REN†ALーれんたるー(完結)
8
「ねえ……、どうして何も言ってくれないの」
胸がいたくて苦しくて、どうしようもない。
冷たく突きはなされても、それでもあなたが好きだと言った有紗を、上條は抱きしめてくれたのに。
それまでとくらべものにならないほど、たくさんの愛のあふれる言葉をささやいて、「会いたかった」とキスをしてくれた。
お互いの想いを信じあいたいのに、有紗の心はつめたい風のふきすさぶ吹雪のなかへ突きおとされていく。
「ねぇ、なにか言ってよ」
自分だけがドロドロと汚らしい感情にふりまわされている。
孤独と寂しさで、いまにも潰れてしまいそうだった。
必死で差しのべた手を、どうして今までのように握りかえしてくれないんだろう。
今までの朔夜さんの言葉は嘘だったのかな。
だから、悲しそうな顔をするだけで、なにも言ってくれないのかな。
僕のことなんか、もう好きじゃないのかな。
じゃあ何で、僕はいま、この人に抱かれてるの。
「嫌だ……、こんな気持ちで、抱かれたくない……っ」
いつのまにか瞳いっぱいに涙がたまっている。
どうしようもなく、歯がゆくて、苦しくてたまらないのだ。
上條が自分以外のだれかを抱いている所を想像するだけで耐えられない。
このまま抱かれていたら、おかしくなってしまいそうだった。
狂おしい嫉妬の刃に、心臓をひとつきにされた、ジクジクとからみつくような痛みがいつまでも消えていかない。
いまだに沸騰を続ける嫉妬という感情からのがれるように、有紗は上條の身体をおしあげたが。
逃げ場まで取りあげるつもりなのか、その手を強引につかまれた。
「いやだ、離して!」
それまで切りつめていた気持ちがどっと溢れだし、とうとう堪えきれなくなった涙腺から、大粒の涙があふれだしてしまった。
「う……っぃや、いやだ離せ!」
次から次へと溢れだす涙に、半透明だった視界が、だんだん掠れてみえなくなってくる。
どうして僕は、こんなにも朔夜さんのことを好きになってしまったんだろう。
途方もなく、くやしさだけが募った。
いつの間にか自分の方が、嫉妬に苦しむほど上條に恋をしてしまっているという現実に。
涙をためこんだせいで半透明にぼやけた視線を、覆いかぶさる上條の影に向ける。
その表情さえ確認できないまま、ただ一心に睨みあげる。
涙ながらににらみつける有紗を、上條はどんな表情をしてみつめているんだろう。
何も見えないまま、しばらく上條の影が有紗の上から全体を覆った。
やがてぎゅうっと暖かい体温が、有紗の全身を包み込んだ。
「あーちゃん」
掠れたためいき混じりに、優しい声色が有紗を呼んだ。
「やっ!」
肩と首のおくが吐息でふんわりかすれて、胸がチクチク痛い。
上條は有紗をだきしめながら、首元に顔をうずめ、首元に頬ずりをくりかえした。
出会った頃は恐怖の対象でしかなかった黒髪が、サラリとゆれながら柔肌をやさしく撫でる。
途方もなくたゆたい感触に、切なさがこみあがってくる。
胸の中が、もっとジリジリと焦げて痛い。
「やだ、嫌!」
好きで好きでたまらない。
朔夜さんのことが、こんなに大好きなのに。
やさしくされるたび、ジリジリと焦げる胸のいたみが強くなり、悲しくなるだけだ。
変わらない優しいこえで有紗の名前をを呼ばれるたび、涙がとまらなかった。
嫌だと抵抗しながらも抱きしめられてから、しばらく経ってのことだ。
とつぜん布のやぶれる音が聞こえた。
同時に、瞳にためこんでいた涙を指先でぬぐわれる。
「ぅ……っ……」
顔をあげたそこには、隠そうとしていたはずのシャツのボタンを引きちぎりながら、今にも泣きそうな顔で有紗を見おろす上條がいた。
やがてタイルに落ちたボタンのはじける音に混ざって、心地いい低音が、壁面と反響させながらきれぎれに聞こえてくる。
「俺は、あーちゃんのためなら、どんなことだってできるよ」
乱暴に服を脱ぎ捨て、仰向けになっている有紗を両腕のなかに閉じこめた上條がいっ
た。
「有紗を守るためなら、なんだってやれる」
やがて有紗の目のまえに曝けだしたものは、自分よりもすこし浅黒い肌色と、そのなかに奇妙にとけこんだ、一面の朱色だった。
胸のあたりから赤い斑点一色に染められた、上條の上半身だ。
