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もう1人のキミも幸せであれ 2
今日の全体練習を終えた後のクラブハウスからの帰り道。ジーノは愛車を運転しながら、昨日の出来事を思い出していた。別の世界の26歳の達海と再び会うことになり、しかも彼は現在自分の部屋に居る。これは夢なのではないだろうかと、今でも信じられない気持ちの方が大きいような気がする。けれどもそれは、まぎれもない現実であり。物理的な法則も何もかも飛び越えてこちら側に来てしまった彼をそのまま独りにすることは、やはりできなかった。勿論自分の恋人が何よりも愛しく、大切な存在であることは揺らぎようのないジーノの想いである。それは別の世界から帰って来た後、ジーノの中で絶対の真理となった。しかしながらあの彼も、もう1人の達海なのだ。守ってあげたいという気持ちが失われた訳ではなかった。ジーノはハンドルを握ったまま、誰も居ない助手席にそっと視線を向ける。昨日この席に座らせた人物の顔が瞼の裏に浮かんだ。


「タッツ…」





あの後、駐車場でぎゅうぎゅうと抱き締めてきた達海の体からゆっくり離れると、ジーノはドアを開けて彼を助手席へと座らせたのだった。達海はジーノの愛車にすごいな〜と興味津々であったが、ジーノがマセラティを発進させると、大人しく座ってジーノの横顔を見つめていた。真っすぐ子供のように見つめてくる瞳が何だかいじらしくて、ジーノは目を細めると達海に声を掛けた。


「タッツ、ボクの部屋は広くて快適だから、きっと一目で気に入ると思うよ。ここに居る間は気兼ねせずに過ごして欲しいな。」

「ありがとう、ジーノ。俺、すっごく嬉しい。」

「それは良かったよ。…だけどね、タッツに約束して欲しいことがあるんだ。」


ジーノの真剣な声が車内に響く。交差点の信号が赤に変わり、ジーノはブレーキを踏むと、隣に座る達海を見つめ返した。


「あまりボクの部屋から出て欲しく…ないかなって思うんだ。いや、やっぱりそれはちょっと言い過ぎだよね。…クラブハウスにだけは、行かない方がいいよ。あの場所にタッツが行くのは、色々な意味で危険だから。」

「それはさすがに分かってるって。別に行きたい所も特にないし、ジーノの部屋で大人しくしてるよ。けどさ、その代わり…俺もお前に約束して欲しいんだけど。」

「うん、ボクにできることなら。」

「…部屋に帰って来たらさ、いつも…俺の側に居て欲しいんだ。」


こんな風にさ。達海は助手席から身を乗り出すようにして体を近付けると、手を伸ばしてそっとジーノの太ももに触れた。悪戯っぽい瞳が小悪魔のように艶めいて、ゆっくりと迫って来る。もう1人の達海は9歳年下の分だけ、自分の恋人よりも積極的なのだろうか。それとも彼は元々こういう性格だったのだろうか。太ももに手を添えられ、好きな顔が近付いて来るこの状況にジーノは思わずグラッとしそうになった。何を揺らぎそうになっているのだ、しっかりしなければ。このタッツは、ボクのタッツミーではないんだよ。だからボクは恋人を裏切るようなことはしてはいけない。ジーノは揺れる心を落ち着けようと必死になった。あちらの世界に居る時もいつもそうだった。自分には大切にしたい恋人が居る。そう思って、目の前の彼に手を出すような真似はしなかった。


「ジーノ…」

「タ、タッツ!」


不意に甲高いクラクションの音が2人の耳に届き、お互いに弾かれたように体を離した。信号は既に青に変わっており、ジーノは慌てて愛車のアクセルを踏んだ。そのままそっと達海の様子を窺ったが、彼はいつの間にか窓の外に視線を向けており、こっちの世界もやっぱビルばっかなのは変わんないな〜と呟いていた。ジーノはホッと息を吐くと、隣に寄り添うくらいならば約束してあげられるかな、と心の中で頷いた。それで彼が安心してくれるのならば。ジーノは窓の向こうの景色を眺めている達海から視線を外すと、運転に集中し始めた。だからその時、達海が小さく小さく、もう少しだったのになと切なげに呟いたことに気が付くことはなかった。





「タッツミーと、タッツ…」


高級住宅街の通りにもうすぐジーノの住むマンションが見えて来る。タッツは走ってボクを出迎えてくれそうだねと、ジーノはぼんやりと思った。不意に想像の中の達海の顔に恋人である達海の顔が重なる。今日の午後の練習の際、達海はいつもと同じで別段変わった所はなかった。ジーノに普通に話し掛けてくれた。けれど、ジーノは何となく達海の態度が素っ気ないように感じた。周りの人間はそんな風に思わないのかもしれない。多分恋人の自分にしか分からないほんの小さな変化。もう1人の自分についての話も全く口にしなかったことを考えても、達海なりに何かしら思うことがあったということだろうか?不謹慎かもしれないが、嬉しかった。けれどもそれと同時にずっとこのままではいけないとも思った。思ったのだが、もう1人の達海を放っておくことはできないのも確かで。今はタッツミーに分かってもらうしかないよねと結論付けると、ジーノはマンションの駐車場へと愛車を滑り込ませたのだった。



