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Masterkey 2
『白蘭、あなたは私と付き合って本当に後悔しないのですか?』


この前、思い切ってユニちゃんに僕の気持ちを伝えてみたら、真面目な顔でそんな風に言われてしまった。それは、私なんかがあなたと付き合うなんて勿体ないっていうような謙遜とかじゃなくて、僕にはもっと相応しい人が別に居るんだと真剣に考えている瞳だった。


何言ってんのさ、ユニちゃん。僕はその時すかさず反論した。僕が君のことを好きだって思ってるんだから、別にそれでいいじゃないってね。確かに今の僕は記憶喪失になってしまっていて、自分のことは勿論、ユニちゃんのことも友達のことも全く何も覚えていない。今でも何ひとつ思い出すことはできなくて。全然カッコ良くない男になっちゃったんだけど、そんな今の僕でも大切にしなきゃいけないものくらいは分かってるつもりなんだ。


記憶喪失になっちゃうなんてさ、小説や映画みたいにフィクションの世界の中だけのことだと思っていたのにね。まさか自分が記憶をなくしてしまう日が来るなんて、全然想像すらしていなかったんだよ。まぁ、どうにかなるよね〜と割と楽天的に考えてはいたけど、それでも心のどこか奥の方に心細くて不安な気持ちがあったみたいで。そんな僕の心に気付いてくれて、大丈夫ですとユニちゃんは微笑んでくれた。だからね、自然と彼女のことをいいなって思ったんだ。それは記憶がなかったとしても普通のことだよね。僕はユニちゃんを大切にしてあげたいんだ。


『私は白蘭が幸せでいてくれるのならば、それが一番嬉しいです。昔からあなたのことは良く知っていますから。あなたにはいつも笑っていて欲しいとは思っています。けれど…本当に、後悔しないのですか?』


だからさ、そんなに心配しなくてもいいんだよ。二度目の確認の言葉に頷こうと真っすぐにユニちゃんを見つめた時、不意に彼女の向こう側に骸君が見えた。骸君の幻が見えたんだ。僕の瞳の中に映る儚い残像の彼は、玄関先で見た時と同じ顔をしていて。泣き笑いのような、何とも言えない複雑な表情だった。何で急に骸君のことを思い出してしまったのか、その時の僕は良く分からなかった。確かに骸君は僕が記憶をなくす前からの友達だった訳だし、記憶がない今だって彼と一緒に居てすごく楽しいと思える。勿論僕にとって大切な友達ではあるんだけれど。こんな時に突然骸君のことを思い出すなんてさ、僕ったらどうしちゃったんだろうと困惑していると、ユニちゃんを挟むようにして骸君と目が合った。その瞬間、僕の中にあの時の彼の声が蘇った。さようなら。その言葉はまるで何かを決意したみたいにはっきりと紡がれたもので。だけど、すごく切ない響きだったってことを僕は覚えてた。


白蘭?どうしたのですか?気が付けばユニちゃんが訝しんだ表情で僕を見ていて。部屋の中に響いた彼女の声にハッと我に返った時、僕の瞳の中から骸君は消えてしまっていた。ほんとにどうしたのかな、僕。ユニちゃんが目の前に居るっていうのに、骸君のことが気になるだなんて。しっかりしなくちゃと頭を振って無理矢理笑顔を作ると、何でもないよと、そのままユニちゃんに笑い掛けたんだ。


でもね、何となくだけど、本当は分かっていたんじゃないかと思う。薄々気付いていたような気がするんだ。僕に向けられる骸君の視線に何か意味が込められているんじゃないかなってことを。偶然手と手が触れ合った時、ほんの一瞬だけ彼がはにかんだような表情になったことを。僕と一緒に居る時、何かを耐えるように唇を噛んでいたことを。多分何か伝えたいことがあるんだろうことも。何となくだけど、ぼんやりと感じていたような気がするんだ。だからなのかな、ここ最近の僕は記憶が戻らない不安よりも付き合うことになったユニちゃんのことよりも、ずっと骸君のことが気になってしまっていた。


改めて考えてみるとさ、骸君はちょっとあり得ないくらい綺麗だし、物腰だって柔らかくて基本的に僕に優しくしてくれる。本当にすごく素敵な人なんだ。けどね、いくら美人で綺麗なんだとしても、骸君は僕と同じ男な訳で。僕の何気ない行動に嬉しそうにしたり、悲しそうな顔になったりするはずがないんだよね。僕に恋する女の子じゃないんだから。だからきっと、あれは僕の勝手な勘違いなんだろうと思う。もしそうじゃないんだとしたら、骸君は友達のくせに僕がなかなか思い出さないことにやきもきしてて、僕の言動に振り回されてそんな風に見えちゃっただけなのかも。だって骸君は言ってたんだよ。覚えていないのは残念ですが、僕はあなたの友人でしてね、子供っぽいあなたの面倒を良く見ていたのですよ、ですから感謝してくださいね、って。僕が記憶をなくす前も後も、僕と骸君は仲の良い友達だったんだ。僕と彼は別にそれだけの関係のはずなのに。それなのに、僕は無意識に骸君のことを考えるようになっていて。骸君のことが気になって仕方がなかったんだ。