嫉妬をとおりこし、恐怖で寒気さえ覚えてしまうほどの、悲惨な朱色。
『愛しあった』なんて言葉ではおさまらないだろう。
肌の上にのこされたその傷痕は、猟奇的な執着をみせる刻印としか見えなかったのだから。
乳輪まわりには、炎症をおこした赤ぐろい刻印が。
吸い付いただけでは、こんなに腫れたりはしないだろう。
時間をかけて執拗にかぶりつかれたのだろうか、腫れぼったい二つの突起には、斑点のような傷痕が幾重にもなって付けられていた。
痛々しい傷跡は、腹部まで続いている。
まるで素肌を食い破ろうとしていたのだろうか。
歯型にそって、皮膚の一部がめり込んでいる。
そこには血のにじんだ痕を残して。
脇のしたから腕の内側にいたるまで、上條の素肌を、イビツな赤が埋めつくしていた。
長そでに隠されていた両手首には、紐のようなものできつく縛り付けられた痕が、二重、三重と紫色に変色し、残っている。
さらに、薄茶に変色した肌のうえには、あたらしく残された赤い傷跡が、血痕にかぶさって付けられている。
これは……何。
それを見上げていた有紗の心音が、ドクドクと速まってくる。
背中の後ろが寒気をもってブルブルと震え、声を出すことさえできなかった。
上條のからだは、どこを見ても、傷ついていた。
引っ掻かれたような傷痕もあった。
皮膚があかく焼け、その傷が癒えるまもなく、新しい刻印をおされていた。
薄茶色に変色した上から付けられた、生々しいうっ血の痕。
考えるまでもなく、日に日に押し付けられた傷痕が、変色と損傷をくりかえしているせいだ。
それは、彼がもう何日もまえから何者かによって拘束され、毎日のように、こんな酷い仕打ちをうけていたという事にほかならない。
有紗の脳裏に、心地いい低音が何度もこだまする。
上條は言ったのだ、「有紗をまもるためなら、なんでもできる」と。
「ひどい……ひどい、こんなこと……一体だれが……」
有紗のなかで、散りばめられた点と点がつなぎあわさっていく。
これまでの出来事が走馬灯のように、とつぜん脳裏をよぎった。
『いつまでも一緒にいられますように』と、二人でお月様をみあげてお願いをしたこと。
煙草を吸いにいくとエントランスにでていった上條が、物々しいかおつきで誰かと電話していたこと。
直後に有紗をおいて部屋から出て行ってしまったこと。
あの公園で待っていてと約束を交わしたこと。
だけどあの日、上條があらわれなかったこと。
雨宮のいうとおり、本当に捨てられたんだと思ったこと。
そのたび、ベットのうえで見つめあった、あの熱視線をおもいだし、じっと涙をこらえ、上條を信じて待っていたこと。
もしかして朔夜さんは、僕を守るために、目の前から姿を消していたのかもしれない。
僕をまもるために、こんなに傷だらけになっているのかもしれない。
今だってそうだ。
本当は、嫌いになったんじゃなく、愛されているからこそ、距離をおかれていたのだとしたら?
たくさんの入り乱れた感情でぐちゃぐちゃになる。
気がつけば上條にそっと頬を撫でられていた。
「俺は、あーちゃんしか好きじゃない。あーちゃんしか、大切じゃない。俺の生きる全ては」
「さくやさ……っ、さくやさん……!」
次のことばを待たずしてしがみついた。
どうしても今すぐ、上條のことを抱きしめたかった。
汗ばんだ背中に腕をまわしてぎゅうっと抱きしめると、こんどこそ上條の温もりを直に感じ、込み上げる涙を抑えることができなくなった。
「ずっと大好きだから。どこに居ても、大好きだから」
優しい声が、手のひらから振動になって体内に伝わる。
「ごめんな、もう時間がねぇんだ」
――都合のいい、解釈かもしれない。
――信じても、捨てられるだけかもしれない。
借金を残して去っていった叔父夫婦のように。
記憶のない両親の残像をさがす今までに、報われない夢の続きが、うわ塗りされるだけかもしれない。
「大丈夫、俺が、守ってやるから」
それでも、こうして腕を伸ばしてしまうのは、好きだからだ。
上條のことが大好きだから。
傷つくことがこわくても。
信じることがつらくても。
この人を愛しているから。
だから、こうして抱きしめてしまう。
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