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桜色の涙 2
『すぐに帰って来る。だから、待っててくれ。』


坂田銀時にはいわゆる前世の記憶があった。前世の自分は教育現場に身を置く今の自分とは違い、自由気ままな何でも屋稼業を営みながら、その日その日を楽しんで生きていた。


前世の銀時が生きた世界は日本史で習った江戸時代によく似ていたが、天人という異星人が共に住み、異星間の行き来も可能であり、現代の世界よりも発達した水準の文化を持っていた。そんな世界で自分はのんびりと万事屋稼業をしていたが、意外とグローバルな環境だったようで、従業員の少女は地球人ではなかった。彼女は大食いの破壊魔で色々と問題を起こしたりもしていたが、憎めない可愛い女の子であることに違いはなく、もう1人の従業員である眼鏡の少年と共に困った奴だよなと笑い合ったりした。


少年と少女と少女が以前拾って来た白い大型犬と共にまるで家族のように楽しく暮らしていた自分には、さらに嬉しいことに、土方十四郎という恋人がいた。その恋人が同性であったことにさすがに最初は困惑したが、記憶の中の彼には性別など気にしなくていいやと思ってしまえるほどの男らしい魅力があった。ぶっきらぼうに見える所もあるが、根は優しく、そして自分の中にある信念を曲げることなく真っすぐに生きるそんな生き方にどうしようもなく惹かれてしまったのだろう。それは十分に頷ける気持ちだった。あとは、あの整った顔立ちもすごく自分の好みだったのだ。


『万事屋。』


仕事中の彼にかぶき町で偶然会うと、引き連れている部下の前では色々と照れ臭いのか、いつもそんな風に呼んでいた。彼には悪いが、その時の表情が何とも可愛くて、心の中でにやにやしていたのは秘密だ。


『銀時。』


だが2人きりの時は必ず名前で呼んでくれた。愛おしむように優しく。何度も何度も。耳元で囁かれる度に心地良さが全身に広がって、それはもう堪らなく幸せな気持ちで満たされた。


『俺は、銀時が好きなんだ。お前に惚れてる。ずっと大切にしてェんだ。』


俺、お前のことがどうしようもなく好きなんだよ。それがいつのことだったのかはっきりと分からなかったが、2人で寄り添っていた時に、彼は熱っぽくそう言って真剣な瞳を向けてくれた。触れ合う部分から伝わって来る温もりを感じながら、前世の自分はどこまでも幸せで穏やかな心だった。だから、当然ではあるが、恋人である土方との永遠の別れがすぐそこで待っていたことなど全く予想していなかった。


前世の自分は土方と満たされた時間を過ごしていた。だがある日、土方に大事な話があると呼び出された。上位機関の命令により、地球を離れて幕府の高官と共に異星に行き、その星で5年間の任務に就くことになったのだと告げられた。恋人が酷くつらそうな顔で耐えているのを目にしたら、頑張ってやって来いよとしか言えなかった。土方には真選組の仕事をないがしろにして欲しくはなかったし、たった5年の辛抱ではないかと無理矢理思うことにした。つらく寂しいのは自分だけではないのだ。だから桜の木の下で交わされた約束に頷いた。浮気すんじゃねェぞと土方はいつもより随分と軽い口調だったので、ああきっとすごく我慢してるんだなと愛しさが込み上げてしまい、自分も冗談めかして返してやった。そうしたら、桜の花びらがひらひらと風に舞い落ちる中、伸ばされた腕に抱き締められてそのまま優しく唇を奪われた。当分お預けになってしまう少し苦い口付けを忘れないように味わって、広い背中に腕を回した。


あぁ、この身体は一体いつから病に侵されていたのだろうか。あと半年で土方が江戸に戻って来るという時に、前世の自分は不治の病に倒れた。色素が抜け落ちて銀色の髪はさらに白くなり、まるで呪いの文字のような痣が全身に広がって、唯一の取り柄だった体力も容赦なく奪われた。


全身を襲う耐え難い傷みと確実に近寄って来る死の恐怖に抗いながら、土方の帰りをずっと待ち続けた。今の自分が体験した訳ではないが、銀時ははっきりと思い出せる。手を伸ばそうとしても全く思うように動かない身体。少しずつ確実に失われていく命の感覚。前世の自分はどれだけつらく悲しく、そして悔しかったのだろう。


攘夷戦争に身を投じていた頃から何度も何度も死線をくぐり抜けてきたのだ。こんな病に負けてしまうはずがない。だから土方の帰りを待ち続けながらも前世の自分は病のことを彼には知らせなかった。知らせるべきだと銀時の考えに反対する子供達に微笑んで、絶対に知らせないようにと強く口止めした。土方に迷惑を掛けたくないというのは勿論だったが、それ以上に治してみせるという気持ちが大きかった。治ると信じていたから、恋人に知らせる必要などないと思っていたのだ。


