陰の女王5



ぎち。

空間の揺らぎを認めてサタンが視線をあげた。この揺らぎは十中八九シェゾの空間転移だろう、このタイミングでの訪問とはいったい何の知らせか。
先日から問題になっている不死者がらみの原因の解明と処理とに追われていたサタンにとって、シェゾの持ち込むそれは是非とも朗報であって欲しかった。

だがそれは叶わぬ願いだということを直後に読み取る。

空間の感触とか、転移の仕方が普段のそれとは違う。空間と空間とを結ぶ揺らぎが不安定、魔導としては精々2流、簡単にいえば雑だった。
シェゾにしたら大分荒い、彼はもっとスマートな転移をすることが出来るはずなのにそれをしないということは、余程焦っているか、それとも。

どちらにしてもシェゾの状態が芳しくないとしか思えない転移の仕方だった。

サタンは僅かに身構える。



ぅる゛るぉおォン。



案の定、いつもより遥かに鈍く重い音と共に、それは黒い闇の中から現れた。

音もなくただ静かに地面に降りたシェゾ、その腕にぐったりと抱き抱えられているアルルの意識は、無いように見えた。

「アルル…!?」

その事実を見止めたサタンがアルルに何かあったのかと身を乗り出す。しかしそれに応えるかの様に、視線を腕の中のアルルに向けたままシェゾが低く口を開いた。

「転移に耐えきれなくて気を失っただけだ」
「……そうか」
「油断するな、サタン」

アルルが無事と知ったサタンが少し気を許した瞬間、シェゾが尚低い声でポツリとサタンを呼んだ。その言葉に視線をあげる。
シェゾの視線は相変わらず下に注がれている。そのため表情を読み取れないでいると、何処からかミシリと、嫌な音がした。見ればシェゾがアルルを抱いたまま右手でアルルの左手首をしっかりと掴んでいる、鳴ったのは、其処だ。

悲鳴をあげているのだ、アルルの、骨が。

其処で改めてサタンは珍しく自分の迂濶さを呪った。
転移をしてきたときからわかっていたことではないか、異常を孕んでいたのは元々、シェゾの方だ。なのに視界で異常を見てとれたアルルの方ばかりを気にしてしまった。

「シェゾ、お前、」
「……てにいれた、つい、に」

サタンの声を遮るようにシェゾが言いゆっくりと顔をあげた。その言葉と様子ににサタンが、戦慄。
シェゾの無表情な顔は元のそれに輪をかけて白く、微かに首をかたむけて見据える視線が真っ直ぐに。

重く低い喉の奥でシェゾが囁いた。

「サタン、アルルがお前に助けを、だから、つれて、だから」
「………シェゾ?」




…………おかしい。
微妙にシェゾの言葉の前後が噛み合っていないことに気付く。確かに彼は言葉の足りないところはあるがそれ以前の問題。

シェゾの様子がおかしいのは確かなのだが、それでも何処か違和感があった。まるでシェゾであってシェゾでないような。
ひとつまえの呟きは気のせいかと思いかけたがしかしそのうつろな瞳は影を落とすほどに異様。その先には誰も映っていない。

「つれて、きた、だが、あるる、なじゃ、は、おれのものだ、おまえにはわたさない」

ぞくり。空気が震える。
そのままシェゾが無表情で、わらっ、た。

「だれにもわたさないわたさないわたさないわたさないわたして、わたしのあるるつれていくこのからだこのまりょくあるるあぁあるるぁるるあ、あぁ、ああはあははははははははは」
「シェゾ!!」

続いた言葉のあまりの異常さにサタンが反射的に叫ぶ。するとそれに反応を示したシェゾの瞳に一瞬だけ光が戻った。シェゾが瞳を歪めて叫ぶ。

「……っ!!だから!!サタン早くアルルを俺から助けだせ!!」

そう叫んだシェゾは憔悴しきった瞳で、しかし確かに、サタンを見ていた。そしてすがる様にアルルの足を抱えていた左手を伸ばしてサタンの手に絡める。黒ずんだ右手はアルルを掴んで離さない。

触れたシェゾの手が自分のそれより冷たい事実にサタンが一瞬で状況を読み取った。背中を這ったのは一筋の汗。

「俺の身体、は、もう不死者、に、侵され、あるるガ、ほしい、本能、が」
「っ……わかった、シェゾ」
「っ女王、アルル、狙っ、て、呪…は、から、わたサ…ナイ、俺がオレで、じょうおうノ…も…とをさたんにたすけ、」
「シェゾ、わかったから、もう何も、」
「嗚呼ああぁぁああたまのなかでこえがひびくわたせとあるるをオレはオレは俺は俺…は俺は!!!!」
「シェゾ!!!!」

サタンが絡められた掌に力を込めた。ビクリとシェゾが固まってサタンを見上げる。

こんな状態になるまで気付けなかったのは自分の落ち度だ。アルルに向けて呪いが流されていることも、それをシェゾが全て自分に流していたことも、さらにはシェゾが、こんな状態になるまで気付けなかった、ことも。

「おれ…は」

今のシェゾの中には意識が混在している。不死者としての意識がシェゾの意識を上書きしかけているのだ。それにシェゾが抗い、意識が交互に現れていたから言葉が噛み合わなかったのだ。
身体はとうに不死者に近い。体温は既に無く、右手も完全に赤黒く腐敗し、微かに覗いた首筋も、右から黒が進行していた。

見ていられない。

アルルの意識が無いのは幸いだった。こんな状態のシェゾを見せるのはアルルにも、そしてシェゾ自身の精神にも良くない。

みしり。

そのとき、アルルの左手が折れかけた音を上げた。既にシェゾの右手は言うことをきかなくなっている。シェゾがアルルを求める感情と、不死者がアルルを欲しがる本能と、それに抗おうとする意思がないまぜになって干渉しあい、結果アルルの手首を締め上げていた。
このままではアルルの左手首は、折れる。

サタンは一瞬だけ瞳を細く細く歪めてシェゾの右手を掴んだ。シェゾが『シェゾとして』応えるように視線を合わせ、何かを、棄てるように瞳を閉じた。

それが、合図。




ごきん。



優しく。
せめて、優しく。
サタンはシェゾの右腕を捻じ曲げた。




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BACK..
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ここまでという←←
なんというひどい終わりである。


あきゅろす。
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