*****
僕はいつの間にか閉じていた瞼を静かに開くと、ソファーからゆるゆると体を起こした。どうやら気付かない内にソファーで寝てしまっていたみたいで。リビングのカーテンの隙間からは午後の柔らかな陽射しに変わって茜色の光が射し込んでいた。う〜ん、やっぱりベッド以外の場所でお昼寝なんてするものじゃないね。僕はソファーに座ったまま大きく伸びをした。変な寝相で結構な時間眠ってしまっていたのか、ちょっとだけ腕が痛かった。僕は寝起き特有のぼんやりとした状態のまますぐ側のテーブルに視線を移して、そのまま小さな溜め息を零した。


「やっぱり、メール来てないか…」


携帯の画面に新着メールの表示はなかった。意識が一気に覚醒して、もう眠くはなくなっていたけど、僕は再びソファーにゴロンと寝転んだ。自分でも何を話したいのか、何を伝えたいのかちゃんと分かってる訳じゃないのに、それでもやっぱり骸君のことが気になって。久しぶりに会いたくなって。ソファーでうっかり寝ちゃったけど、その数時間前に僕は骸君の都合を教えてもらおうとメールを送っていたんだ。だけどまだ骸君からの返信はなかった。


「骸君、忙しいのかな…」


真っ白な天井に向けて小さく呟いた僕の耳に不意にメールの着信音が響いた。静かな部屋に一際大きく鳴り響いたその音に僕は慌てて起き上がると、すぐさまメールを確認した。それは待ち望んでいた骸君からの物で。今週末くらいは部屋に遊びに来てくれるかもと考えていた僕は、彼のメールの内容に肩を落とした。すみませんが、色々と予定が立て込んでいまして、当分は無理そうです。ですから僕のことよりも、どうか彼女を優先してあげて下さい。骸君からのメールは絵文字もなく、そんな風に淡々と書かれていた。


「彼女か…そりゃそうだよね。」


僕にはユニちゃんっていう大切にしたい可愛い彼女が居るんだから、友達との付き合いよりも彼女のことを優先させるのが当たり前に決まってる。勿論ユニちゃんとは付き合うようになってから、ちょくちょく色々な所に行ってデートを楽しんでるよ。それなりに順調だと思ってるし。だけどさ、何となく気になってしまうんだ、骸君のことが。1人で居る時には思い出してしまうんだ、彼のことを。


「骸君…」


僕の隣にはユニちゃんが居るのに。どうしてなのかな?僕ね、最近ずっと君のことが気になってるんだよ。もしかしたらあの日からずっと。ずっと気にしてる。今も頭の片隅に居る君のことを。



*****
どうして僕はまだ生きているのだろうか。白蘭はもう僕の隣には居ないというのに。彼の優しい温もりをこの手に感じることはもう二度とできないというのに。


どうして僕の心臓はまだ動いているのだろうか。白蘭が側に居ない世界など生きていても意味がないのに。生きていたいとすら思わないのに。自分でもどうすることもできないまま、僕は灰色の世界を生き続けなければならないのだろうか。


どうして僕は、独りになってしまったのだろう。どうして白蘭は、僕を置いて行ってしまったのだろう。僕のことを思い出して、僕の所に戻って来てくれないのだろう。


悪い夢なら早く覚めて欲しい。幾らそう願っても現実が変わることなどありはしなかった。夢ならばどんなに良かったのだろう。これは悪い夢なのだと思い込んでしまいたかった。けれども白蘭からメールが来る度に、辛く苦しい現実に引き戻され、僕の心は打ちのめされた。


彼が僕ではない誰かに微笑んでいる現実に。



*****
まるで世界と隔絶するかのようにカーテンが閉め切られた寝室には小さな光すらも届きはしない。照明さえも切ってしまった薄暗い空間の中で、僕は何も考えないようにと静かに目を閉じていた。眠っている訳ではないので意識ははっきりとしているが、この頃はこんな風にベッドの中で息を殺し、ただじっと色褪せた日々を過ごしていた。ほとんど寝室から出ることはなく、早く今日が終わらないかと、僕の頭の中は常にそれだけだった。ベッドから起き上がることすらも億劫で、食事ももう何日もまともに取ってはいない。日に日にやつれていくことが薄闇の中でも分かったが、僕にとっては今さらだった。


白蘭と会わなくなってから一体どれくらい経ったのだろうか。最後に彼に会ったのはいつだった?日付感覚さえも最早曖昧で。それでも僕はこの場所から出る気はなかった。出たくはなかった。このままここでいつまでもひっそりとうずくまっていたくて。今すぐカーテンを開けて柔らかな陽射しを浴びてしまったならば、白蘭のことを思い出して涙が溢れてしまうから。燦然と輝く太陽は、彼の笑顔そのものなのだ。彼の笑顔は僕には太陽のように眩しくて。窓を開けて空を見上げようものなら、いつか見た彼の柔らかな笑みが僕の中を満たして、絶対に泣いてしまうから。だから僕は、ここで終わりのない日々をいつまでも耐え続けるだけだ。


「白、蘭。」


これ以上想ってはいけないのに。考えてはいけないのに。僕の隣で幸せそうに笑っていた白蘭の顔が瞼の裏に浮かんだ瞬間、瞳から涙が零れ落ちた。泣いてはいけないと必死に耐えようとした。けれども涙は後から後から溢れ出して止まらなくて。シャツの袖口が濡れるのも構わずに僕は両手で顔を覆った。


「…うっ、びゃくっ、ら…」


僕は鉛のように感じる重い体を引きずるようにしてベッドの中で寝返りを打つと、シーツの海にその身を横たえた。このまま音もなく沈んでしまえばいいのに。そう思えてならなかった。

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