甘い恋を召し上がれ 3
銀時が営むカフェは駅前の通りから奥まった場所にある。そんな立地だからなのだろう。平日の午後を過ぎると、客はそう多くはなくなってくる。今日もいつもと同じように店内の客はまばらだった。このような日はいつも元気な神楽も気を抜いた顔で食器を拭いていたりする。彼女は学校が終わると真っすぐに店に来てくれて、夕方前から一緒に働いてくれる。新八は剣道部の部活があるので基本的には土日だけ働いているが、部活が休みの日には平日でも真面目に働いてくれるので、銀時は2人が居ることでとても助かっていた。そんな風に平日はのんびりとできて暇であるけれども、最近の銀時にとっては却って好都合だった。店が忙しくないということは、それはつまり彼と話せる時間が増えるということなのだから。
「お、土方くん、それ…台本読んでんの?」
ビターチョコレートを使ったマフィンとコーヒーを邪魔にならない位置に置きながら、銀時はテーブル席に座る土方に声を掛けた。頭上から降って来た声に土方は台本から勢い良く顔を上げると、聞いて下さいよと嬉しそうな声を出して銀時を見た。
「俺、次の舞台で主役貰えたんです!主役ですよ、主役!今度のは時代劇で、侍になろうとする男の役なんですよ。」
土方は目を輝かせ、興奮した様子で次に出演するという舞台のことを語り始めた。そんな土方が微笑ましくて、銀時は目を細めて彼の話に耳を傾けた。舞台役者ならば主役を演じられることは何よりも嬉しいに違いない。普段から舞台など全く観ない銀時でもそれくらいのことは分かった。
「主役ってすごいじゃん。ほんとに良かったね。」
「ありがとう、ございます。」
土方は小さく頭を下げると、テーブルの上に広げてあった台本のページに手を置いた。銀時もつられるように台本へと視線を落とす。目に入ったページには小さな付箋が貼られ、綺麗な文字で何やら色々と書き込みがされていた。
「なぁ、土方くん。こんなとこで台本読んでてもいいの?」
「坂田さん…?」
「やっぱ、自分の部屋とかで読んだ方がいいんじゃない?ここじゃ集中できないと思うんだけど…」
いくら客が少ないといっても店内からはちらほらと雑談が聞こえてくる。集中して台本を読むのはここでは難しいのではないだろうか。銀時はそんな風に思った。現に自分だってどうしても彼と話をしたくて声を掛けてしまい、結果的に邪魔をしてしまった訳なのだから。頭の中で考えていたことがうっかり顔に出ていたのかもしれない。土方は優しい表情になると、心配しなくて大丈夫ですよと明るい声で答えた。
「大丈夫です。…俺、ここに来ると、すごく心が落ち着くんですよ。」
「…そっ、か。」
「はい。だから、これからもここで読ませてもらえると嬉しいです。」
「土方くんが、そう言うなら…」
嬉しかった。とにかく嬉しくて堪らなかった。この場所が彼にとって心落ち着ける大切な場所になっている。その事実に頬が緩んで、みっともない顔になってしまいそうだった。顔に出してはいけないと、銀時は小さく咳払いをして緩む口元を何とか誤魔化した。このままもっと土方と話していたくなり、あともう少しだけ、少しだけだからと、銀時はそのまま会話を続けることにした。
「考えたらさ、舞台役者ってほんとすごいと思うよ。」
「別に、そんな…」
「いやいやすごいって。まず絶対的に顔が良くないと駄目だし。台詞もたくさん覚えたりすんだろ?それで何時間も喋って演技するなんて、どう考えても無理だもんなぁ。あ、人前に出るのも緊張するじゃん、普通。だからさ、土方くんはすごいよ。」
「坂田さん…」
「その内さ、テレビとかにも出たりすんじゃない?」
「さすがにまだ、そこまでは…」
「土方くんならそう先の話じゃないって。そうだ、テレビとか雑誌とかに出る時があったらさ、俺の店のこと話してよ。そしたらここも有名になって、客が一杯来るかも〜。土方くん御用達のカフェってね。」
深く突っ込んだ話などできる訳もなく、他愛のない会話を続けることしかできなかった。それでも片想い中の相手と言葉をかわすことは銀時にとっては本当に幸せなことだった。
「坂田さんの為にも頑張りたいですが、何せ俺、まだ全然駆け出しだし…」
土方はすみませんと眉尻を下げ、申し訳なさそうな表情になった。だが憂いを帯びたその表情すらもぐっと惹き付けるものがあり、銀時はまたしても土方に見惚れてしまった。
「…心配いらないよ、土方くんなら。周りがほっとかないって。だって土方くん、すっげーカッコいいもん。」
「格好…良い?」
「うん。」
俺って、坂田さんには格好良い奴に見えるんだ。土方は気恥ずかしそうに呟くと、照れくさそうな表情になった。年相応の反応を見せる彼が可愛くて。土方くんってカッコいいのにほんと可愛いよなと、銀時は目の前の青年の姿に甘く胸が締め付けられていた。実はその一方で、赤いヘアクリップで前髪留めるとかやっぱ今日もとにかく可愛いよな、この人、と土方も銀時のことを可愛くて堪らないと感じていたのだが、自分のことを可愛いと思っていたなどと銀時は知る由もなかった。お互いの心の内を知らないままに2人の視線が緩く絡まった。
「何にやついてるアル。」
突然背後から響いた声に銀時が驚いて振り返ると、不満げな顔をした神楽が立っていた。