病に負けまいとする自分を嘲笑うかのように症状が悪化して手も足も完全に動かなくなり、起きていても視界が暗闇に包まれるようになった。いよいよもう駄目だなと悟っても前世の自分は土方に連絡はしなかった。土方は恋人である以前に真選組の副長なのだ。普段から土方の仕事のせいでなかなか会えないことが多かったが、それでも銀時は真摯に仕事に打ち込む彼が好きだったのだ。だから、これでいいのだと、納得できた。


『新八、神楽…最後にひとつだけ、頼まれちゃくれねェか?俺が、死んだらさ…』


少年と少女の顔はもう見えなかったが、前世の自分の最後の頼みに泣きながらも笑顔で頷いてくれたのは分かった。だから、安心した。安心して逝けると思った。けれど本当は、おかえりと言ってあげたかった。これからもずっと一緒に笑っていたかった。どんなに願ったとしても、それはもう二度と叶うことはなかった。


前世の自分のこの想い――土方への切ないまでの恋心は、今を生きる銀時の中にしっかりと受け継がれている。銀時は今度こそ土方と一緒に歩いていきたいのだ。今度こそずっと傍らに寄り添っていたい。強く強くそう思って生きてきた。


もしも、いつかどこかで彼の生まれ変わりに出会えたとしたら。夢のような話だけれど、そんな日が来るのだとしたら。






1週間やそこらではまだ入学したばかりの生徒達の純粋な高揚感が教室全体に漂っている。確か昔の自分も入学したての頃はそんな感じだった気がするなと思いながら、銀時は現国の教科書を片手に持って黒板に板書した内容を説明し始めた。時折教科書から視線を外して教室内を眺めてみると、午後一番の授業だからか、少し眠そうな顔の生徒もちらほら見受けられた。そんな中、銀時の視線が1人の男子生徒に向けられる。窓側の席に座ってじっとこちらを見ている土方へと。


「お前らー、じゃあ次のページめくれー。説明続けるぞ。」


あぁ、目の前の彼は記憶の中の彼だと分かるのに。土方くんは前世で俺の恋人だったよね?冗談でもそんなことを訊ける訳がなかった。絶対に頭がおかしいと思われるに決まっている。自分は彼の担任なのだ。担任の教師が生徒にそんなことを言っていいはずがないではないか。


新しく受け持つことになるクラスの名簿を事前に見た時に、土方十四郎という名前を見つけた。偶然同じ名前の赤の他人だ、期待してはいけないと何度も言い聞かせたのに、入学式のHRで銀時は衝撃を受けることになった。土方だった。大切で愛しい土方だった。窓側の席に座っている彼は、銀時が記憶の中で知る凛々しい土方よりも幼い顔をしていた。前世の自分が居酒屋で飲んだ時に一度だけ聞かされた、武州でくすぶっていたという頃の彼はこんな感じだったのかなと思ってしまって、胸が切なく疼いた。


前世の自分は掴みどころのない飄々とした性格の持ち主であり、今の自分も変わらずその性格のままであったので、感情を顔に出すようなへまはしない自信はあった。だけど、よろしく、仲良くしようぜと最初の挨拶をした時、生徒全員に向けたはずであるのに声が震えてしまったのではないかと不安だった。今もそうだ。深い青色の瞳に見つめられれば、他意などないのに期待したくなる。期待してしまいそうになる。


「まぁ、要するにこの主人公は全く望みのない恋をしてる訳です。」

「先生ー、4月なんだからもっと明るい話勉強しねーの?」

「主人公可哀想だよな、そんなの。」

「文句は俺じゃなくて教科書会社と、この教科書選んだ学校に言いなさい。俺だってな、悲恋物は嫌に決まってんだろ。」

「えー、でも敢えてその方が盛り上がったりして!」

「若いね、お前ら。」


担任の教師と生徒という対等ではいられない立場。前世の時とは違って歳も随分と離れてしまった。諦めたくはないと思うのに、諦めなければならないのだ。それに前世の記憶を持っているなんて特殊な事情を抱えているのは自分だけなのだから。記憶の中の土方との思い出だけを愛おしむようにしなければならない。何も知らない高校1年生の今の彼を巻き込んではいけない。土方と彼を重ねることしかできないことに傷付いても、それが一番いいに決まっている。土方と共に在りたいとどんなに願っても。一番前に座っている男子生徒達に付き合って話をしていたら、土方は銀時から視線を外して窓の外を見ていた。


「……」


グラウンドの一番奥の方で桜の大樹がその腕を広げて淡い色の花を咲かせている。桜の花に見守られて約束を交わしたあの日のことを思い出してしまって、どうしようもない気持ちになる。それでも。土方が見ている桜の木を時を越えて自分も一緒に見ているのだ。だから。嬉しいことのずなのに切なさを感じて。幸せなはずなのに胸が痛くて。銀時は教科書に視線を戻すと、俯いて小さく吐息を零した。

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あきゅろす。
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