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おかえりなさいと愛してる 2
「タッツミー!」


名前を呼んで、笑顔で手を振る。もっともっとこっちを見て欲しいから。この頃のジーノは達海に会えることが何故だか思った以上に楽しくて。こんなに楽しいと思うのは考えてみれば本当に久しぶりのことだった。幼い頃に初めてボールを蹴った時に感じた言葉では表せないような高揚感。あの感覚に似ているのかもしれない。達海と一緒に居る時の心躍るような感覚はジーノには酷く心地が良い物だった。夏の暑さも痛いくらいに照りつける太陽も練習に時間を割くことも。驚くことにジーノには全く苦ではなくなっていた。


「フフ、タッツミー。」

「ジーノ…お前なぁ、休憩の度に俺んとこばっか来るなっての。俺はお前に構ってる暇はないんだよ。練習試合、近いだろ?今日は俺、監督のデータ集め手伝ってんだから。」

「そんなつれないこと言わなくてもいいじゃない。ボクはタッツミーと色々な話がしたいんだよ。」

「あのなぁ、休憩ってのは疲れた体を休める為のもんで、おしゃべりの時間じゃないんだって。」


腕組みをした達海が困ったようにジーノに視線を向ける。それでもジーノは達海の側を離れる気などさらさらなかった。彼に興味が湧いた。だから彼のことをもっと良く知りたいのだ。にこりと笑い掛けてみると達海は小さく溜め息を零して、お前ってまるでどこかの王子様みたいに自由だよねと、しみじみ呟いた。ちょうど今は能力強化の為の個別メニューが終わり、皆各々クールダウンの小休止をしている時間であり。ジーノもキックの精度を高める練習を終えると、早々に達海の所へと向かったのだった。


「だって、タッツミー、ここに来ない日が結構あるでしょ?ボクはタッツミーに会いたくてずっと真面目に練習に参加しているっていうのにさ。」

「あ〜、一応俺もそれなりに忙しいんだよね。」


ジーノが発した言葉通り、達海は練習がある日に必ずこの場所に顔を出すという訳ではなかった。彼はどうやら他にも同じような仕事を抱えているらしい。夏休みの大部分を占める練習に参加すれば、達海に会える時間も当然増えるだろうと思っていたジーノは肩透かしを食らった気分だった。それでも、ジーノは休むことなく毎日の練習に参加した。自分が休んだ日にもしも達海が来ていたらと思うと、自然と足は大学のグラウンドに向かっていた。今日だって達海とは数日ぶりだった。まるで会えなかった時間を埋めるかのように、ジーノは達海の隣に立って一生懸命話し続けた。


「そういえば、タッツミーは少年クラブの監督もしていたんだよね?」

「いや、俺は別に監督やってる訳じゃないよ。そこの少年チームの監督に頼まれて、時々アドバイスしたりサポートしてるだけだし。」

「そうなんだ。でも、子供達に教えることもあったりするんでしょう?」


やっぱり子供達は楽しそうにプレーしているのかい?ジーノは距離を詰めると、そのまま達海の顔を覗き込んだ。間近で目と目が合う。達海は少しだけ気まずそうにジーノから視線を外すと、そうだなぁと呟いて、入道雲が浮かぶ青空を見上げた。


「…皆、とにかくいつも真っすぐボールを追い掛けて、目一杯声も出してて、すっごく楽しそうだな。キラキラしてるっていうか…うん、お前とは全然違うね。皆遅刻しないし、ピッチの中では歩かないし、すぐに休憩もしないしな。俺の隣の奴にはほんと困ったもんだよ。子供より駄目じゃん。」


達海が意地悪く笑ってジーノを見つめる。だがすぐに、冗談だよと目を細めた。彼は良く笑うようになったと思う。自分と一緒に居る時には。最初は軽くあしらわれていたけれど、練習で何度も会うようになる内に少しずつ打ち解けていき、今ではこんな風に他愛のない話ができている。ジーノはそのことが純粋に嬉しかった。最初はただ興味本位で達海に近付いたはずなのに。どこか他人と違う雰囲気を纏う彼のことをもっと知りたくなってしまって。そして彼と過ごす今この瞬間が何だか楽しくて、大切にしたいなと思うようになっていた。


