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おかえりなさいと愛してる 3(完結)
この頃はグラウンドに向かう為にキャンパス内を歩いていても、あれほどうるさかった蝉の大合唱は陰を潜めるようになってきており、もうすぐ夏が終わろうとしているのだと感じられた。これから少しずつ涼しくなり、過ごしやすくなっていくのだろう。夏の終わりはもうすぐ側まで来ている。けれども、それはつまり。達海との限られた時間に確実に終わりが近付いていることも同時に伝えていた。ジーノの胸にチクリとした小さな痛みを伴って。


強豪大学のチームとの練習試合に勝利したあの日。2人きりのロッカールームでの出来事はジーノの中からなかなか消えることはなかった。数日後に仲間内で行われた小さな打ち上げで散々褒められたこともすっかり霞んでしまうほどだった。初めて直接感じた達海の体温と背中にしっかりと回された腕の強さは、ジーノにとって忘れられない大きなものになっていた。


「タッツミー、今日は来るんだよね。」


今日は練習の日であったが、いつもより少し遅れて来たせいでロッカールームには自分以外には誰も居ない。ジーノは練習用のウェアに腕を通しながら、そっと溜め息を吐いた。今から一体どんな顔をして達海に会えばいいのだろうか。何だか酷く意識してしまっている気がする。いや、別にいつも通り、普通に接すればそれでいいじゃないかとジーノは我に返った。


「ボクったら、タッツミーのことを考え過ぎだよね。」


ゴールを決めたことに対して要求したあのハグは、多分フットボーラーにはありふれた日常と同じくらいに普通のことで。得点のご褒美にとは言ったけれど、達海は特別に感じてはいないだろう。ジーノだってそうだと思っている。それなのにあの時感じた達海のことを思い出すと、酷く安心すると同時に胸が疼くような気がした。あぁ本当に困ったものだね。ボクはどうしてしまったのかな。その答えを知りたいと思っても、答えを持っている人間など周りには誰も居るはずはなくて。本当に達海のことばかり考えてしまっているなと、ジーノは微苦笑を浮かべるしかなかった。


軽くストレッチを済ませ、仲間達より遅れてピッチに向かうと既に練習のミニゲームは始まっていた。ジーノは監督の所まで歩いて行くと、申し訳なさそうに眉尻を下げて謝罪をした。その後監督から簡単な説明を受け、交代の仲間に声を掛けてからゆったりとピッチの中に入った。ジーノはそのまま遠くに視線を向ける。ピッチの右端には達海が1人離れて立っていて、何やら必死にノートに書き込んでいた。真剣なその表情はジーノの良く知る達海の顔だった。


「タッツミー。」


彼に聞こえないことなど当然分かってはいるけれど。ジーノは無意識に達海の名前を呼んでみた。その瞬間、まるでジーノの声が届いたかのように達海がノートから顔を上げた。あぁ、どうすればいい?彼から視線を外せない。ジーノは時が止まったかのようにそのまま達海を見つめた。ジーノの視線に気付いた達海は少しだけ驚いた顔をしたが、すぐに表情を崩して小さく微笑んだ。思いもよらない突然のことに心臓が跳ねる。ジーノは馬鹿みたいに突っ立ったまま達海に頷くことしかできなかった。達海はそのままジーノからノートに視線を移すと、再びデータ収集を再開し始める。ジーノも慌てて我に返るとピッチに視線を戻して、ボールを追うことに集中した。


ミニゲームも後半に差し掛かり、ジーノは達海を意識することよりもボールを追う仲間達に意識を向けるようになっていた。ジーノはこのように暑い中、汗をかいてまで必死にボールを追い掛ける気は全くなかったので、1人だけピッチの中を優雅に歩いて移動していた。


「やべっ、達海さん!ボール!ボール!」


ジーノの耳に酷く慌てたような仲間の声が届く。シュートコースを大きく外れたボールが達海の方へ飛んで行くのがジーノの瞳に映った。ジーノは思わずタッツミー!と声を上げそうになったが、達海はボールが届く寸前に体を動かすと、かろうじて飛んで来たボールを避けた。