******
ジーノが想像した通り、玄関のドアを開けると嬉しそうな顔をした達海が駆け寄って来た。どの世界の達海も基本的には猫のような性格であると思っているが、目の前の彼は早くリビングに行こうぜと、体を寄せてジーノの腕をグイグイ引っ張る。子犬のようにじゃれてくる達海に戸惑いながらも、ジーノは決して悪い気にはならかった。あちらの世界で一緒に過ごした時よりも素直に甘えてくる達海は、恋愛感情は湧かないけれども、やはり可愛いと思う。タッツミーもこんな風にはっきりと分かるくらい甘えてくれればいいのにね。ジーノは達海に腕を引かれながらリビングに向かった。


「なぁ、ジーノ。今日は俺がご飯作ってやんよ。ジーノはソファーでゆっくりしてればいいからさ。」

「それは勿論嬉しいけれど…タッツって料理、得意だったんだね。一緒に居た時はいつもボクが作っていたから。」

「ジーノよりは全然上手くはないけど、俺だって店で星形のお好み焼きくらいは作れんだからね。」

「えっと、それは…」


多分料理とは言わないよね。ジーノは続きの言葉を飲み込むと、だったらボクと一緒に2人で作ろうよと提案した。達海は、それいいじゃんと目を輝かせると、何作ろっかなぁと楽しそうな足取りで一足先にキッチンへと向かったのだった。


ジーノの部屋のキッチンは大きさも機能性も十分なカウンターキッチンになっており、作った料理を隣に併設されたダイニングテーブルにそのまま出すことができる仕様になっている。今日の夕食は達海のリクエストで、結局ジーノの得意なイタリアンを作ることになった。ジーノが手際良く手を動かす隣で、達海はやっぱお前、すごいよなと嬉しそうにしたり、使おうと思っていた食材を勝手につまみ食いしてジーノを困らせたりもした。タッツはタッツミーより子供だよねと思いながらパスタを茹でていると、いつの間にか達海がすぐ側に立っていた。肩と肩が触れ合う感覚にジーノは小さく動揺したが、達海は黙ってジーノの腕をギュッと掴んだ。


「…約束、したじゃん。」


部屋に帰って来たらさ、いつも俺の側に居て欲しいんだ。達海は真剣な瞳でジーノにそう願った。触れ合うことが許される距離に居て欲しいのだと。


「…分かっているよ、タッツ。」


タッツがここに居る間は約束したからね。ジーノは空いている方の手で達海の頭を優しく撫でた。達海は猫のように目を細めて、黙ってジーノの腕を握っていた。達海のその姿は、自分が与える温もりを忘れないようにと精一杯心に刻んでいるようにジーノには感じられた。



*****
ソファーで一緒に映画を観たり、音楽を聴いたり、お酒を飲んだり。ベランダに出て星を数えたり、高層階から見える東京の夜景を楽しんだり。練習から帰った後、一緒に食材を買いに行ったり、近所を散歩してみたり。もう1人の達海との日々はゆっくりと過ぎて行き、彼がジーノの部屋に来てから5日目が過ぎようとしていた。

ジーノお手製の夕食を食べた後、今日も2人はソファーで寛いでいたのだが、ジーノは今現在自分が置かれている状況にただただ狼狽えていた。


「タッツ…あのね、これ以上は…」

「え〜?聞こえな〜い。」


今にも口付けができそうなほどにグッと顔を寄せた達海が嬉しそうにジーノに抱き付いている状況なのだ。同じフットボーラーではあるが、ジーノよりも細い体がピタリと密着し、考えないつもりでいるのに嫌でも胸がドキドキした。抱き締められたジーノはぬいぐるみのように動くこともできず、目の前の液晶テレビから流れる音も全く耳に入らなかった。


「タッツってさ、本当は大胆というか…積極的、だったんだね。ボク、驚いてばかりだよ。」

「…だって、後悔したくないじゃん。」

「タッツ…」

「俺、今は、ジーノを…感じたいの!」

「か、感じたいって…ちょっと、タッツ!そんな言い方は、その…」

「今は、側にあるお前の温もりを感じてたいんだよ。それだけでいいから。俺に、ちょうだいよ。」


達海は真っすぐに自身の感情を伝えて来て。同い年の彼は、真剣に自分のことを想っているのだと分かった。確かに彼は守るべき大切な存在だ。けれども自分には、それ以上に大切で守りたいと思う愛しい人が居る。


「タッツ…」

「ジーノ。」


達海はジーノの背中に回す腕に力を込めると、そっと目を閉じた。細い腕の中でジーノも同じように瞼を閉じると、ごめんねと心の奥で呟くことしかできなかった。

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あきゅろす。
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