その声を忘れても お互い相手が好きすぎる2人です ――亡くした人の何を最初に忘れてしまうのか。何を最初に思い出せなくなってしまうのか。それは、自分に優しく話し掛けてくれる、その人の声なのだ。 「この前、本で読んだんだ。」 どこか外に出掛けるのにちょうどいいくらい晴れ渡った午後。愛車で遠出するでもなく、ましてやクラブハウスのグラウンドで汗を流して自主練習をする訳でもなく、真っすぐにこの部屋に来た恋人は、達海にじゃれついてすっかり甘えて一頻り満足した後に、そういえばさ、と口を開いたのだ。 「記憶の中で声を再現することは一番難しいことみたいだね。」 「真っ昼間からいきなり何でそんな話?」 達海は首を動かしてジーノを見やる。先ほどこっちにおいでと手招きされたので、今は2人して狭いベッドの上だ。向かい合うように寝転んでいると恋人の彫りの深い整った顔がすぐ近くにある。達海にじっと見つめられたせいなのだろう、ジーノは嬉しいような困ったような表情になった。唇にはどこか曖昧な笑みが刷かれた。 「…別に深い意味はないんだけど、ちょっと印象に残ったから、話してみたくなったというか…」 「ふーん。」 ただそれだけなんだけど。お気に召さなかったかい?問われて首を横に振った。何だか不思議そうな顔をしているよと言われてしまい、達海は頭に浮かんだことを素直に口にした。 「いつも家具の雑誌読んでる姿しか見たことなかったから、それ以外にも色々読むんだなと思って。」 「それはそうだよ、タッツミー。雑誌ばかり読んでいる訳じゃないよ。恋愛に関する物や海外の詩集、料理に関する本だって読むし、名作だといわれる古典作品も嗜んだりするんだから。」 多分というか、絶対俺よりたくさん本読んでるな、こいつと思っていると、さっきも言ったけど、あの話も読書中に知ったんだよと静かな声が届いた。 「大切で愛しい人を亡くして、その人の思い出を辿っている内にどんな風に自分に話し掛けてくれていたのか、思い出せなくなってしまうんだって。」 少しだけ上半身を起こして頬杖をついた腹這いの姿勢をとると、ジーノは達海を見つめたまま、ぽつりと呟いた。達海もジーノと同じ体勢になると枕の上に両腕を置き、その上に頭を乗せた。そのまま心の中でジーノの言葉を反芻してみる。ジーノが何か言いたそうな瞳を向けて来るので、これはきっと意見を求められているんだなと分かった。だが達海はフットボール以外の、それも恋愛やそれに関わるデリケートなことに対して上手く言葉にできないことが多い。だから期待されるようなことは言えないと思うのだ。フットボールに関することならば、すらすら話せて一向に問題ないのだが。達海自身はそう思っているのだが、ジーノがそれを知れば、君は練習中も試合前の説明も独特な話し方をするからボクみたいに分かる人にしか分からないよと返すだろうが。 「…声、ねぇ。」 「うん、声だよ。」 ベッドから起き上がったジーノがそっと頷く。達海は寝そべったまま、ジーノを見上げた。耳に馴染む少し高めの声。彼が目の前から居なくなってしまったら、確かにもう二度とこの声に耳を傾けることはできなくなってしまうのだ。そうして過ごしていく中で、いつしか彼の声が分からなくなってしまうのか。 「声を思い出せないって、実際想像しかできねえけど、そりゃ悲しいことだと思うよ。」 「やっぱり君もそう思うよね。」 確かにそう思う。一緒に過ごしてきた大切な人を亡くして、それだけでもつらいことなのに、声も思い出せなくなっていくなんて。それはきっととても悲しいことだ。けれども達海は、自分ならばそうじゃないかもしれないと感じた。 「あ、でも…俺だったら、」 「うん?」 「…お前のプレーしてた姿を忘れなけりゃ、じいさんになっちまってもう声が思い出せなくても、きっと寂しくなんかないと思うけどなー。お前のプレー中の姿ってさ、そんくらいすごいもんがあるよ。」 「タッツミー…」 「えっ…?」 達海の愛称を口にしたジーノの顔は真っ赤だった。色男が台無しといえるほどの。だが達海はジーノのそんな顔を見られることが少し嬉しかった。達海だけに見せてくれる、素の彼の表情なのだ。勿論何故急にそんな顔になったのかという驚きの方が大きかったのだけれど。 「おい、どうしたんだよ、王子様。俺、何か変なこと言ったっけ?」 「……」 達海の訝しみが込められた瞳に我に返ったのか、目の前の王子様は落ち着きを取り戻した。だがそれでもまだうっすらと頬は赤いままだった。 「タッツミーは、おじいさんになるまでずっとボクを好きでいてくれるんだね。死が2人を別つまで一緒に居てくれるんだね。」 「え?あっ…」 口に出した言葉の奥に無意識に隠していた想いを理解して、達海の頬もじわりと熱くなる。これから先もジーノと共に歩いて行くことは達海の中で特に意識することもない当たり前のことになっていたのだ。フットボールを手放すことなく生きていくのと同じ。 「あ、えっと…俺は…」 「でも、年齢から考えてタッツミーの方が先に旅立ってしまいそうだけど。」 「それは、まぁ、そうかもな。」 達海に手を伸ばしてその髪に触れながら、ジーノは嬉しそうに笑った。優しく髪を撫でる指先から幸せだよという彼の想いが伝わってきて、達海も嬉しさに心が震えた。 「ボクも君の声を忘れてしまっても、きっと悲しくなんかないよ。太陽のような眩しさで笑う君を思い出せば、寂しくないから。温かな気持ちになれるから。……いや、そもそもボクはタッツミーの声を忘れないからね!ボクの愛は壮大だから、君の声を忘れるはずがないんだ。」 「……」 果たしてその自信は一体どこから来るのだろうかと思ってしまうが、言われて悪い気はしないのだから、もうどうしようもない。達海もジーノに手を伸ばすと、先ほど自身がされたのと同じように癖のない艶やかな黒髪を愛おしげに指で梳いた。 「まぁ、なんかこの話にあてられて不安になったのかもしんねえけど、そういうのってなるようにしかなんないしさ…それでも心配なら、」 「タッツミー?」 「思いっきり声、聞かせてよ。」 ジーノの瞳が宝石のように煌めいて、それからゆっくりと細められていく様を達海は幸福に胸が詰まる思いで見つめた。 「うん…タッツミー。タッツミー。」 「ジーノ。」 「好きだよ。大好き。」 「うん。」 「これからもずっとずっとだからね。」 ボールを蹴り、光り輝く彼の姿を思い出すだけで心が温かくなって、たとえ何十年先に彼と死に別れてその声を思い出せなくなってしまっても大丈夫だと思えるのに。こんな風に全身に声を注ぎ込まれてしまえば、忘れるにも忘れようがないと思えた。ジーノと同じように自分も愛しい人の姿も、そしてその声も忘れることはないだろう。 「分かってるよ。ずっと、だからな。」 いつまで一緒に歩いていけるのかは分からないけれど。自分からこの手を離すことは絶対にない。達海は強くそう思った。 END あとがき 短い上に微妙なテーマで申し訳ないです(><)でも甘い雰囲気だけは伝わっているといいなと思います。 一番最初に声を思い出せなくなってしまうんだと知った時にジーノとタッツミーだったらどんな風に思うのかなと思って書いてみました。とりあえずお互い大好きな2人なら全然問題ないなってことが分かるだけでしたね^^ 読んで頂きましてありがとうございました! [*前へ][次へ#] [戻る] |