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甘い恋を召し上がれ 4
銀時は店の壁に掛けられているアンティーク調の時計に先ほどから何度となく視線を向けていた。午後になってからもうずっとそればかりを繰り返している。今は仕事中なのだから目の前の作業に集中しなければならなかった。だがどうしても時間が気になってしまう。これは最早仕方がないことだった。店内は休日のおかげだからか、いつもよりたくさんの客で賑わっている。店にとっては良いことであるのに早く仕事が終わらないだろうかと、銀時の頭の中はただそれだけで占められていた。何故なら今日は銀時にとって意味のある大切な日だったからだ。5分ほど前にも時間を確認したばかりであるはずなのに、気が付けば再び時計を見てしまっていた。当然の如く針はほとんど進んでおらず、2人掛け用のテーブル席のグラスを片付けながら、銀時は小さな溜め息を零した。


「銀さん、さっきからずっとそわそわし過ぎですよ。時計ばかり見てるじゃないですか。」


斜め後ろの客に白桃のケーキとアイスティーを運び終わった新八が銀時に近付いてそっと声を掛けた。新八に言われるまでもなく、銀時自身もよく分かっている。時計をちらちら見ていても時間が早く進む訳がないことなど。今はきちんと仕事をしなければならないことなど。ちゃんと分かっている。それでも。それでもやはり。


「……仕方ないじゃん、ぱっつぁんよー。どうしても気になっちまうんだから。」


新八の隣を歩きながら銀時は唇を尖らせて呟いた。仕方がない。自分でも本当に馬鹿だよなとは思うけれど、気になってしまうのだ。それは、彼に関わることであるから。だから銀時はずっと時間を気にしていたのだ。今日はそわそわしていると年下の少年に指摘された恥ずかしさをやり過ごすように俯いた銀時に、そりゃそうですよねと、困ったような、それでいて納得したような声が返って来た。居心地の悪さを感じながらそのまま2人して店の奥にある小さなキッチンスペースへと入ると、中では神楽が真剣な顔でカフェモカを作っていた。神楽は銀時と新八に気付いて顔を上げたが、首を動かして銀時の方をじっと見つめた。


「銀ちゃん、今日は落ち着きないアルな。ちょっと深呼吸して落ち着くヨロシ。」

「えっ…ちょっ、神楽!?」


新八といい、神楽といい、何でそんなに俺のこと分かんだよ。そりゃいつもより時計は見てたけど、それ以外は別に普通にしてましたよ、俺。何なの、こいつらエスパーなの?長く一緒に働いているせいで、この2人には自分のことは何でもお見通しなのだろうかと、銀時は酷く焦った。だが焦った所で自分がそわそわしていた事実が変わるようなこともないので、結局素直に認めるしかなかった。


「銀さん。確か…今日、でしたよね?土方さんの舞台って。この前ちらっと言ってましたよね、掃除してる時に独り言で。だから、時間気にしてるんでしょ?」

「うっ…まぁ、そう…なんだけど。」

「だったら、今日はもうこのまま仕事終わって下さいよ。最後まで残って仕事してたら、土方さんの舞台に間に合わないかもしれないんですよね?…今からだったら着替えて準備してもまだ大丈夫だと思いますから。」

「そうネ。お店のことは私達に任せるアル!ボンクラ店長が居ても居なくても、私達2人でちゃんとできるネ。だから早く行くアル。」

「お前ら…」


2人の温かくてふわりとした優しさが嬉しくて堪らなかった。けれども銀時は照れくささからきちんとお礼を言うことができず、余計な気ィ回しやがってとぶっきらぼうに口にすることしかできなかった。それでも新八も神楽も素直になれない銀時の性格を分かっているからか、嬉しそうに笑っていた。


