隣り合わせの恋 10(完結)
最近の僕は、おかしい。
これまでは白蘭と共に過ごすことが心地良かったし、楽しかった。だけど今は、彼のことを考えると胸が苦しくて、切なくて。
白蘭に口付けられそうになったあの日から、僕の心は混乱していて、彼に対する自分の気持ちがますます分からなくなってしまっていた。こんな状態では白蘭に会っても、どんな顔をすれば良いのか。まともに話なんてできそうにもない。
僕はこの時だけは、白蘭が隣に住んでいることを少しだけ恨めしく思った。
*****
白蘭に食事に誘われたあの日から、僕の心配を余所に彼とはすれ違いの生活が続いた。もともと生活サイクルがお互い逆転しているのだから、そう簡単に会わないのはいつものことなのだが。
今日は朝から講義がある日なので、僕は早朝にアパートを出た。すると、道の反対側から見知った人物がゆっくりと歩いてくる。
白蘭…
僕は彼に会ったいつかの日のように、恥ずかしさや緊張で足が止まった。何を話せばいい?ちゃんと挨拶できるのか?色々な思いが頭を駆け巡るが、まともな言葉は一向に出てこなかった。
「骸君〜、おはよう。う〜ん、何か久しぶり?だよね。今日も寒いから気を付けてね。」
いつもと変わらない白蘭がそこに居た。まるであの時のことなど、全く気にしてなどいないといった様子だった。何だ、僕だけ馬鹿みたいじゃないか。1人でこんなに悩んで、苦しくなって。所詮、白蘭にとっては「何でもない」ことなのに。僕は自分の心が冷たくなり、悲しくなるのを感じた。本当は白蘭のあの時の行動の意味を教えて欲しかった。どうして僕にキスなんてしようとしたんですか?
だけどその言葉を口にする勇気などなく、僕は胸の苦しみを抱えたまま、ぎこちなく彼と挨拶を交わすことしかできなかった。
*****
12月に入ると、どこを見てもクリスマスを待ち望む雰囲気が漂っていた。
大学のキャンパス内では、パーティーやデートの予定を楽しそうに話す学生を見かけるし、駅前は夜になるとイルミネーションが綺麗に輝くようになった。だけど別に、僕にはクリスマスなんて関係ありませんよ。そんな風に思いながら過ごしていたある夜。白蘭から1通のメールが届いた。
こんばんは、骸君。バイトお疲れ様(^^)
今日は久しぶりにメールしてみました〜♪
あのさ、今度の週末に一緒に出掛けない?
何だか最近骸君、元気ないよね?
僕、心配なんだ。
こんな時は買い物とか美味しいもの食べて、気分転換しようよv
骸君にはいつも笑っていて欲しいからさ。
何で彼はこんなにも優しいのだろう。だけどその優しさは、今は僕の胸を甘く締め付ける。こんな気持ちのまま、彼に会って良いのだろうか。そんな考えが一瞬だけ浮かんだが、だけどそれ以上に白蘭が自分を心配して誘ってくれた嬉しさの方が勝っていた。もうあれこれ悩むのはやめです。白蘭がどう思っていようと、やはり僕は彼と一緒に居たい。
僕は自分の気持ちに従って、彼に承諾の返信をしたのだった。
*****
「早く着き過ぎてしまいましたね。」
僕は腕時計を見た。待ち合わせの時間まではまだ30分以上もある。
今日は白蘭の働くホストクラブの近くで待ち合わせることになっていた。彼の職場で風邪が流行ってしまい、従業員の多くが寝込んでしまった為、彼も急遽、開店の準備を手伝うように言われたらしい。その為彼にしては珍しく、午前中まで働くことになったようなのだ。
白蘭から前日にこのメールを貰い、待ち合わせ場所を店の近くにして欲しいと言われた。何でも、ずっと働き続きになるから、仕事が終わってすぐに僕の顔が見たいらしい。骸君の顔見たら、疲れなんてどこかに行っちゃうもん。こちらが恥ずかしくなることを躊躇いもなく言いますから、困るんです。だけどその言葉に乗せられてこうして早く来てしまう僕も、僕なんですよね。