「はーい、休憩終わりっ!時間なんだから練習に戻るように。」

「えぇっ!?タッツミー…」

「監督、困らせちゃ駄目だろ?」


達海は駄目な物は駄目と小さく笑うと、足元に置いていたボードとノートを拾い上げた。もっと話していたかったのに。もっと隣でその横顔を見ていたかったのに。残念だなぁとジーノは不満げに眉を寄せたが、練習を上手く抜け出してまた後で達海の所に行けばいいかと納得した。


「もう少し練習頑張ってくるよ。」

「うん。お前、最近調子いいみたいだからさ、後半もしっかりやれよ、ジーノ。」

彼は監督よりもずっとずっと自分のことを良く見てくれている。それが嬉しくて。けれどもそれがどうしてこんなにも嬉しいのか、分からずに戸惑う気持ちの方が大きかった。ジーノはピッチに入る前にもう一度達海を見た。再びお互いの視線が緩く絡まる。少しだけ彼の目元が優しくなったような気がして。ジーノはそのまま達海に背を向けたが、口元には無意識に笑みが浮かんでいたのだった。



*****
チームの仲間達と共に練習を続けていると、やはり練習の手応えを感じる場が欲しくなる。自分達が確実に成長していることが分かる場が必要だと思えてくる。他大学のチームとの練習試合は、まさにそれにぴったりだった。ジーノも仲間達と同様に、単なる練習試合なのだとしても絶対に負けたくはないと思っている。今年は特に強くそう思った。理由など自分自身でも分かりきっている。達海が観てくれるからだ。ジーノはこれまで真面目に練習には参加しなくても、監督や仲間に頼まれて練習試合や公式戦には出場していた。試合で誰よりも活躍することは純粋に気持ちが良かったし、強豪チームとの試合はやはり面白い物だったからだ。けれど、達海が居ることはそれ以上に何よりも意味があるように思えて。試合でボクの格好良い所を彼に見せてあげたいなと、ジーノにしては珍しく、試合前から既に意気込んでいたのだった。


練習試合が近くなると、監督は試合を想定したフォーメーションで紅白戦を指示したり、最後の調整に時間を充てることが多くなった。達海も頻繁に顔を見せるようになり、監督と話し込んだり、軽い練習メニューを手伝ったり、選手達に1人ひとりに声を掛けたりとチームの為に頑張っていた。ジーノはそんな達海を飽きることなくずっと目で追い続けた。考えてみれば練習に参加するようになって、ジーノの中でそれが当たり前になっていた。達海を見つめることが。達海が、居ることが。


練習試合を今週末に控え、今日もジーノは夏の暑さと戦いながら練習に参加していた。今日は一段と気温が高く、何もしていなくてもピッチの中に立っているだけで、額にじわりと汗が滲んだ。これならばイタリアのからっとした暑さの方がずっとマシだと思ってしまう。あぁ、今はそんなことよりも彼と話したい。ジーノは休憩時間になると、真っ先に達海の所へ向かった。ピッチの向こうに立っていた達海がジーノに気付いて、また俺の所に来たなと小さく笑った。


「なぁ、ジーノ。今週の練習試合さ、それなりに強いとことやるんだろ?」

「ボク達のチームも結構強いんだけど、そことは公式戦で良く優勝争いしたりするかな。名前は忘れちゃったけど、10番の彼が厄介かなぁ。」

「じゃあ練習試合っつっても、気は抜けないってことだよな。」

「うん、そう思うよ。ねぇ、タッツミー…ボク、頑張るからさ、練習試合に勝ったらご褒美が欲しいな。」


ジーノは達海をちらりと見ると、ここ数日間考えていたことを口にしてみた。勿論そこに特別深い意味を込めた訳ではなかった。一生懸命頑張った後に達海に褒めてもらえれば、きっとそれだけで満足してしまうだろうから。達海は、ご褒美ねぇ…と小さく呟くと、う〜んと考え込むような仕草を見せた。だが結局何も思い付かなかったのだろう。そのまま少しだけ困った顔になって、じっとジーノを見つめ返した。


