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桜色の涙 3
そういえば、前世の自分も愛読書はこの漫画雑誌だったなーと思いながら、銀時は自分が受け持っている教室の扉を開けた。途端に教室内に居た生徒達の視線が銀時に集中する。今は昼休みの真っ只中であるので、昼食を食べていた生徒の多くが皆一様に、何事だ、先生が一体何の用事なのだろうという顔をしていた。


「あー別に何でもないから。ちょっと教壇の物入れるとこにジャンプ置き忘れちまったんだよね。」


銀時は年季の入った教壇を軽く叩いた後に少しだけ屈み込んで腕を突っ込み、中から目的の漫画雑誌を取り出した。


「おー、あったあった。じゃーな、お前ら。しっかり飯食えよ。」


愛読書を脇に抱えてそのままのんびりと職員室に戻ろうとしたら、偶然土方と視線が絡まった。大きく鼓動が跳ねる。銀時はそんな自分に情けなさを感じた。今すぐここから離れるべきであるというのに向こうがなかなか視線を外してくれないせいで銀時の中で様々な感情が湧き上がって来る。頭の中では駄目だ行くなと何度も声が響いているのに、進む足を止めることはできなかった。


「よっ、土方。」

「先生。」


どうしても抗えずに側に行ってしまう。些細なことでいいから言葉を交わしたくて話し掛けてしまう。もっと笑った顔が見たいと思ってしまう。求める心を押し殺しているはずなのに。でも別にこれくらいなら、少しくらいなら許されるのではないかと無理矢理答えを出して、銀時は土方の席の前で立ち止まった。昼食は教室の他に食堂や屋上で食べることも可能であるが、土方は自分の席に座って購買部の惣菜パン食べていた。何か話さなければと思って思案しようとしていた銀時は、彼の机の上に置かれている物とパンの上に乗っている黄色い物体に気が付いた。あぁ、変わらないな。思わず口元が緩んでしまった。


「そっか……やっぱお前もそれ好きなんだ。あ、でもそんな大量にぶっかけるとか、俺は絶対無理だけどね。」

「…先生、マヨネーズは何にでも合うように作られてんです。だからたくさん使わなきゃ意味ないんで。」

「ははっ、マヨラーは言うことが違うね。でもさ、そんなに食うならちゃんと運動しろよ。」


真選組の副長として生きていた彼は日々の苛酷過ぎる仕事で大量にカロリーを消費していたからか、細身で引き締まった良い身体つきをしていた。彼に抱かれる度に男前なのは顔だけじゃないんだよなといつも感じていたのだから。


「……っ、」


真っ昼間からそんなことを思い出してしまった銀時はどうしようもない居たたまれなさを感じて土方から後ずさった。これはもう本当にここから退散しなければと踵を返そうとして、再び土方と目が合った。土方がじっと銀時を見上げてくる。何か言いたそうな表情をしているように見えてしまって足が止まった。


「土方…?」

「先生、は…」

「え?」

「……いや、別に…何でもないです。」

「そ、そう…じゃあ俺、そろそろ職員室戻るわ。あ、そういや、いちご牛乳飲みかけにしてたし。」


何とか平静を装いながら、じゃあねとひらひら手を振ると、銀時は今度こそ土方に背を向けた。背中にはっきりと視線を感じたが、銀時は振り返らずに教室を出た。前世の自分が土方と付き合う前、こんな風に背中越しに彼の視線を感じたことがあったことを今さらのように思い出して笑うしかなかった。どうにもならない今の自分をただ嘲笑うことしかできなかった。






放課後になって誰も居なくなってしまった教室から去ることもなく、土方は自分の席に座って窓から外を見ていた。少し先に見える桜の花が夕陽の色に燃えている。部活の勧誘の声が遠くから響いていたが、しんと静かな教室には自分1人だけだ。椅子に深く身を預けて目を閉じようとしたその時、誰かがそっと入って来た。


「先生…!?……どうしたんですか?」

「あれ?土方?」


お前まだ帰ってなかったのかよと、突然教室に入って来た銀時は目を丸くして土方以上に驚いた顔を見せた。言うまでもなく教室には土方と銀時の2人だけ。数時間前の昼休みに言葉を交わせた嬉しさの上にさらに幸せな感情が降り積もる。土方は椅子に座ったまま愛しい人を見つめた。


「まぁ、その…別に大した用事って訳じゃねーけど、こっからだとあの桜の木が綺麗に見えんだろ?」
 

そう言って銀時は土方の1つ前の机に近付くと手を伸ばして椅子を引き、両足を開いて跨るような格好で腰を下ろした。銀時の着ている白衣の裾がふわりと翻って、またすぐに元に戻る。椅子の背に両腕を乗せてこちらを見つめてくる彼は、銀縁の眼鏡を掛けてはいるけれども記憶の中の彼と寸分違わぬ可愛さだった。前世の自分がよくしていたようにその銀色の髪をくしゃりとかき混ぜたくなる衝動に駆られたが、それをぐっと身の内に抑え込むと、土方は再び窓の外を見た。


「桜ですか…」


教室の窓から見える背の高い桜の木。グラウンドの奥に1本だけ立っているその木は幹も太く枝葉も生い茂り、随分と歳を重ねている。


「先生、あの木は…」

「あの桜の木、ほんとでっけーよな。ほんとかどうか分かんないけど何か何百年も前からあそこにあるらしいよ。校長が無駄話のついでに教えてくれた。」

「そうなんですか。」


銀時は覚えてはいないだろうが、自分には分かる。あの木なのだ。真選組の副長であった自分が異星での任務に向かう前、約束を交わしたあの桜の木。


「先生、」

「ん?」


茜色に染まる銀色の髪に手を伸ばしてその後頭部に触れると、土方は驚きに目を見開く銀時をそのまま引き寄せて薄桃色の唇を啄むように口付けた。


「…あ、」

「先生…」

「土…方、お前…」


ほんの僅かな時間の口付けの後、突然のことに戸惑う銀時に向けて照れくさそうに笑ってみせたら、彼は勢い良く立ち上がった。土方の瞳に映ったその顔は今にも泣いてしまいそうで。酷く動揺した土方は彼に掛ける言葉が何も見つけられなかった。このままでは駄目だと手を伸ばしかけたが、銀時はそんな土方に目もくれずに無言で出て行ってしまった。すぐに追い掛けなければと思ったが、後悔の波に心が攫われて動くこともできなかった。土方は呆然と座ったまま、彼が消えてしまった先を見つめるだけだった。


「あんな顔、初めて見た。」


好物のいちごパフェを食べている時のふにゃりと笑う幸せそうな顔。喧嘩した時のふてくされた子供のような顔。昼寝の時の少しあどけなさの残っていた顔。思い切り啼かせてやった時の満足そうに蕩けた顔。待ち合わせを忘れてすっぽかしてしまっことを必死に謝ってきた時の可愛い顔。土方、と名前を呼んでくれる時の優しい顔。彼のくるくると変わるその表情全てを知っていると思っていたのに。


「銀時。」


何かを諦めなければならないのに諦めきれない、けれどもやはり諦めるしかない、そんな表情に見えて仕方なかった。

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あきゅろす。
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