Masterkey 1
1周年記念リクエストでキーノ様から頂きました白蘭記憶喪失のお話です
白蘭は骸のことを思い出せずにユニちゃんと付き合います(ユニちゃんは白蘭と同い年くらいの無理矢理設定でお願いします)
相変わらず骸が乙女ですし、視点がちょこちょこ変わりますので読みづらいかもしれません;
次に会った時、白蘭は僕の知らない白蘭だった。白蘭であるはずなのに白蘭ではなかった。端正な顔も少し高めの声も何気ない仕草も、少し前の彼とは何ひとつ変わってなどいないのに。運命の悪戯か、どこかに居るのかもしれない神の気まぐれなのか、白蘭は記憶を失ってしまった。それは、つまり。僕達の温かくて幸せな思い出が全て硝子の破片のように粉々に砕け散ってしまったということで。僕には耐えられるはずのない残酷で悲しい真実がそこにあった。
信じたくはなかった。僕だけが、今も優しい温もりを覚えているだなんて。僕だけが、2人で過ごしてきた日々を愛おしんでいるだなんて。信じたかった。いつか白蘭の記憶が元に戻って、また僕に微笑んでくれることを。僕の隣に静かに寄り添って、かけがえのない幸せをくれることを。けれども目の前の現実は、無情にも僕のことを嘲笑って、酷く僕を苦しめるだけだった。
『はじめまして…になっちゃうんだよね、六道骸君。君には本当に申し訳ないと思ってるんだけど…また君に友達になってもらいたいんだよ。2回目なんて困っちゃうとは思うけどさ。』
ありふれた関係しか表さない単語が白蘭の口から紡がれた時、僕の心は悲しくて死んでしまうかと思った。息ができなくなってしまうのではないかと錯覚した。違います。あなたは僕の恋人なのですよ。そんな風に言えたのならば、どれだけ楽だったのか。どれだけ幸せだったのか。
『本当にごめんね、骸君。僕、頑張って君や皆のこと思い出すから。』
あぁ、2人だけの幸せだった時間はもう僕の中にしか存在しない。僕はただ黙ってそれを受け入れるしかないのだろう。それでも、例えそうなのだとしても、僕の中で白蘭が愛しい気持ちがなくなることは絶対にありはしなくて。白蘭が僕のことを忘れてしまったとしても、僕は白蘭のことが好きで好きで堪らないから。
次に会った時、彼は僕の知らない彼になっていた。僕を、知らない彼になっていた。それでも彼の側に居たいから。だから溢れる想いは胸に隠したままでいい。僕は彼に笑い掛けよう。少しでも彼の近くに居よう。彼とまだ繋がっていたいから。
*****
骸君、と名前を呼ばれ、僕はソファーに座ったまま視線だけをそっと動かして、こちらに歩いて来る白蘭を見つめた。白蘭は木製のトレーを持っており、そこには湯気の立ち上るマグカップが2つと角砂糖が入った小瓶が乗せられていた。マグカップから漂うコーヒーの香りが僕の鼻を掠める。こんな風に白蘭の部屋に招かれることは、何もこれが初めてではなくて。彼の恋人であった時には数え切れないほどこの部屋に足を踏み入れていたし、再び友人関係を始めることになった現在でも何度かこのソファーに座っていた。
「はい、どうぞ♪」
「ありがとう、ございます。」
白蘭の腕がゆっくりと伸びて、僕の方へと白いマグカップが手渡される。僕も腕を伸ばして白蘭からマグカップを受け取ろうとした。その瞬間、僕と白蘭の指先が偶然にもそっと触れ合った。久しぶりに感じた小さな温もりに思わず肩が跳ねる。泣いてしまいそうになるほど嬉しいのに、それと同じくらいに胸が苦しくて。小さく震える手でコーヒーを受け取ると、何をやっているのだと、僕は無理矢理笑顔を作って白蘭を見た。白蘭は自分の分のマグカップをガラスのテーブルに置くと、一緒に持って来た角砂糖を楽しそうにコーヒーへと落とした。
「すみませんが、僕にも砂糖を頂けますか?」
「へ〜、骸君も僕と一緒で甘党なんだね。何だか嬉しいな♪」
白蘭は言葉通りの嬉しさ一杯という笑顔を僕にくれた。あぁ、どうすればいい?嬉しくて堪らない。幸せで堪らない。酷く胸が疼く。同じ甘党であるということを彼が覚えていないのだとしても、その笑顔を僕だけに向けてくれていることに息が詰まりそうだった。2人だけの今この瞬間が愛しくて仕方がなかった。僕の心の内など知る由もない白蘭はふふと笑ってコーヒーを味わい始める。僕も胸が締め付けられたまま、白蘭と同じようにマグカップの中身に口を付けた。
「やっぱり甘い方が美味しいよね〜。」
「ええ、そうですね。」
今までの記憶を突然失ってしまったというのに、白蘭は特別焦ったり不安になるというようなことはなかった。なっちゃったものはもう仕方がないからね。頑張って思い出すつもりだけど、なるようにしかならないかなぁ。以前どこか楽天的に話してくれた彼は、記憶をなくしてしまったとしても元々の性格までは変わっていないのだなと思えた。そんなことを思い出しながらコーヒーを舌の上で味わうように飲んでいると、不意に藤色の瞳と視線が交錯した。
「骸君。」
「…はい、何でしょう?」
「さっきから気になってたんだけど、そのネックレス、すごく素敵だね♪」
白蘭の視線がゆっくりと下がっていき、僕の首元のネックレスへと注がれるのが分かった。そのネックレスは小さな長方形の形で、鍵穴をモチーフにしたデザインの物であり、僕が自分自身で買った物だったのだけれど。
「……大切で、気に入っている物なんです。」