仕事は午前中一杯かかるとメールに書かれていたので、まだ白蘭は店から出てきそうにはなかった。僕は立ち読みでもして時間を潰そうと、白蘭の店の入り口が見える、近くのコンビニに入った。雑誌を適当に捲っていると、店の前に1台の黒い高級車が停まるのが目に入った。何となく気になってそちらに目を向ける。車内から出てきた人物を見て、僕は持っていた雑誌を床に落としそうになった。
白蘭が綺麗に着飾った女性を伴って現れたのだ。その女性は、僕や彼より年上で小柄だった。髪は緩く巻かれ、遠くからでも分かるほど可愛らしい顔をしている。白蘭は彼女の手を取ると、何かを囁いて嬉しそうに笑った。彼女の方も楽しそうに笑顔を浮かべている。僕は2人から目が離せなくなっていた。
あの女性は誰なのだろう。指名客の1人?でもこの時間はまだ開店前ですよね…。それに白蘭は仕事ではなかったのか?ぐるぐるとそんなことが浮かんでいた。だけどそれ以上に僕の頭の中を占めていたのは。
どうして僕以外の人にそんな顔を見せるのですか。
どうして僕じゃない誰かが白蘭の隣で笑っているのだろう。
白蘭が自分以外の誰かに微笑んでいる姿を見て、こんなにも心が乱れている。今にも床に座り込みそうになる足を支えて、そのまま2人を目で追ったが、僕はそれを激しく後悔した。
白蘭は店内に入る直前、その女性の方に近づいて、そっと口付けたのだ。彼女の方も嬉しそうにして彼に腕を絡め、2人は店内に消えた。その光景を見て、僕の胸に張り裂けそうなほどの痛みが走った。自分でも心が軋むのが分かる。
そのまま僕はコンビニを出ると、白蘭の店とは反対方向の駅の方へとひたすら走った。そうしなければ、心が痛くて泣き出してしまいそうだった。足がもつれて転びそうになり、地面に手を付く。息が上がって苦しかった。
今頃になって分かるなんて、僕は本当に馬鹿だ。
白蘭、僕はあなたのことがこんなにも好きになっていました。
あなたが好きです。
転びそうになった拍子で落とした紙袋に視線を移す。それには白蘭に渡そうと思って買ったマフラーが入っていた。クリスマスは彼には仕事があるだろうから、今日渡そうと考えていた。クリスマスなんて自分には関係ないと思っていたが白蘭に誘われて、やはり彼の喜ぶ顔が見たくなって買ってしまった物だった。でもこれももう要りませんね…
*****
駅前を歩きながら僕は白蘭の言葉を思い出していた。
彼は自分の指名客には手を出すことはしないと言っていた。それなのにあの女性とはキスをしていた。それに遠くにいた僕にも伝わるほど親しげな雰囲気だった。だから彼女は指名客などではないのだろう。
そしてもう1つ。白蘭と出会った頃に聞いた言葉だ。彼は自分のことをアネモネの花に例えたことがあった。僕はそれが気になって花言葉を調べたことがある。そこで「恋の苦しみ」という言葉を見つけて、彼が恋に悩んでいるのだと思ったのだ。もしその相手があの女性だったのなら。
あんなに親密そうにしていたのだ。だったら白蘭の恋が叶ったということになるのでは?だけど自分の気持ちに気付いた今では、白蘭のことを祝福する気になんてなれるはずもなかった。
僕は携帯をそっと取り出すと電源を切った。待ち合わせの時間はとっくに過ぎていた。今は白蘭には会いたくない。
僕は携帯をポケットに入れると、人で賑わう駅前の通りをあてもなく歩き出した。
*****
夜になって僕はアパートに帰って来た。