「達海さん!ほんとすんませんでした。」

「あっ、いいよ、そんなの気にしなくて。別に怪我したって訳じゃないんだし。」


達海はひたすら謝るFWの彼に大丈夫だよと笑い掛ける。ピッチの外に落ちたボールは達海達の脇をゆっくりと転がり、少し離れた所で止まった。


「俺、ボール取って来てやるからさ、先にピッチに戻ってていいよ。」


達海は真っすぐに歩いて行くと、ゆっくりとしゃがみ込んでボールを拾い上げた。そして体全体を使ってボールをピッチへと投げた。達海は別にいつもと何ら変わらぬ表情だった。けれどもジーノはピッチの中で思わず足を止めてしまっていた。彼は怪我が原因で若くして引退した。本当ならばまだまだ現役で活躍していた。練習の最初の日に耳にした言葉が不意に蘇った。達海は今の自分の状況をどう思っているのだろうか。ジーノはその場に立ち尽くしたまま、そんなことを考えてしまった。再出発の為にきちんとした仕事を見つけることもなく、ある意味中途半端な形でそれでもフットボールに関わり続けている。彼にとって、フットボールは何物にも代え難い大きな存在なのだろうか。達海の横顔は相変わらずいつもと同じに見える。いくら達海を見つめたとしても、彼の本当の心など知ることはできない。せいぜい彼の心の中を推し量ることができるだけ。それだけなのだ。何故かどうしようもなく胸がざわついて。ジーノは心の中で喘ぐような苦しさを感じた。自分が彼の心にそっと寄り添うことができればいいのに。そう思わずにはいられなかった。





結局その日は練習が終わっても何となくすぐに帰る気にはなれなくて。ジーノは達海のことを考えながら着替えを済ませると、再びグラウンドへと足を向けていた。そこにはもう誰も居ないはずだったのに。ジーノは目の前の光景に小さく息を飲んだ。夕陽の淡い赤に染まるピッチの中に達海が居た。達海はジーノに背を向けるようにして立っており、どうやら両手でボールを抱えているようだった。その後ろ姿はまるで今にも消えてしまいそうに儚くて。泣きそうになるほど切なく見えて。守りたい。守ってあげたい。強く強くそう思った。


「あぁ、そうか。ボクは…」


唐突に理解した。理解できてしまった。初めて見た瞬間に惹き付けられたことも。いつの間にか目で追っていたことも。もっともっと近くで話したいと感じたことも。彼の心に寄り添いたいと強く願ったことも。全て、理解できてしまった。自分は達海のことが好きなのだと。できるならば、これからも彼の隣に居たいのだと。


「タッツミー。」

「あれっ?ジーノ!?」


帰ったんじゃなかったんだね。どこか眠そうなほわんとした顔がジーノを見つめる。自分の気持ちを理解した今は達海のことがただ愛しくて。溢れそうになる想いをこのまま伝えてしまおうかと思った。


「ねぇ、タッツミー。」

「ん〜?」

「…ボクね、最近思うんだ。もしもタッツミーが監督だったら、フットボールがもっともっと楽しくなるだろうなってね。」

「えっと…何だよ、いきなり…」

「ボクね、タッツミーが監督をするチームでプレーしてみたいなぁと思うんだ。もしも叶うのならば、いつか。」

「ジーノ…」

「タッツミーはさ、いつも頭の中で色々なプレーを考えているんでしょう?こんな風にしたら、もっと楽しくて面白いフットボールができるって。」

「えっ?まぁ、うん…そうだな。」

「ボクなら絶対にタッツミーが思い描くフットボールを体現できるよ。ボクなら…」

「俺の、フットボールを、お前が…?」

「うん。だから、このままじゃいけないよ。タッツミーは太陽みたいにいつまでも輝いていなければいけないんだ。」


嘘偽りのない達海への気持ちだった。達海を目の前にしたら、好きになってしまったのだと結局言えなくて。けれども好きだという想いを込めて、今の言葉を真剣に伝えた。達海が愛しいから、彼に新しい道を進んで欲しかった。ジーノは達海に優しい笑みを向ける。お前なぁ、ほんと大人をからかうもんじゃありません〜。何言ってんだよと、達海はツンと唇を尖らせた。けれどもどこまでも真っすぐな瞳はジーノの言葉を受け止めて、嬉しそうにキラキラと輝いて見えたのだった。



*****
達海が消えた。文字通り、ジーノの前から突然居なくなってしまった。どうしても都合が悪くなってしまったらしく、今日からはもう一緒に練習に参加できないそうだ。練習前に監督が酷く残念そうに告げた言葉にジーノは一瞬呼吸をすることも忘れてしまいそうだった。それくらいに自分にとっては衝撃的なことだった。夏休みはまだ十分残っていたというのに。やっと自分の気持ちに気付いたというのに。ついこの間、夕陽に染まる綺麗な笑み見せてくれたというのに。達海に会えない。達海が居ない。ジーノは言いようのないやり切れなさで一杯だった。達海は今時では考えられないが携帯電話を持っておらず、こちらから連絡の取りようがなかった。さらに監督の話では、達海は地元の少年クラブの手伝いも辞めてしまったようだった。やりたいことができたんだ。彼はそう言って、当分帰っては来ないだろうからと住んでいたアパートも引き払ってしまっていた。


