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悪魔の取扱説明書
アクティングDays
トイレから出た後、ハンカチで口元を押さえながら彼の元へと戻る。
伏し目がちな目、少し震える手。
これで"如何にも具合が悪そうな女"の出来上がりだ。

もちろんネッロはこのサインを見逃すことはない。

「慣れないお酒でご気分でも悪くなりましたか?少し顔色が悪いように思いますが…」

彼は気を利かせてキンキンに冷えたグラスの水を渡してくれた。
さり気なく肩を抱くことも忘れない。なんともあざとい男だ。

私は首を振ってお酒のせいではないと答えると、やはり彼は食いついてきた。
"貴女を苦しめているその原因、是非聞かせてくれませんか"、と。

その水を氷が溶ける音と共に口へと流し込む。
飲みほしてから、私はポツリポツリと語り始めた。


最近、勉強もプライベートでも家庭の方でも厄介事が多く、精神的に参ってしまっていること。
またそのせいで鬱状態に陥り、ひどく精神的不安定な日々が続いているということ。
安定剤や抗鬱剤もあまり効かないこと。

もちろん、これはソフィア達と打ち合わせた内容通りのシナリオだ。


「それである時にふと耳にしたんです。ここのバーでいろいろな薬を取り扱っている人がいるって」

縋るような眼でとネッロに視線を移す。
彼は先ほどから打って変わって無表情だ。

しばらく沈黙が続いたが、ネッロが先に口を開いた。

「では、初めから俺のことを…?」
「…騙していたようでごめんなさい、でも貴方という確信はなかったから…。」

私は、大きな彼の手をとって握り締めた。
そしてもう一度縋る様な目で彼を見上げる。

「違法だって構わないわっ!!こんなにも辛い気持ちが救われるならなんだってするわ…!」


"貴方しかもう頼れる人がいないの"


最後に殺し文句を一つ。
涙ながらに女にこう言われて、頷かない男はいない。

そうロマーノは言ったが、我ながら臭い芝居だ。
本当にネッロを騙すことができるか不安だったが、案外彼はあっさりと納得した。(たぶんこれが酒を飲んでおらず、素面だったら無理だったかもしれない)


「何でもするって言葉…取り消す気はないのか?」
「…二言はないわ」

こっちだ、という彼の誘われるがまま、私は彼の後ろへピタリとついた。
視線をあちこちへこっそり投げかけると、皆は了承したかのようにコクリと頷く。

誘われた場所はバーの裏口。
従業員すらあまり使わない場所なのか、ドアの取っ手には埃が少し積もっていた。

「これが欲しがっていたものだ。いろいろな種類があるが、僕が取り扱っているのは今のところこれだけでね」

そう言って取り出したのは小さなジッパーつきの袋。
その中には少量の粉が入っている。

どうやら"EDEN"そのものらしい。
名前の通り、飲めばどんなに落ち込んだ気分だって楽園にいるかのようないい気分になれる代物だと彼は言った。

「お代は今回は初回だし、君は美人だ、タダにするよ…」

もちろん"ただし…"と、つけ加えるのは忘れない。

手が私の腰に回され、グイっと引き寄せられると距離が一気に縮まった。
少しアルコールを含んだ吐息がやたらに鼻につく。
私は顔を反らして、なるべくその臭いから逃げ出した。

彼の唇がさらけ出された胸元を吸いつくように啄んでいく。

「…分かってるよね?君はこうなることを分かっていてこんな誘うような恰好をしてきたわけだろう?」

止まらない悪寒を叱咤し、意識を周りに集中させると視界にシルヴィオ達が映る。準備はできたようだ。

そろそろ幕引きの時間だ。

ネッロの肩に手を置いて、力を込めて引き離す。
逆に彼の耳元に唇を寄せて、こう呟いた。

「…分ってるさ。だがな、そう簡単に抱かれるつもりも…、ないんでね!!」


彼を思いっきり突き飛ばすと、レオンたちは"今だ!"とばかりに私たちの空間に割りに入った。

ネッロは驚愕した顔で私を一瞬見返したが、すぐさま体勢を直して逃げ出そうと試みた。
もちろん逃げられるわけもなく、すぐに彼は御用となるわけだが…。


一気に力が抜けてその場にしゃがみ込むと、ずっと一連の出来事を見守っていたソフィアは感極まって私に突進するように抱きついてきた。
私はそのまま彼女の体を受け止めて、宥めるように彼女の背中を軽く撫でる。

「良かった!本当に無事で良かった!!」


すべては計画通り、だ。
大きく息をつくと、ずれ下がったドレスのストラップを元に戻した。


「上手くいったね。上出来だよ、ミサト」

シルヴィオは満足げに私を迎え、ジャケットを私の肩にかけた。

「…気持ちが悪いくらいにな。とにかく二度とこんな真似は御免被るぞ」

馴れない高いヒールのパンプスもそのまま投げ捨てた。
これは足は疲れるは、踵は痛いはで敵わない。
つやつやに塗ったグロスも拭い、ギュウギュウに纏めた髪もあっさり解いてしまうと、ロマーノ達が勿体無いだの何だのの騒いだ。


「あれ?そういえばレオンは…」

どこだ?
と、辺りを見回すと、アークイラファミリー本部の人間へのネッロの受け渡しが済んだらしいレオンが物凄い形相でこちらへ突進しているのが見えた。

彼はそのまま私の目の前で止まると、私がかけていてたジャケットを勢いよくひっぺ剥がした。(ここでソフィアが悲鳴をあげたし、チッチョ達は歓声をあげた)
そして何やら胸元をまじまじと見つめる…というより睨みつけている。

彼は何を確認したのかホッと安堵のため息をついた。

「…痕はつけられてねぇみてぇだな」
「は?」

何のことだと聞く前に彼は、今度は何かを投げつけると"ちゃんと拭いておけよ!"と捨て台詞を吐いてその場を後にした。

投げ捨てられたのは、小汚いハンカチ一枚。


「…私はレオンの考えていることがイマイチよく分らん」
「……私は手に取るように分かるけどね」

ソフィアは飽きれながら、首を竦める。


こうして、私とシルヴィオが結んだ取引は無事に終了した。
これで私は普通の生活に戻れるはずだったし、もうこれ以上レオン達と絡むことはないはずだった。


しかし、まだ、

――この一連の事件のエンドロールは流れない。

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あきゅろす。
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