「そうなんだ。ねぇねぇ、もっと近くで見てもいい?」
「えっ…!?」
白蘭はソファーから立ち上がると、僕の隣に座り込んでぐっと距離を詰めた。ふわふわと揺れる柔らかい髪が僕の頬をくすぐる。細くて長い指がゆっくりと近付いてきて、そのままネックレスの先をすくい上げた。彼の何もかもを近くに感じられるこの距離感に頬が熱くて熱くてどうしようもなくて。早鐘を打つ心臓の音が今にも伝わってしまいそうだった。それなのに、鎖骨に触れた白蘭の指先からは僕に対する愛情は全く感じられはしなくて。白蘭が記憶をなくしてしまったことは、こんなにも僕を悲しくさせるというのか。
「やっぱり君ってオシャレさんだねって…あれ?骸君、何か…変な顔してる。どうしたの?大丈夫?」
「…失礼ですね。僕は別に…変な顔など、していませんよ。」
駄目だ。このままでは絶対に駄目だ。隠さなければ。隠し通さなければ。記憶を失っている白蘭をこれ以上混乱させてはいけない。僕の想いを今の彼は知ってはいけない。白蘭が愛しいからこそ、何よりも大切だからこそ。お願いですから僕のことを思い出して。そう言ってみっともなく彼に縋り付いてしまいたかったのに。溢れ出てしまいそうになるその言葉は、音になることはなく、僕の中で虚しく消えてしまった。
あれから僕は自分の心を隠して偽って、それを繰り返しながら白蘭の部屋で過ごした。僕と骸君ってさ、どんな感じの友達だったの?教えて欲しいな。もしかしたら骸君の話を聞いてる内に何か思い出すかもしれないでしょ?そんな風に目を輝かせて僕を見つめる白蘭に嬉しさや悲しみがない交ぜになるのを感じながらも、僕は白蘭の友人である六道骸を演じて偽りの関係を話し続けた。白蘭は僕のすぐ側に居るというのに、とても遠くに感じた。
「あのね、骸君。骸君にね、ちょっと相談というか、話があるんだけど…」
「…何です?」
ずっと話してたら喉乾いちゃったし、骸君も遠慮せずに飲んでよと言われ、勧められるままに2杯目のコーヒーを飲んでいた僕は、マグカップをテーブルに置いて白蘭に視線を向けた。白蘭は何かを決意するかのようにコーヒーを一気に飲み干すと、少し恥ずかしそうにしながら、実はね…と小さな声を出した。
「骸君は僕の友達だったから、もしかして話したことがある子かもしれないんだけど…僕、ユニちゃんと付き合いたいなぁって思ってるんだ。」
「…っ、白…蘭、それ、は…」
同じ量の角砂糖を入れたのだから、きっと白蘭の物と同じくらい甘いコーヒーのはずなのに、口の中に苦い味が広がっていく。僕は瞬きすらもできずに呆然と白蘭を見つめた。白蘭の言葉が俄かに信じられなくて。嘘だと言って欲しかった。僕ではない誰かのことを考える白蘭など見たくはなかった。
「ユニちゃんと僕はさ、昔からお互いのこと知ってて、良く面倒見てもらったりしたらしいんだよね。僕がこんな風になっちゃってしばらく入院してた時もね、何かと良くしてくれて…いいなって思ったんだ。」
「……」
ここはやっぱり男らしく僕から告白しなきゃいけないよね。骸君もそう思わない?ユニちゃん、喜んでくれるかなぁ。幸せそうに目を細める白蘭をこれ以上見続けることなどできなくて、僕は静かに俯いた。良かった。涙が零れ落ちてしまうのではないかと思ったが、僕の視界が歪むことはなかった。
「さよなら、なんですね。」
僕はこの時、はっきりと確信した。多分もう白蘭の記憶は戻らないのだと。何故なら白蘭は新しい時間を歩き出そうとしている。新しい思い出を紡ぐことを選ぼうとしている。僕と過ごした幸せな日々は、彼には最早必要のない物になろうとしているのだ。僕には絶望的でしかないそれが彼にとって幸せだというのならば。それならば。
「えっ…?骸君、今何て…?」
「あなたなら、大丈夫ですと言ったのですよ。ちゃんと想いを伝えれば良いんです。」
それならば、僕は。白蘭、あなたとは今日でさよならをしなければならないのですね。今日があなたを感じられる最後の日なのですね。僕はあなたとはもう一緒に居られない。どんなに願ったとしても。どんなにこの現実を変えたくても。
「…僕、用事を思い出したので、申し訳ないのですがそろそろ失礼します。」
「えぇっ、もう帰っちゃうの?」
「すみませんね、白蘭。」
僕は目を伏せてゆっくりとソファーから立ち上がった。白蘭は残念そうな顔を見せたが、僕を玄関先まで送ると言ってくれたので、ありがとうございますと笑顔で彼に応えた。大丈夫だ。おかしい所などありはしない。僕はちゃんと笑えている。ちゃんとさよならを言える。
「じゃあ、またね、骸君。」
白蘭が笑顔で僕に手を振る。僕はその表情を忘れてしまわないようにしっかりとこの目に焼き付けた。
「さようなら。」
友人との気軽な別れのつもりでまたねと言った白蘭以上に、僕は別離の想いをその5文字に込めた。
「さようなら、白蘭。」
「骸、くん…?」
不思議そうな顔をした愛しい人がドアの向こう側に消えた瞬間、僕はマンションの廊下を早足で歩き出していた。
「これで本当にもう、さよならですね。」
良かった。涙が零れ落ちてしまうのではないかと思ったが、僕の視界が歪むことはなかった。けれどもその代わりのように、僕の心はただ静かに涙を流していた。
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