隣り合わせの恋 5
最近気付いたことがある。
ほんの些細なことでさえ、心が満たされるのだということに。
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今日は大学が1限目からの為、僕は朝早くにアパートを出た。アパートの駐輪場を横切ろうとした時に、向こうからこちら側に誰か歩いてくる。その人物は黒いシャツを腕捲りにして、脱いだ白いジャケットを手に持っていた。
…どう見ても白蘭ですね、あれは。どうやら仕事帰りのようだが、酔っているのだろうか、楽しそうに鼻歌を歌っている。
白蘭とはアパートが隣同士だとはいえ、自分は大学生で彼はホストだ。生活サイクルは当然異なっており、普段の生活の中でも毎日会うということはない。白蘭の仕事が休みの時には、以前の花の植え替えのように白蘭に付き合うこともあるのだが。
こんな風に朝会うのは初めてです…何となく気恥ずかしくなっていると、白蘭はこちらに気付いたようで、ブンブンと手を振って走ってきた。
「骸君〜。おはよう♪今から学校?今日は早い日なんだね。」
「おはようございます。えぇ、今日は早いんです。」
「いってらっしゃい。気を付けてね。」
「あ、はい。…いってきます。」
僕は白蘭に軽く会釈して、早足でその場を後にする。彼に声を掛けられて、訳もなく顔が熱くなるのが分かった。少し歩いた後にそっと後ろを振り向くと、まだそこには白蘭が居て、嬉しそうにこちらに手を振っていた。
「いってらっしゃい」なんてただの朝の挨拶だ。それなのに何だか温かい気持ちになった気がした。
それは白蘭だったからなのだろうか。
*****
また別のある日、僕がバイトから帰って来ると、ちょうど仕事に行く白蘭に会った。彼は高級そうなグレーのスーツを身に纏っており、その男らしい雰囲気に思わず見とれてしまっていた。
「今から仕事ですか?」
「お、骸君。うん、今からお仕事〜。…あ、お帰りなさい。バイトお疲れ様。」
「た、ただいま…です。…あまり無理して飲み過ぎては、いけませんよ。」
「骸君、心配してくれるの?僕、すっごく嬉しいよ。お仕事頑張るね〜、おやすみ〜。」
白蘭を見送って、部屋に入る。今日は「お帰り」と言われた。いってらっしゃいと言われた時と同じように温かくて、それ以上に嬉しい気持ちになっていることに僕は気付いた。
*****
僕は幼い頃に両親と死に別れ、親戚の家を転々としてきた。大学生になって1人暮らしを始めて、現在は奨学金やバイトに助けられて生活している。
1人暮らしをするようになって自由を手に入れることは出来たのだが、ひどく寂しくなる時もあった。勿論大学には友人も居るし、バイト先には頼れる仲間も居る。
だが僕は、いってらっしゃいとかお帰りなさいといった、そんな優しい言葉をくれる人を心のどこかで欲しいと思っていたようだ。
親戚達から腫れ物に触るように扱われ、家族の温もりなどもよく分からないままに生きてきた。友人達と親しくする中で気持ちは満たされることはあったが、そういった優しい温もりとはまた違うものだった。
いってらっしゃいとかお帰りなさいといった言葉はただの挨拶だといえる。だが、これらの言葉は相手のことを考えたり、想っていなければ、その相手に告げられることはないのだ。
だけど白蘭はすんなりと、それらの言葉を僕にくれた。その些細な言葉達は、僕の心を少しずつ満たしてくれていたのだ。
気が付けば、いつの間にか僕の心の中に「白蘭」という場所ができていた。白蘭のことを考えると、優しい気持ちになれる気がします。
この気持ちは…何なのでしょう?
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