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中編
32
 


 翌朝、目覚ましを掛けていないのに5時過ぎに起きて、早寝早起きの習慣が付きそうだなと思いながらベッドで欠伸をして体を伸ばした。
 携帯を見る気になれず、そのまま洗面所で顔を洗いに行き居間に入って麦茶を頂いていると、御夫人が寝起きとは思えないすっきりした顔で現れる。



「あらおはよう、眠れたかしら」
「おはようございます。ここに来てから毎日ぐっすりですね」
「よかったわ」



 主人もすぐに来るから、と言って台所に立った御夫人と他愛ない会話をしていると、着流しの御主人が「おはよう」と言いながら顔を出した。



「今日は軽く畑弄ってよ、飯食ったら楓君に渡したいもんがあるんだ」
「なんです?」
「そん時のお楽しみだ」



 御夫人から受け取った麦茶を飲み干した彼は笑って、着替えてくると言い残してさっさと行ってしまった。
 疑問は解けないまま御夫人も笑顔では居るが教えてはくれず、仕方なく着替えに戻り畑に向かう。


 ここ数日で収穫出来る野菜は全て採ったので、間引きや雑草取りに土を柔らかくしたり水やりをするくらいで、時折草の影から現れる小さなカエルやバッタ、イモリかヤモリ(慣れなくて見分けがつかない)などを見つけては動きを観察した。


 二時間ほど畑で動き回り、汗と土がついた体をシャワーで流して着替えを済ませてから居間で老夫婦と朝食を摂っていると、玄関で「ごめんください」と呼び掛ける声が聞こえた。



「あら、お客さんかしらね」



 御夫人が席を立ち玄関に向かうのを見送り、じんわりと滲む違和感に気付く。
 知らない誰かが来てしまった、という残念な気持ちと緊張が渦巻いて、麦茶の入ったグラスに口をつけたままでいると、御主人が声を掛けてくる。



「どうした?」
「いえ…、宿所だからお客さんが来るのは当たり前だし、自分も客なんだよなと思い出してました」
「うちは観光地じゃないし、あんま来ないからなぁ。楓君は客じゃなくてわしらを自分のジジババだと思っても良いぞ」
「……なんか恥ずかしいですね」
「じーちゃんばーちゃん居ないんか?」
「親戚は結構居ると思うんですが、お互いに関わらないので」
「……んなら、尚更ここをジジババん家だと思っとけ」



 呆れるでもなく憐れむでもなく、ただ平然と言って味噌汁を飲む御主人に笑みを返すしかなかった。
 玄関の方から聞こえていた話し声は無くなっていて、部屋に案内したのかと、お客さんと顔を合わせずに済んでほっと息を吐く。


 しばらくして御夫人が戻ってくると、若く見える好青年だったとお客さんの印象を話してくれた。
 一応宿所では一泊朝夕の食事がついてくるのだが、お客さんは夕食だけで良いと言っていたらしい。
 最近はあまり朝食をとらない人が増えているとテレビで見たことがあって、自分もそうだったが、思い返せばここに来てから三食きっちりと食べている。


 畑仕事は思っていたより体力を使うし、食事は薄味で野菜が多い。健康的な食事と適度な運動があるからこそなのか、老夫婦は年齢よりも若く見えるし動きも活発だ。
 質の良い生活をしているからか自分の体も訪れる前より随分と軽い。
 最近は健康志向と言えど、ジャンクフードや生活習慣病の横行が増えている向こうの環境や、甘受けしている自分の生活の乱れ具合を改めて実感した。


 食事を終えて皿洗いを済ませると、老夫婦に居間の奥にある和室へと促される。
 和室は縁側へと続いていて、いつもは襖が閉じているので居間から縁側は見えない。十畳程の広い和室は物がタンスくらいしかないが、御夫人がそのタンスを開けて畳紙の包みを持ち出した。



「晃ちゃんが高校生くらいの時に着せてたんだけど、あの子すぐ大きくなっちゃって結局一度しか着られなかったのよね」
「あの頃の晃と同じくらいの背丈だから丁度良いだろう」
「え…と、」



 畳紙を開きながら会話する二人に疑問が増えて、中から出てきた濃い青のごくシンプルな浴衣が視界に入って一瞬混乱した。



 


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