13.いつか、この花が咲くとき
不意に、意識が、遠ざかる。
頭の中から指の先まで、身体中がどんどんと睡魔に侵されて、僕の意識だったものがゆっくりとゆっくりと、辺り一面の闇に溶けていく。
(……おやすみ。かな?)
もうそこには、彼の言葉を聞ける人間なんて誰もいないのに、心のなかだけでそっとつぶやいてみたその言葉は一体誰に宛てたものだったのだろう。
(ナル。……麻衣)
そのとき脳裏に浮かんだのは、自分にそっくりな弟の顔。そして、sunflower(ヒマワリ)のような少女の笑顔だった。
それは、もう最近ずいぶん見ていない、心からの麻衣の笑顔。
麻衣はいつも、ジーンに会えばそれがうれしいというように笑って見せてくれていたけれど、最近それがどこかぎこちないものになっていることに、ジーンは気が付いていた。
まるで、無理をして笑っているような、そんな笑顔。
そのことを少し寂しく思う反面、それは仕方のないことなのだとジーンはきちんと理解している。
それを理解していないのは麻衣と、あの研究馬鹿な弟ぐらいのものだ。
そのことに、ジーンは呆れたように溜め息をついた。
(ほんとにねぇ)
本当に、あのふたりはどうしてあんなに鈍感なんだろう。
それは、ここ最近のジーンの悩みの種だった。
むしろ、悩みというよりも厄介事に近いかもしれない。
そう言いたくなるくらい本当に鈍感なのだ、あのふたりは。
それを見守るこちらの気にもなって欲しい。
自分のやったことは棚にあげつつ、ジーンは全くもうぅ、と憤慨する。
すべてのはじまり。それは、勘違いから生まれた恋だった。
それは、誰が悪いとは言えない。
勘違いから生まれた恋だった。
ただ、あまりにもジーンとナルが似ていたから。
夢の中のナルの笑顔が、本当に綺麗だったから。
麻衣は、ジーンの存在を教えられていなかったから。
麻衣はジーンとナルを混同して、好きなんだと思い込んだ。
そしてようやくすべてが明らかになり、麻衣がジーンのことを好きなんだと自覚したとき、ジーンはすでに死者だったのだ。
だから、いくら麻衣がジーンのことを好きだと言っていてもいつか気持ちが自分から離れていくことなんて分かっていた。
本当ならば、決して絡むはずのなかった運命なのだから。
そしてこれからも、絡むはずのない運命なのだから。
時間が過ぎて、少しずつ、けれども確実に麻衣の傷は癒えていくその度に、麻衣の気持ちはジーンから離れていく。
きっとそれが、一番自然な成り行きなのだろうと思う。
なのにあのふたりは、全くそのことを理解していないのだ。
だから麻衣はジーンから心が離れていく自分に戸惑う。感じなくても良いはずの罪悪感を勝手に背負いこんで、だからいつもぎこちなくしか笑えないで。
そしてナルに至っては、まだ麻衣がジーンを好きなんだと勝手に思い込んでいる。
これでは溜め息のひとつやふたつ、つきたくもなると思う。
(麻衣とは何だか気まずいし)
弟からは、何やら逆恨みされてる気がしないでもないし。
なんだか自分ばかり外れくじを引いているような気が、しないでもないのだ。
(僕はこーんなに物分かりが良いのに……)
どこまでもこの手のことには鈍感な、似たもの同士のふたりのことを思う。
確かに、ジーンだって麻衣の気持ちが自分から離れていくことは正直に言えば寂しいとは思っている。
けれど、だからといって、死者である自分が麻衣の気持ちに応えてあげられるはずもない。
だから、ジーンは願ってみるのだ。
いつか、あのヒマワリが咲いたような笑顔の隣に、ナルの姿があることを。
自分を好きだと言ってくれた少女と自分の片割れの幸せな未来を、夢見てみるのだ。
(少なくてもナルは、麻衣のことを少なからず気にしているみたいだし)
それに麻衣だって、夢に出てくるナルだけを見てナルが好きなんだと思っていたわけではないだろう。
いくら夢に出てくるナルが麻衣の好みだったからと言って、それだけで麻衣があんなにナルを好きなんだと思い込めるとは思わない。きっと麻衣はジーンを好きになったのと同じように現実のナルにも惹かれていたのだということに、ジーンはすでに気が付いていた。
夢の中のナルであるジーンの存在は麻衣がナルへの恋心を自覚するきっかけだったのだ、というのはジーンの勝手な思い込みだろうか。
それは、あながち間違いではないと思う。
だからこの願いはきっと叶うだろう。
時間はかかるかもしれないけれど。
(だから、ね……)
次に目覚めるまでには、ナルと麻衣に何とか上手くまとまっていて欲しいなぁなんて都合のいいことを考えながら。ジーンは、ゆっくりと瞳を閉じた。
(だから、いつか)
いつか、麻衣のあのヒマワリのような笑顔が咲いたとき。きっと、ナルがその隣にいると信じて。
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