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相合傘と紫陽花の花
梅雨の日のデートのお話です




「あのさ、何で1本しか買って来なかったんだよ。そこは普通2本じゃないの?俺の分は?」


雨が降って来ちゃったね、傘を買って来るよ、だから少し待ってて、と今まで休んでいたカフェテリアの出入り口に達海を残し、ぱらぱらと小雨の降り出した中を走って行ったジーノが戻って来た。別に長い時間待たされたという訳ではなかったが、達海は不満を表すような表情でジーノを見た。それもそのはずだ。彼は新しく買った薄いグレーのシックな傘を差してすぐに達海の許に帰って来たのだが、もう片方の手に傘は握られていなかったのだ。つまり傘を1本しか買わずに戻って来たという訳だ。


「コンビニの傘2本買って来いよ。どう考えてもそっちの方が安上がりなのに。」


達海の中で至極当たり前だと思うことを口にすると、相手は困ったように笑って肩を竦めた。


「ボクがそんな傘を差すと思うかい?」

「……思わないな、確かに。」


透明のビニール傘など美しくないとか、自分には似合わないとかそんなことを思っているに違いない。恐らくそれは間違ってなどいないのだが。


「ね?だからこの傘でいいんだよ。」


ジーノはふふっと笑ってこちらに見せるように傘を揺らしてみせた。わざわざ高い買い物しやがってと達海は唇を尖らせたが、ジーノのこういう部分は彼の性格だからもう仕方がないなとも思った。そんな風に考えることがすっかり当たり前になってしまっている自分には苦笑するしかなかったのだけれど。


「ほら、タッツミー。」

「あ、」


こちら側に自然と伸ばされる手。達海はほんの一瞬だけ躊躇った。その手を拒否して傘の中に入らなければ当然雨に濡れてしまうし、コンビニを探して自分用の傘を買うのも面倒だ。雨脚が次第に強まって地面を叩く音が耳に届く。だからジーノの手を取る他に選択肢はなかった。達海は小さく頷くと、カフェテリアの軒下から一歩足を踏み出した。


「楽しそうだねー、お前。」


こっちはなんかそわそわするっていうのに。達海は隣を歩く恋人に気付かれないようにこっそり息を吐いた。どんよりと曇った6月のある日、デートしようよ、タッツミー、と恋人であるジーノに誘われた。仕事もちょうど一段落していたし、足もいつもより調子が良かった。達海としては断る理由もないので、2人で出掛けることになったのだ。天気予報は見ていなかったが、このまま外を出歩けば雨に降られるだろうことは窓の向こうの空を見て容易に想像ができた。だから達海は事務所内の置き傘を持って行こうと思ったのだが、何故かジーノはそれを制止した。雨に濡れたら大変じゃん、風邪引くだろと文句を言ったのだが、まだ降っていないから大丈夫だよと返されてしまった。その時の達海はジーノが何故そんなことを言ったのか分からず、結局の所、傘はいらないよというジーノの半ば強引な口調に流されて手ぶらでクラブハウスを出たのだった。あの時ちゃんと傘を持って出ていれば、こんなこそばゆいような気分にならなくて済んだのに。達海はそう思わずにはいられなかった。


「梅雨の時期なんだからさ、毎日雨降るのなんて当たり前なのに、歩いてデートとかやっぱやめれば良かったんだよ。しかもお前、傘1本しか買わないし。いつもの王子様な振る舞いはどこ行ったよ?」


2人だけの空間は思った以上に狭い。隣で傘を持ってくれているジーノの肩が嫌でも触れる。身長もそう変わらないからすぐ近くに整った横顔があった。じゃれ合ったり抱き合ったりする時も相手の温もりや存在をすぐ近くに感じる。けれども今のこの状況は、そのどちらの触れ合いともまた違う気恥ずかしさをもたらした。