あれから駅ビルやカフェで時間を潰して過ごした。白蘭のことを考えないようにしていたのに、ずっと彼の顔がちらついて、僕は苦しいままだった。
アパートの階段を上って部屋へと続く通路を歩いていると、僕の部屋の玄関の前に人影が見えた。今までずっと考えていた人物が僕に駆け寄ってくる。約束をすっぽかしたことになるのだから、もしかしたら白蘭は怒っているかもしれない。でももうどうでも良いことだ。ここは何とかやり過ごさなければ、と僕は白蘭を見た。
「骸君!心配したんだよ!約束の時間が過ぎても骸君は居ないし、携帯も繋がらないから僕もしかして、骸君が何か事故とかに巻き込まれたんじゃないかって思って。」
白蘭は泣きそうな顔で良かった、無事で、と言うと僕の手を握った。その手は氷のように冷たかったので、僕はその冷たさに驚いた。
「あ、冷たかった?ごめんね。今まで骸君のこと探し回ってて、僕気が動転してたみたいで、手袋どこかに落としちゃったんだよね。でもここで待ってて良かった。ちゃんと骸君、帰って来てくれたもの。」
白蘭は本当に嬉しそうにふわりと笑った。
僕のことをずっと探していた?
どうしてそこまでするんです。
あなたには僕じゃなくてー―
その気なんてないくせに、もうこれ以上僕に優しくしないで下さい。僕に触れないで下さい。
そうでないと、あなたへの気持ちが抑えられなくなるんです。
どんどんあなたへの想いが止められなくなるんです。
「今日は、こんなことになってすみませんでした。それから……もう僕に関わらないで欲しいんです。」
自分でも酷いことを言っている自覚はあった。でもこうでもしないと、僕は僕の心を守れそうになかった。
「え?どういうこと?骸君…」
白蘭は意味が分からないといった顔で僕を見つめる。
「分からないならはっきり言いましょうか。迷惑なんです。あなたと居ると疲れるんですよ。」
白蘭の顔から表情がなくなった。彼をわざと傷付けた。彼を傷付けてしまった痛みが僕の全身を支配した。
「…そういうことですから。」
僕は白蘭の横を通り過ぎようとしたが、彼に腕を掴まれる。
「やっぱり何かあったんだよね、骸君。最近ずっと辛そうだったもん。ねぇ、話してよ。僕なんかじゃ頼りないかもしれないけど、話して欲しい。悲しいことは2人で半分こしようよ。」
僕が腕を振り払おうとしても白蘭は頑として離そうとはしなかった。それどころか離さないとでもいうように、ますますぎゅっと握ってきた。白蘭に話してどうなるというのだ。僕が惨めになるだけではないのか。僕だって傷付きたくなどないのだ。
「ねぇ、骸君!」
白蘭の言葉に段々制御しきれなくなってしまい、気が付いたら僕は自分の感情を彼にぶつけていた。
「話して何になるというんですか!…あなたは別に僕じゃなくたって。」
「骸君、それって一体…」
「…見たんですよ、あなたが女性と一緒に車から出て来て…キスしている所を。」
言ってしまった。白蘭はどう思ったのだろう。これではまるで僕が嫉妬して問い詰めているようなものだ。そんなこと言える立場でもないのに。嫉妬?そうか…白蘭のことが好きで苦しいだけじゃない。僕はあの女性に嫉妬していたのだ。
「骸君、見てたの?」
白蘭の言葉でハッと我に返る。彼はあれは違うんだよ、説明させてよ、と頻りに言ってきた。彼の口から決定的な言葉を聞きたくなくて、僕は感情の高ぶるままに彼の腕を振りほどいて、玄関の鍵を開けようとしたのに。
気が付くと僕は白蘭の腕の中にいた。彼に背後から抱きしめられていると分かった瞬間、苦しさや切なさが溢れそうになった。
「信じて、骸君。僕の話を聞いて欲しい。」
