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甘い恋を召し上がれ 5(完結)
「もう、駄目だ…」


昨日の出来事がまるで見えない大きな錘のように銀時の心に重くのし掛かっていた。その耐え難い重さに心も身体もそのまま押し潰されてしまうのではないかと思えるほどに。だが心に感じるのはその悲しい重みだけではなかった。暗い水底に音もなくずぶずぶと沈んでいくような、絶望に似た感覚にも同時に襲われた。息をすることすらこんなにも苦しくて。今日は仕事も何もかも放り出して、ただじっと部屋に閉じこもっていたかった。ずっとずっとこのまま。彼に会うこともなく。


「くそっ…」


銀時はカーテンの隙間から射し込む朝陽から逃れるように強く目を閉じると、布団の中で丸くなった。目を閉じていてもいなくても、思い出すのは土方のことばかりで。これ以上思い出したくはないのに銀時の頭の中は今も土方で占められていた。以前の自分ならば、四六時中彼のことを考えているだけで幸せだった。頭の中が土方で一杯になることが嬉しかった。だが今は、それがただ悲しくて叫び出したくなってしまうだけだ。今日はもうこのまま店を休んでしまおうか。


「…それがいいに決まってるよな。」


何も考えられない頭で銀時はぼんやりと思った。だがそんな勝手なことなどできるはずがなかった。脳裏に新八と神楽、2人の顔が浮かぶ。銀時は布団からゆっくり起き上がると、きゅっと唇を噛んだ。昨日土方の舞台を観に行く前に神楽から感想を教えるようにと茶化されたが、新八からも明日は部活を休んでバイトに行くつもりであるから、ノロケ話のような感想に付き合ってやると言われていたのだ。きっと2人は馬鹿みたいに嬉しそうな顔で土方のことを話す自分を楽しみにしているのだろう。銀時自身、舞台が始まる前まではそう思っていた。簡単に想像ができていた。酷く興奮して、それに恥ずかしさを感じながらも土方の真っすぐな演技の良さを矢継ぎ早に話す自分自身の姿を。微笑ましく自分の話を聞いてくれる2人を。今日はそんな1日になるはずだった。そして、内緒で観に行ったのだと後で土方を驚かせて、彼に喜んで欲しかったのに。彼の笑顔が見たかったのに。もう、無理だった。彼には何でもないことであっても、自分には無理なのだ。本当に女々しくて情けなくて馬鹿みたいで。どうしようもないくらいに傷付くのが怖くて。目を背けて逃げることしかできなくて。


「俺、何やってんだろ。ほんと…どうすりゃいいんだよ。」


震えるように呟いた言葉は誰にも届くことなく独りきりの部屋の中で静かに霧散した。銀時はゆっくりと目を伏せると、店で下準備をする時間になるまで動こうとはせず、安物のパイプベッドの上でうずくまるようにじっとしていたのだった。



*****
「銀ちゃん、元気ないアル。」

「どうしたんですか、銀さん。」


昨日の今日で子供達には余計な心配をさせたくないと思い、努めて明るく振る舞っていたというのに。やっぱエスパーだ、こいつら、と銀時はカフェオレを作っていた手を思わず止めた。グラスを持つ手が小さく震えそうになり、呆れて心の中で自分自身を笑うしかなかった。絶対変な顔をしてはいけない。銀時は小さく息を吐くと、気のせいじゃね?と口にした。勿論いつもと変わらない調子で。


「でも…何か今日の銀さん、変ですよ。ねぇ、神楽ちゃんもそう思うよね?」

「確かにそうアル。」

「いやいやそんなことねーって。」

「土方さんの舞台のことも結局全然話してくれないですし。僕らと銀さんの仲じゃないですか。別に遠慮しなくていいんですよ。応援してるって言ったじゃないですか。」

「それ、は…」

「あっ、銀ちゃん。あいつネ!あいつ来たヨ!」


銀時の言葉を遮るように神楽がわぁっと高い声を上げる。神楽の声に銀時の肩はこれ以上ないくらいに大きく揺れた。彼女が指差す入り口の方を見なくても、誰が来たかなど分かり過ぎるくらいに分かっていた。確信のような物はあった。多分今日、彼はここに来るのだと。銀時の瞼の裏に昨日劇場で見た土方の舞台のスケジュール表が浮かぶ。昨日は公演があったが、今日はちょうど休演日だったのだ。だから動揺してはいけないと部屋を出る時に心に決めていたつもりだったのに、銀時は今すぐこの場から逃げ出したい気分だった。こんなことならば、やはり何が何でも店は休みにしておくべきだった。あのまま部屋の中に閉じこもっていれば良かったのだ。銀時は酷く後悔したが、だがもうどうにもなりはしなかった。


