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桜色の夜
夜のお散歩デートのお話です




4月に入ったばかりでまだ少しだけ肌寒いある日の夜。音楽を奏でるような優雅なノックの音と共に監督室に現れた男はこちらに視線を向けるなり、あ、と小さく声を上げた。昼間に着ていたユニフォームを脱いだ彼は代わりに黒のトレンチコートを品良く身に纏っている。あ、やっぱ私服でも襟立ててやがるなとこっそり思っていると、相手がぐっと距離を詰めてきた。


「仕事しないで待っててくれてたんだ。」


部屋の中で座り込んだままの達海に視線を合わせた男、ジーノが珍しいものを見たというような驚いた表情になる。あまり物事に動じないように見える彼がこんな顔をするなんて少し意外だった。まだ付き合い始めて日も浅いのだから知らないことがあっても別におかしくはないか。達海はそのように結論付けて納得した。


「てっきりテレビに集中していると思ってたよ。」


達海とて恋人との約束をそこまで邪険にしようとは思わない。まぁ特に急ぎの必要がなく、仕事がちょうど一段落していたのが大きな理由であることは伏せておくが。この恋人は拗ねると結構面倒な部分があるのは付き合ったばかりでも十分に学習済みだった。


「うん。だって約束してたからね。」

「そういうの嬉しいなぁ。」

「……」


柔らかな笑みを向けられると途端にどう反応していいか分からなくなる。今までずっとフットボール一筋であった自分は言うまでもなく恋愛方面はからっきしだ。だから懇意にしている特別な相手に微笑まれたりといったような、明確な愛情に触れると言葉に詰まって上手く反応できなくなってしまうのだ。そんな恋愛音痴な自分がならばどうして現在進行形で恋愛などをしているのか。しかも相手は同性で自分が指揮するチームの主力選手なのだ。客観的に見るまでもなく問題が山積みの付き合いだとしか思えない。それなのに一体何故ジーノの告白を受け入れたのだろうか。自分でも上手く説明できないが、ジーノに本気だと言われても悪い気はしなかった。だからそれが答えなのだと思っている。2人きりになるとまだ調子が狂うことの方が多いのだが、想われるのは心地良くて、少しだけくすぐったかった。


「タッツミー?」

「あ、」

「どうしたんだい?」

「や、別に何でもねえよ。」


お前のこと考えてた。そんなこと言える訳がない。だからこれも伏せておく。ちょっとぼーっとしてただけだからと答えれば、ETUの王子様は端正なその顔を曇らせた。


「仕事で疲れてないかい?」

「大丈夫。へーき。」


心配してくれて嬉しいよ。力強く頷けば、曇り空は一気に晴れ模様になった。男前がそういう風に笑うのは色々とずるいと思うのだけれど。達海は小さく跳ねた心臓に心の中で苦笑した。


「じゃあ準備はできてるみたいだから行こうか。」

「うん。」


選手達と一緒に戦う意志を示す為に戦闘服と称しているいつものジャケットを羽織ると、何故かジーノが右手を差し出してきた。


「えーと、何?」

「何って、手を繋ぐに決まってるじゃないか。ほら、右手を出して。」

「決まってるじゃねえよ!あのな、俺、そんなのしないから!」

「恥ずかしがらなくていいんだよ?」


さも不思議だと言わんばかりに王子様は軽く首を傾げる。


「さあ、」


そして、舞踏会で好きな相手を誘うように王子様がさらに手を伸ばしてきた。似合い過ぎる仕草を見せられたが、達海としてはその手を取る訳にはいかなかった。


「この馬鹿王子!」

「痛いよ、タッツミー。」


代わりにぺしりと頭を叩いてやったらジーノは困ったように笑った。困ってるのはこちらの方なのに。不満に唇を尖らせようとしたら、不意に手首を掴まれた。


「おい、ジーノ!」

「クラブハウスを出るまでだから。ね、お願いだよ。」

「…この野郎。」


切なげに瞳を揺らす相手に捕まってしまったのならもう逃げようがない。達海は肩を竦めると好きにしろよと言って、この年下の恋人の思う通りにさせてやることにした。


「うん。お言葉に甘えて。」


ジーノがゆっくりと指を絡め、細く長いその指できゅっと握り込んでくる。自分のものではないもうひとつの手の温もり。それは振りほどくことのできない確かな愛情だった。達海には十分過ぎるくらいに分かった。優しく絡められた指先から伝わる体温に安心感を覚えてしまったなんて、何だかやっぱり少しだけ悔しいからこれも教えてなんかやらないのだ。






暗い夜の帳の中、淡い色がどこまでも続くかのように浮かび上がっている。さらさらと風に揺れる枝には月明かりを浴びた仄白い小さな花が連なっている。静かに咲き誇るその姿は春にだけ見られる特別なものだ。女子供ではないから花の美しさにそこまで興味のない達海でも目の前に広がる光景を純粋に綺麗だと思った。