達海が居なくなってしまったと知ってから、ジーノは酷く後悔した。それはもう泣きたくなるほどに。あの時、自分の想いをちゃんと伝えていれば良かった。あの時、目の前の細い体をそのまま抱き締めてしまえば良かった。後悔だけがただ静かな波のように押し寄せてジーノを苦しめた。


「タッツミー…」


ピッチの外に視線を移せば、小さく笑う達海の面影を今でも探すことができるのに。なのに。彼自身はどこにも居ない。どこにも居なかった。


こうしてまるでひと夏の恋のように達海と過ごした短い時間は終わりを迎えた。けれどもそれは色褪せない鮮やかな記憶として、いつまでもジーノの中に残り続けたのだった。



*****
「オーラ、あるよね。そんな風に言われないかい?」

「…それ、5年くらい前にも聞いた気がする。」

「うん。確かにボクは5年前にも同じことを尋ねたね。」

「……ジーノ、お前さ、ほんと馬鹿だよ。…俺が昔プレーしてたチームにでも入れば、いつか俺に…会えるとか思ったの?」

「うん。ボクにはそれくらいしか方法がなかったからね。…だけど、間違っていなかったよ。こうしてまたタッツミーに会えたんだから。」

「…ジーノ。」


5年振りに見た目の前の達海は、ジーノの記憶の中の彼よりも年齢を重ねていた。けれども所々跳ねた髪も童顔な所も相変わらずで、ジーノにとって可愛らしい彼のままだった。


「つーかさ、今日、俺、監督就任1日目だってのに、遅刻してくるとか…お前、相変わらず遅刻癖治ってないんだな。しかもまだ私服だし。」

「フフ、仕方ないよ。これがボクなんだから。」


達海に指示されて各々自主練をしていたチームの仲間達が、何事かとジーノと達海を遠巻きに見つめる。気にせず続けろよと達海は再び指示を飛ばすと、ジーノの腕を引っ張ってピッチの端へと移動した。お互いにじっと見つめ合っていたが、ジーノは愛しい人に綺麗に微笑むと、そっと口を開いた。


「タッツミー。ボクね、タッツミーに言わなければならないことがあるんだ。ずっとずっと伝えたかった。」

「うん。」

「おかえりなさい。タッツミーがこの場所に戻って来てくれて、本当に嬉しいよ。」

「ジーノ…」

「それからね、もう1つは…」


ジーノは達海の耳元に唇を寄せると、甘く優しい声で囁いた。自分の中の溢れる想いを伝える為に5文字の言葉を音に乗せて。


「困ったな〜。」

「タッツミー…」


達海は自身が発した言葉通り、眉を寄せて困惑した表情を浮かべていた。確かに突然の告白は受け入れられない困った物だろう。だがジーノは絶対に諦めたくなかった。達海に会えない5年間、ずっとずっと彼のことだけを想っていた。彼だけが全てだったのだ。


「…確かにボクの想いはタッツミーにとっては困った物だとは思うよ。だけどボクはタッツミーが好きなんだ。」

「違うって。困ったってのはそういうことじゃなくて…」

「えっ…!?」

「俺も…お前と同じ気持ちだから困ってんだよ。あぁもう、どうしてくれんの!」

「タッツミー!」


そんな嬉しそうな顔すんなよ。すごく恥ずかしいじゃん。達海の耳がうっすらと赤くなる。幸せで堪らない。ジーノの心は達海への温かい想いでゆっくりと満たされていった。


「…覚えてる?俺が監督だったら、もっともっと楽しいだろうなって言ったこと。」

「覚えてるよ。心からの気持ちだったからね。今もそれは変わらないけれど。」

「あの時さ、ジーノがそう言ってくれたから。だから俺は、こうしてまた歩き出せたんだ。俺、あの後監督になろうって決めて、もう一度ちゃんとフットボールを見つめようって思ったんだ。日本だけじゃなくて海外にも行ってさ、色んなフットボールを見て来た。だから絶対にお前が楽しいって思えるフットボールを見せてやんよ。期待していいぜ。」

「それは本当に楽しみだね。」


達海が嬉しそうに小さく笑う。その表情は、いつかの夕焼けの中で見た時と同じで。それは会えなくなってしまってからずっとずっとジーノが見たかった達海だった。あぁ、これからはずっと彼の隣に居られる。彼と未来を歩いて行ける。ジーノは温かな幸せを噛み締めながら、隣に寄り添う達海にもう一度微笑んだ。






END






あとがき
21歳×30歳はイングランドに旅行中のジーノが偶然タッツミーに出会って…な王道設定が大好きですが、ジノタツサイト様の素敵な作品がたくさんありますので、敢えて日本に居てアルバイトみたいなことをしているタッツミーと大学生ジーノにしてみました。実は過去に会っているという設定は本当に美味しいですよね(*^^*)


無理矢理設定でしたが、読んで下さいましてありがとうございました!

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あきゅろす。
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