「さあさあ、早く行ってあげて下さいよ、銀さん。土方さんと距離を縮める絶好のチャンスですよ。」

「昨日の舞台のこと話して、頑張ってアピールして来るアル。」

「ちょっ、待て、お前ら…」


土方が待っているからと、新八と神楽は瞳を輝かせながら銀時の背中を強く押した。2人は何も知らない。何も知らないからこそ、銀時の為を思ってこんな風に頑張れと応援してくれるのだ。2人の気持ちは嬉しいのに、これからはもう応えることができない。銀時は申し訳なさで一杯になった。俺はもう無理なの、ごめんな。銀時は心の中で悲しげに呟くと、無理矢理身体を反転させた。突然のことに腕を伸ばしていた2人は驚いて銀時を見つめたが、構っていられなかった。今、土方と会う訳にはいかない。


「…俺、ちょっと手が離せねーから…神楽、お前が代わりに行って来い。」

「はぁ?今さら何照れてるネ。乙女のつもりアルか?銀ちゃんが行くヨロシ。」


だから俺じゃなくてお前が…と言葉を続けようとした銀時は、ガタガタ言ってないで早く行って来いと神楽に思い切り背中を押されてしまった。彼女は小柄な可愛らしい見た目を裏切る怪力の持ち主であり、気を付けていても時々お皿やグラスを割ることがある。そんな彼女が思い切り力を込めたせいで、銀時はよろめきながら店の入り口へと突き飛ばされる形になった。さすがにこれはやり過ぎだろ何すんだ銀さん怪我しちゃうだろと神楽に文句を言おうと顔を上げ、銀時はそのまま動けなくなっていた。


「……」

「……」


そこに土方が立っていることなど先ほどから分かっていたことなのに、いざ彼の近くに行くと舌が喉に貼り付いて何も言えなくなっていた。目の前に好きで堪らない彼が居るのに苦しかった。心が痛くてどうしようもなかった。


「…こんにちは。」

「……うん。」


耳に馴染んだ土方の挨拶に蚊の鳴くような小さな声で返した銀時は何となく彼に小さな違和感を覚えた。いつもの優しい雰囲気とはどこか違う。土方が纏う雰囲気はいつもより随分と硬質な気がして、銀時はただ困惑した。


「お席へご案内しますので…こちらへ、どうぞ。」


変に思われないように営業用の笑顔を作ったつもりだったが、上手く笑えている自信はなかった。それに土方と距離を取ろうとしてか、銀時は無意識に普段のくだけた口調ではなくなっていた。土方を見ないようにしながらくるりと背を向けると、いつもの特等席に案内した。後ろを歩く土方のことが気になって仕方がなく、客の楽しそうな笑い声がどこか遠くに感じられた。


「ご注文がお決まりになり…「じゃあ、これで。」


銀時の言葉を遮るように土方が指差したメニュー表のケーキの写真に銀時はえっ…と驚いた。それは白桃と黄桃、そしてパイナップルをふんだんに使ったクリームたっぷりの甘いケーキとすっきりとしたアールグレイティーのセットで、最近女性客中心に人気のメニューだった。土方が甘いケーキを注文するなど初めてのことであり、銀時は困惑しながら伝票にセット名を書き込んだ。その注文の意図することが掴めず、銀時は珍しいと思いながらも結局土方と会話らしい会話をすることもできないまま、キッチンの奥へと戻るしかなかった。思ったよりも早く戻って来た銀時に新八と神楽はどうしたのかと顔を見合わせたが、銀時は彼らに曖昧に笑うことしかできなかった。