僕の首元に顔を埋めて、白蘭は静かに囁いた。もう駄目だ。僕は彼から離れることなんてできない。僕は白蘭の腕の中でゆっくり体を反転させると、彼の言葉を待った。
「骸君、僕が女の人と一緒に居たって言ったよね。あれ、オーナーの奥さんなんだ。最近夫婦仲がマンネリ化しちゃったから、オーナーを驚かすのに協力してって頼まれちゃって。仕事の途中で奥さんを迎えに行って、お店の入り口にオーナーを呼んで、車から降りた後は演技してたんだよ。そういえば、骸君、僕がキスしてたって言ってたけど、キスしてないからね、僕!キスしてるフリだよ!オーナーから見てキスしているような角度で顔を近付けただけだから。ドッキリ成功で奥さんには喜ばれたけど、まさか骸君にまでキスしてるように見えてたなんて。」
僕は白蘭の腕の中で黙って聞いていたのだが、彼に抱きしめられている恥ずかしさよりも、自分のとんでもない勘違いの方に死にたい気分になった。
「つまり、あれですか。その、僕のただの勘違い…」
「ぶっちゃけちゃうとそうなるのかな?でも僕、すっごく嬉しかったよ。だって骸君、嫉妬してくれたんでしょ?」
あぁ、本当に彼には敵わない。僕のことはお見通しのようだ。だけどそれがこんなにも嬉しくて。
「好きだよ。愛してる、骸君。初めて会った時からずっと。だからこれからも僕の隣に居て欲しい。」
不意打ちなんて、卑怯ですよ。
「僕、も。…僕もあなたが好きです、白蘭。」
白蘭は喜びを表すように、僕を優しく、優しく抱き締めた。
*****
「これ、今日あなたに渡そうと思ってたものです。すっかり渡すのが遅くなってしまいましたが。」
僕はバッグの中に入れていたプレゼントのマフラーを彼に手渡した。
「わ〜、軽くて温かい♪ありがとう、骸君。」
白蘭は早速マフラーを首に巻いている。
「どうしよう、僕、色々忙しくてまだ骸君にプレゼント買ってないんだよ〜。」
白蘭はおろおろしだした。別に今すぐ貰わなくても大丈夫なのに。それに。あなたからはもう十分貰いましたよ。あなたの心を。
「あ!」
何かを思い付いた顔して、白蘭は僕を引き寄せた。
「骸君、僕のプレゼントはこれだよ。」
白蘭の幸せそうな顔が近付いてきたと思うと、僕の目の前に広がった。白蘭の口付けは、甘くて優しくて。僕はそっと目を閉じて、白蘭の背中に手を回した。
「骸君、今日はこんな感じになっちゃったからさ、今度ちゃんとデートしようね。」
「はい、楽しみです。」
僕達は手を繋いで微笑み合った。
幸せはこんなにも近くにあった。
僕のすぐ隣に。
END
あとがき
「隣り合わせの恋」完結です。まずはここまで読んで下さり、本当にありがとうございます(*´∀`*)このお話を書きたくて、サイトを作ってしまった所があるので、とても思い入れのある作品になりました。
このお話を書いていて、この2人、もう既に出来上がってるよね、と何度思ったことか\(^_^)/本当にぬるい感じですみません。
このお話は骸視点で進んだので、白蘭の気持ちが分かりにくかったと思いますが、彼は最初からずっと骸のことが大好きですw骸のことが本気だからこそ、彼を傷付けたくなくて、なかなか一歩が踏み出せずにいた訳です。骸のザ☆勘違いのおかげで、ラブラブになってくれて良かったです^^
一先ずこのお話は終わりですが、これからは番外編としてネタが思い付いたら、ちまちま書いていこうと思います。もしこんなの読みたい、などがありましたらコッソリ教えて頂けると嬉しいです。ほのぼのしか書けませんが^^
拙い文章ですが、読んで下さり、本当にありがとうございました。
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