「ご褒美って…何?俺がお前に何か買ってあげればいいの?」

「いや、別にタッツミーにお金を使わせる気は…」

「じゃあ、俺がお前に何かすればいい訳?」


そうだね、キスして欲しいかな。突然頭の中に浮かんだ言葉にジーノはハッと我に返った。え…?ボク、今何を言おうとした?何をお願いしようとした?キスして欲しい。確かに心の中でそう呟いたことにジーノは酷く混乱した。一体何を考えてしまったのだろう。達海の隣に立ったまま、ジーノはらしくもなく慌てた。


「ジーノ?どうした?」

「えっ、あっ…タッツ、ミー。」


達海が、お前何か変だよと顔を近付ける。ジーノの瞳にちょんと尖った唇が映り込んだ。先ほどの自分の言葉が頭にちらついて、達海の唇に視線が釘付けになってしまいそうだった。嫌でも、意識してしまう。意識してしまうのだ。ジーノはどうしたらいいのだろうと焦りを感じた。


「あっ、ボクの欲しいご褒美は…そうだね、うん…当日、言うよ…」

「ん、何か良く分かんないけど、ジーノの好きにすればいいんじゃない?」

けど、俺のできる範囲でしかご褒美はやんねぇからな。それと勿論お前が活躍するのが条件だぜ。ニヒーと楽しげに笑う達海が眩しくて。ジーノは胸の鼓動がいつもより速くなるのを感じながら、目を細めて達海を見つめることしかできなかった。



*****
東東京の強豪であるジーノのチームと西東京の強豪である相手チームとの練習試合は夏休みの終わりに差し掛かる頃、ジーノの大学で行われた。大学生の試合であっても強豪校同士になるとレベルも高く、随分と白熱した物になる。ジーノは手を抜くこともなく、真剣に試合に臨んだ。約束通り達海が観に来てくれていたからだ。達海が居るのだから今日は頑張らなければいけない。ジーノはその一心でいつも以上にプレーに集中した。


ここぞという時に仲間にアシストし、抜群の位置でシュートを決めてみせ、ジーノは90分間まさに文句なしの華麗な活躍を見せた。ジーノの活躍のおかげでチームは試合に勝ち、監督も仲間達も勿論ジーノも、嬉しさに口元を綻ばせたのだった。





「ジーノ、この後皆でどっかで食べて行かね?」

「今日のお前すごかったしさ、俺らが何か奢ってやるよ!」


部室のロッカールームでゆっくりと着替えていると、先に私服に着替え終わっていた仲間達がジーノを囲んだ。ジーノは着替えていた手を止めると、彼らに申し訳なさそうな笑顔を向けた。


「ごめんね、今日はちょっと…また改めて誘ってくれると嬉しいよ。」

「何だよ、今日の主役が来ないんじゃつまんないのによ。仕方ないな、よし、また誘うからその時はちゃんと来いよ。」

「じゃあな、お疲れ、ジーノ。」

「うん、お疲れ様。」


ジーノは自分以外に誰も居なくなったロッカールームで着替えを再開した。時間を掛けて着替え終わった頃、見計らったように背後から声がした。


「ジーノ。」

「…タッツミー。」


お疲れ様、すごかったよ、お前。達海は自分のことのように楽しげに言葉を紡ぎながらジーノに近付いた。この頃は達海が目の前に居ると何だか心が落ち着かなくて。ジーノは少しの緊張と共にゆっくりと口を開いた。


「ボク、今日はゴールも決めてみせたし…それで、試合に勝ったご褒美のことなんだけれど……抱き締めて…くれないかい?」

「えっ?そんなんでいいの?」


達海は目をパチクリさせた。点を入れたことや試合に勝ったことを讃えて仲間と抱き締め合うことは、かつて選手であった彼にとっては些細なことなのだろう。達海にとっては特に意味のない当たり前の感覚でも、ジーノにとっては特別だった。


「今日は良く頑張ったじゃん。」

「うん、タッツミー。」


初めて感じる温もり。背中に回された細い腕の感触。耳元で感じる息遣い。そのどれもがジーノを酷く安心させて。心に溢れる安心感を感じながら、ジーノはそっと目を閉じて、ありがとうと呟いた。達海が応えるように笑った気配がして、それすらもジーノを安心させてくれたのだった。

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あきゅろす。
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