるので、慣れるためにそのまま居間で老夫婦との他愛ない会話を楽しんだ。
 二人に屋台で色々買ってこようと考えながら、久しぶりに感じる高揚感に落ち着きが取り戻せなくて、優しい眼差しを向ける二人に良い意味で少しだけ居心地が悪かった。


 この数日、毎日が新鮮で楽しい。
 戸惑いや負の揺らぎも確かにあるのに、別の事に意識を向けるとすぐに揺らぎは姿を隠している。
 戻りたくない、帰りたくない。そんな気持ちが強くなるのは、こんな自分に良くしてくれる町の人々の温かさに触れることが許されたからなのかもしれない。

 抱えている悩みも根本も何も変わりはしないのに呼吸が楽に感じている。
 こんな日々が自分に与えられて良いのだろうかと思うけど、今だけはそれを素直に受け入れてしまおう。



 


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