「…悪ぃな。じゃあ着替えて行って来る。」

「楽しんで来て下さいね、銀さん。」

「勿論当たり前じゃん。」


神楽の、明日ちゃんと舞台の感想教えろヨという楽しそうな声を背中越しに聞きながら、銀時は心の中で2人にありがとうと呟いた。



*****
仕事があるから舞台を観に行くことはなかなか難しい。だから、申し訳ないけれどその舞台には行けない。確かに銀時は以前、土方に対してそんな風に言った。土方から自分が主役の舞台を観に来てくれないだろうかと誘われたのだが、銀時は怖くて一歩が踏み出せなかった。土方との関係にはどう考えても光が見えなくて、先に進めるはずもなくて。彼のことが好きで堪らないのにどうしても勇気が出なかったのだ。あの時は。けれどもやはり銀時は土方への想いをこのままにしたくはなかった。このままで良いはずがなかった。踏み出さなければ何も始まらない。彼が好きなのだ。どうしようもなく。強くそう思った。だから銀時は土方には知らせることなく、内緒で舞台のチケットを取ることにしたのだった。


土方から舞台役者であると知ってから、銀時はインターネットや舞台関係の雑誌で土方のことを調べていた。まだデビューして間もない新人だからか、土方に関する記事はそれほど多くはなかった。それでも銀時は土方について少しでもたくさんのことが知りたくて、ホームページや雑誌のページにできる限り目を通した。それは舞台情報か何かの雑誌だったと思う。銀時は書店でその雑誌を読んでいて、土方の演技に関する小さな記事を見つけたのだ。


――土方十四郎、彼は気持ち良いくらい真っすぐに演技をする。まだまだ荒削りな部分も見られるが、これからの成長が楽しみな役者だ。

『へー、これからの成長が楽しみ、か…すげーじゃん、土方くん。』


土方の演技はある評論家からそんな風に評価されていた。そうか、自分を見つめるあの瞳と同じように彼の演技は真っすぐで、たくさんの人を惹き付けるのか。そうなのだと分かってから、土方にはあんな風に言ったが、彼が演じている姿を見たくなってしまっていた。


土方が好きだから、彼の為にできることをしたい。自分の店で癒やされてもらうことは勿論だが、それ以外にも自分ができることで彼に喜んで欲しい。彼は舞台を観に来て欲しいと言った。だから、銀時は自分の心に従って行動することに決めたのだ。甘い物が大好きでそれに関わる仕事ばかりが銀時の生活の中心であったので、舞台など今まで全く興味がなかった。だから一生懸命情報を集め、右往左往しながらそれでも何とか土方が主役の舞台のチケットを取ることに成功した。しかも非常に幸運なことに舞台から随分と近い良席だったのだ。客席の案内図を調べた銀時は、その距離の近さに嬉しさが込み上げた。土方とは店で何度も会って会話を重ねてはいるが、心は欲張りなものでいつもすぐ近くで見たいと思ってしまう。銀時は土方の端正な顔が好きだった。そして、その凛として優しい雰囲気が好きだったのだ。


土方の舞台までいよいよあと数日となると、銀時は訳もなく色々なことを考えるようになった。席が近いのだから、もしかしたら土方は自分に気付いてくれるかもしれない。もしもの話だが、そんな時はどうすればいいのだろう。そもそも彼と目が合ったりしたら、果たして自分は平常心でいられるのだろうか。いや、演技に集中しているのだから気が付くはずがないではないか。毎日の仕事が終わって自分の部屋に帰ると、そんなことばかりが次々と頭に浮かんだ。馬鹿みたいに余計なことを考えてしまったけれども、銀時にとって土方の舞台は何よりも楽しみなものだった。舞台が終わって次に彼に会った時には、実は内緒で観に行ったのだと教えてあげようと思った。きっと驚くに違いない。昼下がりの店内で舞台の感想でも語りながら、いつもと同じように土方とのささやかだが幸せな時間を過ごしたい。銀時は祈るようにそう願ったのだった。



*****
照明の明るさがギリギリまで落とされた薄暗い空間は何だか映画館の中と似ているような気がする。だが似ているだけであって、実際は全然違っていた。銀時は客席に座ったまま首を左右に動かして辺りを見回すと、はぁ…と小さく声を漏らした。


「…見事に女ばっかだな。」


銀時の両脇の席は勿論のこと、客席のほとんどが若い女性客で占められていた。映画館ではまずこんな光景は見られないのではないかと思う。勿論自分の他にも男性客の姿はちゃんと確認できたのだが、9割以上は女性ではないだろうかと、銀時は目を眇めた。