今日の子供達はとことん気を遣いたいようで、レジを担当していた神楽は土方の会計を銀時に譲っていた。ちょっと前の自分ならば、嬉しさやら切なさを感じながらも土方の近くに行けることが幸せだったのに。刺すような胸の痛みに見えない蓋をして、銀時は静かに土方にお釣りを手渡した。そのまま右腕を引っ込めようとして、けれども強い力で手首を握られた。


「…っ、ひじかた、くん…?」

「話があるんだ。少しでいい。駄目か?」


自分の好きな切れ長の瞳に見据えられ、銀時は土方から視線を外すことができなかった。普段は年下だからか綺麗な敬語で話していたのに、本当に今日はいつもと違う。それでも彼は変わらず格好良かった。土方がゆっくりと指を解く感覚を感じながら、銀時はそんな場違いなことを思った。右腕は自由になっても結局土方から逃れられる術などなく、銀時は観念したように肩を震わせると、そのまま後ろを向いて神楽を呼んだ。


「…ちょっと俺、今から買い物行って来るから、悪ぃけど…少し頼むわ。」

「分かったアル。ふむふむなるほど、そういうことならのんびり寄り道してくるネ。」


神楽はにやにやしながら銀時と土方を交互に見やると、いってらっしゃーいと手を振った。神楽に思い切り勘違いされてしまったが、訂正することなくそのままにして、銀時は土方と共に店を出たのだった。





白いシャツを着て腰に長い黒のエプロンを巻いたギャルソン姿は会社員や学生が行き交う平日の夕方では十分目立つ格好であったので、銀時は店から少し歩いた先にある小さな児童公園に土方を誘った。最近は随分と陽が長くなり、外に居てもまだまだ明るかった。それでも遊んでいた子供達はもうすっかり家に帰ってしまったのだろう。公園には銀時と土方の2人だけだった。話があると言ったくせに土方はなかなか口を開こうとはせず、沈黙が2人を支配した。銀時はその重さに段々と耐えられなくなり、気が付けば自分から言葉を紡いでいた。


「俺さ…土方くんの舞台、観たよ。」


土方が僅かに目を見開いて銀時を見つめる。その顔は何かに納得しているようにも見えた。


「やっぱり、昨日のって…」

「ちゅーしてたね、土方くん。」

「えっ…あ、あれは…」


土方は、あれは違う、あれは確かに俺だけど俺じゃないんだと必死な声を出した。みるみる狼狽えたような表情になる土方に、そんな顔させたい訳じゃないのにね、と心が痛かった。


「分かってる。分かってるよ。土方くんにとって演じることは生きることと一緒なくらい楽しいんだって。大切だって。見てりゃ分かるよ。」

「……」

「…でも、駄目なんだよ。俺には無理なの。切り離して考えられないんだよ。」

「坂田さん……いや、銀時。」

「……っ、」


真剣な声で名前を呼ばれ、心を掴まれた。心が震えた。初めて耳にするその声は、銀時を捕まえて離さなかった。土方は銀時に近付くと、昨日見た時みてーな悲しい顔をさせたい訳じゃないんだと青い瞳を揺らした。


「俺、今日あんたが作ったケーキ食った。すっげー甘いやつ。あんたを喜ばせたいって思ったから、これからまた、つってもたまにだが…食うつもりだし、それに店にだって通う。…だから、俺に…銀時のこと好きでいさせてくれ。」

「や、土方くん、悪い冗談なら…」

「冗談じゃねーよ。本気だ。銀時の笑顔に、俺は救われたんだ。…ずっと前から好きだった。」

「だって、そんなの…土方くん…」

「十四郎って呼んでくれないか?」

「……」

「なぁ、お願いだ。」

「俺は…」

「銀時…」

「…十四…郎。俺も…俺も、お前のこと…」


続きの言葉を告げるより早く、土方の腕が銀時の首に回り、そのまま包み込まれるような口付けが降ってきた。そっと目を開けると、端正な顔があり得ないほど嬉しそうに笑っていた。その幸せだと言わんばかりの笑顔に銀時は土方の腕の中でこのまま爆発してしまうかもしれないと思った。それくらい銀時も幸せだった。


