さよなら、またいつか 1
別れ→死 です
人間とは、自分が予想していなかった事態に直面すると、何もできなくなってしまうものだ。何か言葉を発することも、手を伸ばして相手を引き止めることすら。
僕は自分は冷静な人間であると自覚していた。だから普段から何事にも動じずに行動できると思っていた。
なのに。今、白蘭が目の前で告げた言葉に動揺が隠せないでいた。自分の体が震えていることも信じられなかった。
―ー彼は今、何と言った?
自分の置かれている状況が理解できない。いや、理解したくないという方が正しいのか。僕は黙ったまま白蘭を見た。
「骸君。僕達、もう終わりにしよう。」
再び白蘭が口を開いた。
2人を断ち切る言葉。
それは僕にとっては、死刑宣告と同じだった。
*****
「君と別れたいんだ。…もう終わりにしたい。」
白蘭の言葉が僕の心を抉るように響いた。
何故?どうして?つい最近までそんな素振りなんて…だって、つい数日前も一緒にプラネタリウムを見たばかりではないですか。僕と居て、楽しいと笑ってくれたではありませんか。
声を出そうとしたのに、自分の意思とは裏腹に、ひゅっと喉が鳴っただけだった。
「好きな人ができたんだ。だからもう骸君とは一緒に居られない。今まで、ありがとう。」
白蘭は笑って僕に背を向け、部屋から出ていった。
追い掛けなくては。僕はまだあなたのことが好きなんです。これで終わらせたくなんかない!
彼を追い掛けようとした。だけど僕の足はその場から動くことはなかった。
好きな人ができたんだ。
白蘭ははっきりとそう告げた。だったら自分が彼に追い縋った所で、何かが変わることはない。もう僕に対する気持ちがないのなら、彼を追い掛けて話をしても、未練がましいと思われるだけだ。
そう考えたら、白蘭を追う気力もなくなってしまった。彼が消えた部屋のドアをぼんやり見つめる。
急に目の前が真っ暗になった気がして、僕は立っていられなくなり、その場にしゃがみ込んだ。段々熱いものが込み上げてきて、涙で頬が濡れていることに気付き、そっと手で拭った。
自分は冷静な人間だと自覚していたのに。
普段から何事にも動じないでいられると思っていたのに。
何ですか、この様は。僕らしくない。…僕は
「まだこんなにもあなたが、好きで好きで堪らないのに。」
先ほどまでのことが嘘みたいに声が出て、自分の気持ちを言葉に乗せていた。
でも1番聞いて欲しかった彼に、その言葉が届くことはなかった。
*****
僕はこんなにも弱かっただろうか?
今まで色々なものを失ったり、自ら捨てて生きてきた。その中には大切なものだってたくさんあった。失うことの辛さや苦しみも味わったが、きちんとそれらを乗り越えてきた。白蘭との別れだって、そういったものの1つにすぎないはずだと分かっている。
1人になった部屋を見渡す。この部屋はこんなに広かっただろうか。それに何だか寒い。
白蘭が隣に居ないことがこんなにも悲しい。それに彼のことばかり考えてしまって、最近は何も手につかない。
自分はこんなにも弱かっただろうか?彼が居ないと生きている意味などないと感じてしまうほどに。
今までは1人でも大丈夫だった。だけど白蘭と過ごしていく内に、2人で居ることの幸せや温かさを知った。その温もりを知ってしまえばもう、知らなかった頃になど戻れる訳がなかった。
白蘭…
*****
1つひとつ思い出を確かめるようにアルバムを捲る。自分でも女々しいことをしていると十分感じていた。
こんなことをしていても白蘭が戻って来る訳ではない。だけど今は、彼との思い出に浸っていたかった。それだけしか考えたくなかったのだ。
どんなに時間が掛かったとしても、いつかは白蘭との恋を過去の物にしなければならない日が来る。その日が来たら、僕は無理矢理にでも白蘭への気持ちに蓋をしてみせる。
だからどうか今だけは、白蘭を想って、彼と過ごした日々に浸ることを許して欲しい。
*****
どの写真の中でも白蘭は、綺麗な笑顔でこちらに微笑んでいた。
「これは…」
1枚の写真を懐かしく見つめる。様々な魚が泳ぐ大きな水槽をバックに僕達が写っているものだった。白蘭と交際を始めた頃に訪れた水族館。彼は周りの子供達以上に目を輝かせて、水槽を覗いていた。イルカのショーを見て喜んでいた姿を今でも鮮明に思い出せる。
遊園地での写真もあった。男2人ということに僕は少なからず抵抗を感じていたが、白蘭はそんな思いを吹き飛ばすように、僕を色々なアトラクションに連れ回したものだった。最後に乗った観覧車では、密室に2人きりというだけでも恥ずかしかったのに、彼から口付けられ、嬉しさでどうにかなりそうになったこともあった。
他にもたくさんたくさん彼との写真がある。それこそ語り尽くせないほどに。
それに。写真だけではない。僕は携帯を取り出してゆっくりと操作した。白蘭とやり取りしたメールがそこには残されていた。このメール達だって彼との大切な思い出の一部分だ。
僕はマメな方ではなかったから、専ら彼の方からメールをくれた。それは本当に他愛のないものばかりで。
おはようやおやすみの挨拶に始まり、喧嘩していた時でさえも、話せなくて寂しいとメールを送ってきたのだ。 僕は呆れを通り越して可笑しくて、彼を許したこともあった。
メールにもたくさんの思い出が詰まっている。白蘭と別れたからといって簡単に消去のボタンを押すことなどできなかった。
僕は本当に大丈夫なのだろうか。
写真やメールがもう増えることがないという事実は、予想以上に僕に重くのしかかっていた。
本当に彼とのことを過去にできるのだろうか?
こうしている今も白蘭の隣には僕じゃない誰かが居て、白蘭との未来を歩いている。僕が歩めなかったその先を。
先ほどの決心が揺らいでしまいそうだった。乗り越えなければと決めたはずなのに。
僕はこの先、白蘭に会うことがあってもちゃんと笑えるのだろうか?
白蘭の幸せを祝福することが果たしてできるのだろうか?
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