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短編集2(2020~)
愛の行く末


 初めて液晶画面からではない『自然』を見たのは、小学校の林間学校だった。綺麗に磨かれたガラスの向こう側で、土の中で勝手に成長し、枯れ、また葉をつけるという高さも太さも違う木々や、色とりどりの花。どこまで続いているのかわからない青い海。季節ごとにその一面を緑や茶色や赤に変える山々。日光を浴びながら風に煽られて首をもたげるそれらの鮮やかな景色は、写真や映像記録で見るよりも遥かに輝き、力強い生命を感じさせた。
 しかし当時はそれを見るだけで、草木や花に触れることは出来なかった。今でも直接それを素手で触れたり、匂いを嗅いだりする事は難しいだろう。そもそも許可も設備も無くガラスの外側に行く事は出来ない。
 一応、ガラスの内側にも緑はある。ただし、それらは命のない人工植物で、手入れは花弁や葉の埃取りくらいだ。それも月に一度やればいいくらいで、内側は常に空気清浄機能が働いているから埃なんて滅多に積もらない。
 中学も、高校も、旅行や遠足の目的の殆どには、『自然を見る』という項目が含まれる。その中で一度だけ中学生の時、ガラスの外側に人を見かけたが、自然の美しさに似つかわしくない異物のような存在だった。

「あれ、大気の濃度を測っているんだって」
「宇宙服みたい」
「せんせー、あれ着ないとダメなの」

 興味半分で尋ねる生徒に、教師は表情を変えずに淡々と返した。

「保護服なしで外に出るのは、死ぬ時だけだよ」

 その時、あまりにも生気のない目を直視した。数日前にたまたま職員室の前で聞いてしまった話を思い出し、興味のないフリをしてガラスの向こう側に目をやった。
 先生の親は、数日前に亡くなった。その日は朝から空元気だった先生は、夕方に近くと更に暗く落ち込んでいき、放課後の職員室で、他の先生に「今日、親父の《誕生日》なんですよ」と力無い声で言っていて、言葉の意味と声色の不釣り合いさに興味を持ち、聞き耳を立てたのだ。

「《お見送りまで》?」
「ええ。まったく、いい親父でしたよ、頑固なくせにお袋には弱くて」
「いいご家庭じゃないですか。私も見習わなければね」
「先生のパートナーさんは、」
「同じ年なんですが、誕生日が半年違うんですよ。残される方は、やはり辛いですか」
「まあ、そうですね」
「彼も、同じ事を言っていました」
「良いパートナーさんです」
「ええ、本当に」

 なんの話をしているのか、その時はさっぱり理解出来なかった。どうして誕生日なのに暗い話みたいに言うのだろう。まるで、《まるで、葬式みたいに》。

 その会話をやけにはっきり思い出せるのは、先生の目があの時と同じ目をしていることに気づいてしまったからだった。
 誕生日ケーキを予約したんです、と笑った先生の声だけが、頭の中で壊れた機械のように暫くの間繰り返されていた。
 ガラスの向こう側、足元の近いところに、黄色い花が咲いていた。携帯端末を取り出して翳してみる。端末には「たんぽぽ」と花の名前が現れ、咲く季節やどんな花かの説明が下に続いていた。




 この世界は、何十年、何百年と昔に人間が思い描いた未来なのだろうか。そんな事を考えたのは、中学三年の時だった。
 たまたま古い漫画やアニメの記録を見つけ、夢中でそれらを見漁った。当時の人間が思い描く近未来とは、その殆どが人工知能や電子機器を中心とした、土や植物が殆ど自生しない世界で、コンクリートに埋まり、白や灰色、時には鮮やかな色の建築物はガラスで出来ていたり、タイヤのない車、公共交通機関、ワンタッチで事が済む家事など。テクノロジーの進化を盲信して滅びる作品もあれば、映画やアニメで仮想現実の世界を舞台に闘う作品もいくつかあった。

 けれど今、車にタイヤはあるし、端末無しにタッチパネルは現れない。人工知能は一定レベルで止められて、それ以上の進化は禁止されている。建物は全面ガラスではなくコンクリートと嵌め込み窓だし、一軒家も垣根も日本家屋の縁側も存在している。
 ただ、この世界は、昔の人間が描いたような土を踏む事の出来ないコンクリートや岩石で造られた床と、ガラスの壁に包まれている。例えるならば、博物館にある歴史の一部を切り取ったジオラマ。日本で言えば、都道府県ごとに分かれ、ちょうど各地の中央あたりにガラスの囲いを造って、そこに人々を住まわせているのである。伴って地図上から市区町村は無くなって区画の番地だけが残り、ガラスの囲いが都道府県の名前で表示されるようになった。
 ガラスの向こう側に置き去りにされたそれまでの建築物などは、成長し続ける植物に飲み込まれ、一部分を見つけるのがやっとの状態だ。道路は割れ、歩道橋は崩れ、ビルは蔦が飲み込んだ。つい先日、大阪のビルが崩落したとニュースに流れていた。

 人口増加が問題視されていた当時にガラスの箱に住民を住まわせるなど、それを可能にしたのは何だったのか、その理由は簡単に調べがついた。

 ガラスの箱の中で生きているという事実は、物心ついた時には知ることが出来る。ただ行動範囲の狭い年齢で実際にそれを確認するには、《境目》の近くに住む子たちならすぐでも、箱の中央に住む子らは学校行事や親に連れていってもらう他になかった。それはまだガラスがなかった頃、都心に住んでいれば、海へ行こうとか山へ行こうとか、そういった事となんら変わりはないようだった。
 人が住むガラスの箱。それがいつ出来たのか、歴史の教科データに記載されている時期は約六十年前で、とんでもなく昔からというわけではない。六十五歳の人なら、かろうじて覚えている人もいるくらいだ。
 歴史を学ぶ過程で昔話の協力をしてくれた彼らは、口を揃えて言った。
 ───愚かで傲慢な人間は、自然との共存を諦めたんだよ。


 約六十年前に一体何があったのか、当時はあまりの混乱で完璧な詳細を答えられる人は少ない。ただ、その何年か前に全世界で爆発的な感染症が広がり、混乱に陥った事が発端だという見解が殆どだった。だが感染症の爆発的流行は、それ以前から何度も繰り返された歴史であるが故、流行したばかりの時はまだ、いつかは収まるものと考える人は多かったという。
 しかし、これまで辛うじて同じ空間に存在していられた人間と人間以外の生物と植物たちだったが、その時全世界に蔓延したウイルスは、人間や動物以外にも攻撃力を持っていた。それに対して最も早い抵抗を示したのは、人間や野生動物ではなく植物だった。



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