「男同士で、こんなさ…雨の日なのに『たまには歩いてデートしようよ』って、あの時言ったのは…こういうことする為だった訳か。」

「だって、ボクは君とこうしたかったんだ。」


ジーノが甘えるような声で囁いた。形の良い唇が言葉を紡いでいく。


「相合い傘。君としてみたかったんだ。」

「お前…」

「やっぱりいいものだよ、タッツミーとの相合い傘!ボク、今、最高の気分さ。こんなに幸せな雨の日は今日が初めてだよ。」


嬉しさを隠そうともせずジーノが笑顔を見せる。鬱陶しい雨の日だというのに、目の前が酷く眩しかった。


「ばっかじゃねえの?今時そんなの中学生でも喜ばないよ。」


胸の奥から溢れ出てくる感情を誤魔化す為にぺしっと頭を叩いてやったら、何するの、痛いじゃないかとむすっとした声が耳に届いた。


「お前が悪い。」

「え?」

「俺、お前のそういうとこ、やだ。」


俺の感情を揺さぶるようなことをするお前が悪いんだ。達海は心の中で呟くと、ジーノから視線を外してそっぽを向いた。周囲に目を向ければ泣き顔の空の下、水玉模様やしま模様の色とりどりの花が咲いている。まるで空に泣き止んで欲しいみたいに見えるなと思っていると、少しだけ躊躇いの含んだ声で名前を呼ばれた。


「…怒ってる?」

「何で?」

「ボクは嬉しくて堪らないけど、やっぱり嫌だったよねと思って。断れない状況を無理矢理作っちゃたし。」

「怒ってないよ。」

「本当かい?」

「うん。」


声色で怒っていないと分かったのだろう、ジーノは良かったと小さく呟いて目を細めた。確かに最初は相合傘するのかと一瞬たじろいでしまったが、2人で肩を寄せ合って歩くこの瞬間は決して悪いものではなかった。達海はジーノのことをETUの選手としても1人の恋人としても大切に想っているのだ。だから大切な彼とこうしていることに温かな気持ちを感じない訳がなかった。


「相合傘で喜ぶなんてさ、王子様じゃなくてお子様だなと思って。」


喉の奥で笑ったら、君と相合傘ができるなら子供だと思われても平気だよとジーノが意外にも真剣な瞳を向けて来たので、それがまた可愛くて達海は小さく笑みを洩らした。雨の日は調子が良くても悪くても部屋に閉じこもるのが常だったのだ。こんな風に1つの傘に一緒に入って肩を寄せ合って歩くことなどないと思っていた。肩を寄せ合って…そう考えたことで達海の視線が自然とジーノの左肩に吸い寄せられる。薄手のベージュのジャケットの肩口は雨に濡れてすっかり色が変わってしまっていた。綺麗に整えている髪も左側だけは避けきれない雨の雫で乱れてしまっているはずだ。


「どうしたんだい?」

「あ、うん…別に、何でもない。」


達海は自身が着ているサマー用の黒いパーカーに視線を落とした。これは私服の少なさを見かねたジーノが買ってくれた物なのだが、肩の部分は勿論、雨で濡れた所などどこにも見当たらなかった。髪だって雨の一滴すら落ちていない。達海は再び端正な横顔を見やった。最高にいい気分だと言った通り、ジーノは本当に嬉しそうだった。今さらながらにいつも自分のことを一番に考えてくれているのだと思い知らされた。恋愛経験の多い彼ならば、傘を持ってあげる時の気配りなど当たり前のことなのかもしれない。気にしないでと綺麗に微笑むのかもしれない。だがきっと、達海が濡れているよと指摘すれば、そこは見ないふりをしてよ、タッツミーと照れるはずだ。頬を少しだけ赤く染めて、自分だけに見せてくれる年相応の表情で。