「夢みたいなんですけど…これってやっぱ俺の都合のいい夢?」

「夢じゃねーから、銀時。」

「土方…」


想いが通じ合うことはこんなにも幸せなのだと、土方の体温を感じながら銀時は静かに頷いた。



*****
土曜日の昼下がりは平日よりもずっと忙しい。けれどもピークの時間を過ぎると、奥まった場所にあるこのカフェは途端に客が少なくなる。店長としては不謹慎極まりないが、銀時にはその時間が大切なものだった。


「相変わらず今日も可愛いな、銀時。」

「あ、えっと…ありがと。」

「私も新八も2人のことは応援してやるネ。でもお前、私達の銀ちゃんを呼び捨てにするなんて、百万年早いアル。彼氏になったからって調子乗ってんじゃねーヨ!」

「あの…銀さん、土方さんってこんな感じでしたっけ?もっとこう、優しそうな好青年っていうか…」

「うん、そうだねー。俺もまだびっくりしてるからねー。」

「悪かったな。こっちが素の俺だ。」


いつものテーブル席に座って甘さ控えめのスコーンをかじりながら、土方は銀時達を見上げた。土方は客が少なくなった時間にやって来たので、休憩していた新八と神楽も会話に加わっていた。


「恋人になる前は…俺の方が年下だし、そりゃ敬語で話すだろ?それに演技って訳じゃねぇが、嫌われたくねーから…ちょっと良く見せてたとこはある。けどな、今は銀時の恋人なんだ。恋人ってのは対等だろ?だから本当の俺を見せたいし、そんな俺をもっと好きになってもらいてーんだ。」

「わー!カッコいいよ、十四郎!」


笑顔を作って冷やかしてみたら、土方は顔を赤らめて、おう、と小さく頷いた。やっぱ土方くんはカッコいいくせにほんと可愛いよ。勿論心配しなくたって、俺は素のお前も大好きなんだからさ。銀時は土方に届けとばかりに微笑んだ。


「うわっ、こいつらただのバカップルネ。ほっといて行くアル、新八。」

「待ってよ、神楽ちゃん。あ、銀さんは土方さんともう少しゆっくりしてていいですから。」


新八と神楽が自分達の持ち場に戻ってしまうと、銀時の周りにあいつらが居てくれて良かったと、土方が目元を緩めて嬉しそうに呟いた。自分のことをこんなにも想ってくれる恋人に銀時は幸せな気持ちだった。


「そうだ、今度からさ、メンズ向けのスイーツも充実させよっかなって思ってて。だから、新しく作った時は…真っ先に土方に食べてもらうから。感想頼むわ。」

「ああ、いいぜ。その代わりお前には俺の舞台観に来てもらうからな。実は今度の舞台、刑事役なんだ。」


刑事役かぁ、似合い過ぎじゃんと銀時が褒めると、土方は照れくさそうに笑った。そんな彼らの様子を少し離れた所に立って、新八と神楽が見守っていた。


「新八、銀ちゃんとあいつ、胸焼けするほど甘いアル。」

「そうだね。もしかしたらこのカフェで一番甘いのって、あの2人なのかもしれないね。」


銀時は今が楽しくて幸せで堪らなかった。家族のように大切な2人の子供達。安らぎをくれる何よりも愛しい恋人。たくさんの幸せを感じられるこの場所が、温かくてかけがえのないものだった。そのかけがえのないもの達をこれからもずっと大切に愛おしんでいこう。土方の側でそんな風に感じながら、銀時はもう一度綺麗に笑った。






END






あとがき
舞台役者、カフェ、年下にきゅんとする乙女銀ちゃんと好きな物を詰め込んでみましたら、無理矢理な感じになってしまいました^^;色々とおかしな所が満載ですが、目を瞑って読んで下さればなと思います。


個人的にはとても楽しく書けました^^土銀でパロはやっぱり良いですね!銀ちゃんが働くカフェなら是非とも行きたいです。そして土方さんとらぶらぶする所を遠くから見たい!


ここまで読んで下さいまして、本当にありがとうございました!

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あきゅろす。
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