「ま、そうだよな。」


劇場に入った時から何となく予想はしていたことだった。眩しいくらいあんなに格好良いのだ。女性ファンが多くて当然だろう。客席がほぼ埋まっているのは土方のことを思えば嬉しいことだったが、銀時は何だか複雑だった。それに。銀時は再びゆるりと周囲に視線を巡らせた。女性達の多くはこれからどこかのパーティーにでも行くかのように皆驚くほど綺麗に着飾っていたのだ。銀時は視線を落とすと、そのまま自分の服を見つめた。Vネックの白いカットソーに黒のパンツ、履き慣れたスニーカー。シンプル過ぎて華やかさなど全くないが、そこまで変でもないと思う。いや寧ろ着飾っているかどうかなど問題ではなかった。何故なら銀時は、今ここに座っている誰よりも土方のことを好きでいる自信があったからだ。それだけは誰にも負けやしない。絶対に。だから今日は誰よりも土方の舞台を楽しめる。銀時は幕が上がるのを待ちわびながら、静かに土方のことを想った。





土方は、幕末の動乱の中、侍になることを夢見て武州を飛び出し活躍する青年を演じていた。濃紺の絣の着物に長く結った髪、腰に差した刀。カフェで見る普段の彼とは180度違うその姿は酷く新鮮であり、銀時をこれでもかと惹き付けた。土方くんってポニーテールも似合うんだなぁ、可愛いじゃんと、銀時は新たな発見をした気分で土方をその瞳に映し続けた。


それは、ちょうど物語の前半の山場に差し掛かる頃だった。土方演じる青年が武州を旅立つことを決め、幼なじみの女性に別れを告げるシーン。これからの生き方を必死に模索した結果、青年は女性とは違う道を行くことを決心するのだ。土方が幼なじみ役の女優と真剣に話をしている姿を銀時はじっと見つめていた。青年を演じる土方が幼なじみに自分の想いを真摯に告げる。銀時はその姿をただひたすら目に焼き付けた。だが次の瞬間、目の前に広がる光景が俄かに信じられず、目を見開いたまま固まってしまった。


「あ……」


土方が彼女をそっと抱き締め、別れを惜しむかのように深く口付けたらだ。分かっている。これは演技だということなど。物語の中の恋人同士の口付けなのだと。だが銀時にはどうしても土方と小柄で可愛らしい女性がキスをしているようにしか見えなかった。女性客達は幼なじみに感情移入したように、皆うっとりと土方を見つめていた。だが銀時はもう駄目だと、視線を逸らして目を伏せた。嫌だ。もうこれ以上見ていたくない。嫌だ。気が付けば、銀時は勢い良く席を立っていた。周囲の訝しげな視線をひしひしと感じる。もうこの場に居続けることなどできそうになかった。銀時はそのまま出口に向かう為に客席を抜け出そうとして、舞台上に立つ土方と目が合ったように感じた。


「土、方…」


だがそれは、きっと気のせいに決まっている。彼は今真剣に青年の人生を生きているのだから。自分に気が付くはずがない。銀時は土方に背を向けると、逃げるように劇場を出たのだった。


「あーあ、俺、何やってんだろうな…」


女々しくて、情けなくて。劇場を出て繁華街の通りを歩く銀時の頭の中では暗い感情がぐるぐると巡り続けていた。そんな自分が呆れるほど嫌で仕方がなかった。演じる上で抱き合ったり口付け合うことなど普通のことだといえるのに。それなのに自分以外の誰かが土方に触れることがこんなにも苦しくて辛くて、酷く悲しかった。女々しい考えだと分かっている。それでも胸が痛くて耐えられなかった。本当に情けなくて、このまま泣いてしまいそうだった。もう何も考えることもできず、銀時はこのまま家に帰ろうと、重い足を引きずりながら夜の街を歩いた。


「俺、馬鹿じゃねーの?動揺、しすぎだっての……」


土方のことを思い出して今にも歪みそうになる視界をどうにかしようと、銀時は歩みを止めて無理矢理顔を上げた。


「……土方。」


高いビルの隙間から見えた四角い夜の空は、今の銀時の心と同じように暗くどんよりとしていた。何もかも飲み込んでしまう深い沼のような空にはいくら目を凝らしてみても星ひとつすら見えなかった。

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