中編
26
「ええ、大丈夫ですよ。お一人で? ええ、分かりました。いつ頃ご到着でしょう───」
どうやら電話相手はお客さんらしい。
ここに来てから客が自分だけで、老夫婦が祖父母のように感じていたからか宿所だという事を忘れてしまっていたのかもしれない。
まだ四日間しか居なくて知らない人ばかりなはずなのに、新しい誰かがここに訪れる事を不安に思う。
電話を切った御夫人は、御主人へ電話の内容を告げた。
「明日の朝にお客様が見えるようですよ。二日ほど泊まるそうです、30代の男性がお一人みたい」
「部屋掃除しねーとな」
「森が見える部屋が良いとご要望がありましたから、端の所かしら」
「ああ、分かった」
お茶を飲んでいた御主人はひとつ頷いて、「ここは一人の男がよく来るなぁ」と愉快そうに笑った。
女性が一人で来るには難しいのだろうか。
洗い物を終えると「ありがとうね」と御夫人に言われて少しだけ肩を窄める。
今日も散歩へ出掛けようかと考えながら冷えた麦茶に口をつけていると、外で車の扉が閉まる音がした。
「お、来たな」
「かーえーでー、いるー?」
「……なんで俺を呼ぶんですかね…」
「よっぽど好きなんだなぁ」
カラカラ笑う御主人には、苦笑いしか返せないまま席を立って玄関に向かう。
友愛としての好意である事は分かっていても、そう言われると変に意識してしまうのが嫌だった。
会いたくないと思っていたわけではなく顔を合わせ辛いだけで、何とか頭の中の乱れを隠すように目を閉じてゆっくり息を吐く。
「楓、おはよ」
「……おはようございます」
玄関には見慣れてきた青いツナギと頭にタオルを巻いた久住さんで、晴れ晴れした日差しと似た雰囲気の笑顔だった。
なんで俺を呼んだのか聞いたら、潔い明るい声で「スイカ配りしようぜ」と言ってきた。
「……また手伝いさせるんです?」
「今日は予定あんの?」
「ないですけど…」
「じゃ、一緒にスイカ配ろうな」
「……」
この人はこういう時は強引なくせに、本当に踏み込んでほしくない時はあっさりと身を引くのだから落ち着かない。
昨日の縁側で交わしていた静かな会話を思い出して、緊張感が滲んでくる。
御主人に挨拶しに行くのか、結局宿所に入って居間へ向かう背中を見て何故呼んだのか心底疑問に思う。
仕方なく後ろに続いて居間に戻ると、御主人が久住さんを見て呆れたように言った。
「お前さんこっち来るならわざわざ楓君を呼ぶんじゃないよ」
「呼んだら来るかなって思ってさー」
「……じゃあ次からは無視しますね」
「来るまで呼ぶわ」
「やめてください」
彼なら本当にやりそうで困る。
やらないとは言わない彼は笑っただけで、御夫人から麦茶を貰った久住さんは明日の祭りの話を御主人に振っている。
「藤のじいさんが神輿の通り変わるってさ」
「いつもの道は金井さんとこの建て直しでまだ規制入ってるからなぁ、一本ずれるだろう」
「うん。全体的に道一本ずれるね」
お神輿を担いで回る道は毎年同じだが、今年は変更になるらしい。
一昨日も昨日も商店街には行っているものの、祭りの雰囲気は感じられなかった。もしかしたらその雰囲気になってから訪れたのかもしれないが、祭りの話も特に耳にしていなかったように思う。
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