短編集2(2020~)
突発
「───そうか、君のせいか…」
その言葉に全身の血の気が引いていく感覚がした。俺のせいで不都合があったのか。不都合は邪魔になる。殺される───。
彼の顔を滑り落ちる赤に瞬間的な恐怖が頭の中で蔓延して、目をそらせずに壁へ背をつけた。彼が一歩を踏み込んで、喉が引きつる。
「っ…!」
「……ああ、血は洗い流す。だが、一緒に来てくれないか……頼む」
「……!?、っ」
首元に鋭いナイフの刃を付けられているような錯覚を抱かせる瞳の圧力だった。
適温の室内で座り込んでいるにも関わらず、頬に冷えた汗が滑り落ちる。その幾何にもない時間の中で、一瞬抱いた恐怖心よりも勝った疑問が未だに根強く張り付いていた。
どうしてこうなったのだろう。俺は死んでも良いと思っていたはずだ。こんな淋しすぎる世界から抜け出したいと願っていたはずなんだ。
何度も繰り返された答えの見えない自問。
差し出されている掌は男にしては白くて指は細いものの筋張っている。もう片方の手は視界に入らない彼の背に隠されてはいるが、その手が眼前の片手のように白くはないと知っていた。姿だけ見れば紳士的な仕草で、それが余計に疑心を煽る。
きっと肌が赤く覆われているであろう利き手を見えないように隠したその優しさが、一体何故自分に向けられているのか。彼の中で自分に対する意識がどう変化したのか。
───あの時向けられていたのは、凶悪で狂気的な自己満足の残酷さだったというのに。
どうしてこうなったのだろう。
再び自問する。
それはこれまでには無かった自分の中の変化に対するものだった。状況への疑問、自身の心に対する疑問、どちらも同じ言葉で問われているのに。
見つめたまま動かない彼の手へ向けて緩慢に己の手を動かした。冷えた肌に触れた瞬間の強張りは、優しく握られる柔らかな圧に掻き消される。
隣の部屋にはきっと人形のように横たわって動かない体があるのだろう。
『───全く好くない。快楽よりも強い気持ち悪ささえ感じた。頭の中で君の姿と声が鮮明に再生されたんだ』
つい先ほど放たれた低く唸るような声が記憶に残る。
頬の辺りから胸元まで飛散した赤で汚く飾られている彼の姿とは裏腹に、その声音はあまりにも澄んでいた。
浴室へ向かう背を見つめる。
この男の事だ、見られている事は気が付いているんだろう。その視線が今までとは違う感情を含んでいることすらも。
─────────
続かない気がする
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