「俺、お前のそういうとこ好きだよ。」

「え?ちょっと、タッツミー!?」


狼狽えて瞳をまたたかせる年下の彼がどうしようもなく可愛くて、ただ愛おしかった。


「君に振り回されている気がする。」

「やなの?」

「嫌な訳ないよ!そういうことじゃなくてね…あ、タッツミー!」


ジーノが不意に空いている方の手で通りを指差した。


「何?」

「見てごらんよ。」


長い指が指し示す先には、おしゃれな外観の小さな花屋があった。カフェテリアを出てから人の流れに任せて石畳の道を進んで行く中で次に恋人の目に留まったのは花で溢れる場所のようだった。イタリアの血が半分流れているジーノは達海に花束を贈ることを少しも恥ずかしがりはしないので、時々達海の知らない綺麗な花をくれることがある。花を贈られることが嬉しくない訳では決してないが、達海自身は花にそれほど関心はない。フットボール一辺倒だからそれはもう仕方がないのだ。日本を離れて海外で生活していた時にやっぱり桜って綺麗だったんだなと思ったくらいだ。達海ならば花屋を見掛けても基本的には素通りだ。そんな達海とは対照的にジーノの生活の中には花の存在がある。だから今も綺麗な色をした花々に目が留まったのだろう。


「紫陽花だね。」

「あ、ほんとだ。」


雨に濡れないようにと店内にしまわれてはいるが、ガラスの向こうに白や青、薄紫の花が見えた。


「あじさいなんて久しぶりに見たかも。」

「クラブハウスの近くには咲いていないからね。」

「あじさい見てるとさ、梅雨の天気もちょっとは許せるかもなー。素朴な感じで涼しげもあるし、見た目も結構可愛いし。」

「タッツミー、紫陽花好きなの?」

「別に、そこまでじゃねえけど…嫌いでもないよ。」

「そうだね、ボクも綺麗な色だなって思うよ。素朴な美しさもいいよね。」


梅雨の時期に咲く花に別れを告げて、2人で再び歩き出した。目的地を全部決めてしまうのもいいけれど、こんな風にのんびり歩きながら目に付いた場所でひと時を過ごすのも楽しかった。雨の音とジーノの声に耳を澄ませながら歩いていると、声の主がこちらを覗き込んだ。やはり少し髪が濡れている。達海は黙って腕を伸ばすと想いを込めた手でジーノの頭を一撫でした。一瞬だけくすぐったそうな顔して恋人はゆっくりと離れた。


「あれ?違った?こうして欲しかったのかなーとか思ったんだけど。」

「これはこれで嬉しいけど、違うよ。」

「あ、そうなの?」

「足、大丈夫そうだね。でもずっと歩き通しだから、疲れる前に声を掛けてくれていいからね。」


ああそうか。彼はどこまでも優しい。雨音が響く世界の中、ジーノの声が達海の心に深く沁み渡った。


「心配してくれてありがとな。でも今日は調子いいんだ。」

「それは良かった。君に無理だけはさせたくないからね。」

「大丈夫。あ、もしかしてお前と一緒だから調子いいのかも。」

「タッツミー!」


不意打ちはずるいよ。そう言って赤くなったジーノはやはり可愛くて。ここが外じゃなかったらキスできたのにな、なんてことを思ってしまったのは内緒だ。





後日、あの時見た紫陽花の花だよ、と言って恋人が嬉しそうな顔で紫色の花の鉢植えを持って来てくれた。だが選手を育てる能力に秀でていても達海は植物を育てる方面はからっきしであったので、ジーノから贈られた紫陽花は有里経由でクラブハウスの事務所を彩ったというのは、また別のお話。






END






あとがき
梅雨の時期のデートならば相合傘は王道だろうと思うので2人にやってもらいました。想像しただけで幸せそうで萌えます///


ジーノならばタッツミーが濡れないことを一番に考えて紳士的に相合傘してくれると思うのです。タッツミーは別に何も言わないけど、本当はすごく嬉しいと思っている訳ですよ。ジノタツ可愛いですね!


ジーノがタッツミーに花を贈るというのは私の願望です。ジーノには平気で気障なことをしてもらいたい!ジーノにはお花が似合いますし、愛情表現のひとつで贈ってくれていたらいいなと思いますv


クラブハウスからそう遠くない場所でも東京だとおしゃれなお店がいっぱいあると思うので、2人でのんびり歩きながらデートしてるんだね^^と思って雰囲気で読んで頂ければ嬉しいです。


読んでくださいましてありがとうございました!

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