『桜を見に行こうよ。』


一緒に隅田川沿いの桜を見よう。君と2人で見たいんだ。数日前、午後の練習が終わった後に耳打ちされた内容は恋愛経験豊富な男の誘いにしては随分と可愛らしいものだった。


『俺とお前で?』

『ボクと君以外に居ないだろう?ねぇ、タッツミー、恋人のお誘いなんだよ?』


監督と選手。お互いに割と有名人なので騒ぎにならないようにと出掛けるのは人の少ない真夜中を選んだ。


『ま、そう言われちまったら行くよ。忘れちまうかもだから、そっちから迎えに来いよ。』

『勿論、大好きな王様をちゃんと迎えに行くよ。』


人通りの絶えた川沿いの遊歩道をジーノと歩く。不思議で、新鮮な気分だった。普段ならばこの時間は暗い部屋の中でひたすらテレビ画面とにらめっこをしているはずなのだ。対戦クラブの資料と試合映像を分析して今のETUがどう攻めるべきなのか頭を回転させているというのに。それが恋人と2人で夜桜見物に洒落込んでいるのだ。後藤と有里に頭を下げられてここにまた帰って来た時には考えもしなかったことだ。今でもまだ信じられない気持ちが達海の中にはある。けれどもこんな風にジーノと過ごしていると心がふわっと温かくなる瞬間が確かにあるのだ。今だってそう。


「久しぶりに東京の桜見たけど、やっぱいいもんだね。」


達海の口から素直な感想が洩れた。月明かりに輝く桜は忙しい毎日を少しだけ忘れさせた。癒されるのとはまた少しだけ違うが、見て良かったと思った。


「ボクにも半分は日本人の血が流れているからね、桜の儚い美しさには素直に感動するよ。夜の桜もいいものだね。」

「そうだな。こういうのいいと思うよ、俺も。」

「君と一緒だからかな、余計に綺麗に見える。」


桜を見上げていたジーノがゆっくりと達海に視線を向ける。暗い夜の中でも彼の瞳は輝いて見えた。君が好きだよ。瞳の奥のきらきらがそう言っていた。


「おーい、王子様。何冗談言ってんの?」

「冗談じゃなくて本当のことなんだけどね。」


恥ずかしい気障な奴。達海は心の中で文句を言った。多分口に出したとしてもジーノは笑って頷くのだろう。こちらの方が一周りも年上なのに向こうの方がいつも余裕があるのだ。


「タッツミー。」

「ん?」

「来て良かった?」


どこか探るような声色が耳に届いた。先ほど頭の中で考えたことが達海の中でゆらゆらと形をなくして揺れ動く。フットボールも恋愛も文句なしのこの男がそんな風になるなんて。それを自分がさせているのかと思うとやはり不思議な気持ちになる。そして、それと同時に可愛いところもあるのだなと微笑ましく思うのだ。


「良かったに決まってんじゃん。んなこと一々訊くなよ。」

「ありがとう、タッツミー。」

「ん。あ、そうだなぁ…今度は皆で昼間に花見もいいかもね。」


今夜2人で夜桜を見たことで不意に思い付いたのだ。選手は勿論、フロントや応援してくれているサポーター皆でわいわい騒いだら楽しいことだろう。皆で桜を見てフットボールのことを話して。そういうことがきっとこのETUという成長途中のチームにいい影響をもらたしてくれるはずなのだ。


「有里に頼んだら色々動いてくれそうだよな。いい宣伝になるとか言ってさ。」

「タッツミーの提案だから楽しいだろうけど、君と2人きりになれないじゃないか。」


ジーノが不満げな声を出した。それはまるで拗ねた子供そのもので思わず笑いそうになってしまった。


「んなこと言ってもどうせ俺から離れないくせに。寂しがり屋の王子様〜。」


意地悪い調子で返したら伸びてきた右手に引き寄せられた。


「そうだよ、ボクには君だけなんだ。」

「…っ、」


耳元で甘く甘く囁かれて。細身なのに均整のとれた身体がゆっくりと離れていっても心臓の音がうるさかった。ああ、これだからもう。


「仕方ねえな。じゃあ頃合いを見計らって2人で抜け出すか。」

「タッツミー!」

「でもね、それまで大人しくしてろよ。」

「分かってるよ。」


そう言って夜桜の下で嬉しそうに笑うから。綺麗なその笑みに誘われるままにそっと髪を撫でてやった。そうしたら予想通りに優しい抱擁が待っていて、やっぱり心地良くて少しだけくすぐったかった。






END






あとがき
夜桜お散歩デートなじのたつを書こうと思って隅田川周辺の桜を調べてみたりしましたが、全然活かせていません;;雰囲気だけお楽しみ頂ければ。


2人で仲良く桜を見るじのたつ可愛いなぁ〜(*^ω^*)


読んで下さいましてありがとうございました!

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