「銀ちゃんの気持ちは私も分かるヨ、でも早く仕事に戻るネ。忙しくなくても、私ばっかり働くのはやっぱり嫌アル。私だってちょっと休憩したいネ。」
神楽は小さな子供のようにむっと唇を尖らせて腕を組んでいた。銀時はご立腹の彼女に、あ〜そりゃ悪かったなと素直に謝るしかなかった。あとほんの少しだけ土方の隣に居たかったが、店長である自分がアルバイトの店員である彼女に任せてばかりで仕事を放り出す訳にはいかない。銀時は戻るとするかと土方に背を向けたが、振り返ってもう一度土方を見つめた。
「台詞覚えるの頑張ってね。」
「はい。」
土方に小さく微笑んで、ごゆっくりと言葉を掛けると、銀時は神楽と共にキッチンへと戻り、再び自分の仕事を再開した。その後しばらくして食器を洗っていた神楽から、そういえば銀ちゃん、あいつと話してた時ずっとピンク色のオーラが出てたネ、だから私が声掛けてやったアルとからかわれることとなり、銀時はどうしようもない恥ずかしさから顔が真っ赤になってしまったのだった。
*****
確か2回目か3回目に言葉を交わした時だったと思う。自分は舞台役者をしているのだと土方に教えられたのは。それを聞いて、だからかと納得できた。彼が驚くくらいに整った顔をしていることも。立ち姿が綺麗だなと思ったことも。聞きやすいはっきりとした話し方をすることも。彼が役者ならば全て説明できるからだ。今だって彼が座っている周りだけがキラキラと輝き華やいで見える。いつもの特等席に座り、注文したカフェラテを待っているだけであるのにその姿さえも絵になるのだ。少し離れた席に座る女性客達がちらちらと土方を気にしているのも仕方がないことなのだろう。少しの時間だとしても今日も会うことができた嬉しさと、なかなか縮まらない距離へのもどかしさを同時に感じながら、銀時はゆっくりとした足取りで土方の方へと歩いた。
「ご注文の品でございます。」
「ありがとうございます。」
「うん。こんにちは、土方くん。どう?稽古は順調に進んでる?」
「はい。最近はずっと調子いいんですよ。ノってるっていうか。楽しくて仕方ないです。」
土方が嬉しそうに頷いた。やはり彼の喜ぶ顔を見ていると、自分も同じように嬉しくなってしまう。銀時はこうも単純な自分に心の中で苦笑いをしつつも、それは良かったと頷き返した。小さな花がデザインされたコースターの上に土方が注文したカフェラテを置いたが、銀時は会話を続けることなくそのまま踵を返そうとした。今日は土曜日である為にいつも以上に客の入りが多く、土方と話していたくても話せる状況ではなかったからだ。注文を聞いたりグラスを運んだりと、新八や神楽も忙しく走り回っている。今日も彼が来てくれただけでいいのだ。それだけでいい。銀時は2人を手伝うべくキッチンへと足を向けた。
「待って下さい。」
「土方、くん…!?」
真剣な土方の声に捉えられて足が止まる。銀時はそのままゆっくりと振り向いた。椅子から立ち上がっていた土方と真っすぐに目が合う。射抜くような瞳が綺麗だった。土方に少し低めの声で名前を呼ばれ、銀時の肩が小さく揺れた。
「…良かったら、あの…今度の舞台、観に来てくれませんか?」
「あ…えっと…」
期待と不安が入り混じったように見える瞳に心が震えた。土方の言葉が銀時の胸の中で大きくなっていく。けれども銀時はどうしたらいいだろうかと逡巡した。彼との距離を縮めたいといつも思っている。彼の近くに行きたいと。けれども一歩を踏み出すことが怖いとも思ってしまうのだ。自分と彼は同じ性別であり、どう考えてもその先に未来はない。いくら彼との幸せを思い描いたとしても、その幸せな未来が現実になることなど絶対にないのだ。それに彼は華々しい役者だが、自分はしがないカフェの店長であり。そんな何も取り柄のない自分は彼に釣り合わない。少しも相応しくないのだ。銀時は土方が好きだ。好きで好きで仕方がない。けれども好きだからこそ、その先に進むことが躊躇われた。望まない未来へと進むことが怖かった。それどころか、そもそも彼と付き合うことすらできるはずがないというのに。
「………俺、こういう仕事だからさ、なかなか休みが取れないっていうか…」
「…そうですよね。何か変なこと言ってすみません。」
土方が一瞬寂しそうな表情を見せたように思った。だがそれは銀時の気のせいだったのか、土方はいつもと変わらない表情で銀時を見つめていた。
「…そういう訳で、だから…ごめんね、土方くん。でも俺、全力で応援してっから。土方くんなら絶対舞台成功させるって思ってるし。それは、ほんとの気持ちだから。」
その言葉だけでも十分だというように、土方は目を細めて嬉しさを露わにした。そんな顔をされたら、どうすればいいのか分からなくなってしまう。ただますます彼にはまり込んでしまっていることだけは分かった。銀時は土方に惹かれる心を最早自分自身で制御することができないのだと感じた。
「俺、頑張ります。一生懸命頑張りますから。だからいつか…観に来て下さい。」
「土方くん……うん、分かった。」
銀時は土方の言葉ににこりと笑って頷いた。けれども心の中では胸の甘い疼きと苦しいような切なさに耐えきれずに、このまま泣いてしまうのではないかと思いながら。
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