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余事
人として死を迎え、鬼として生を継いだ鬼灯は、転生した魂とは違い両方の記憶を併せ持つ。
だからと言って人でしかなかった者、鬼でしかない者、はたまた神であり続けるしかない者と、何がどう違うのか実のところよくはわからない。
だが少なくともこれまで見てきた数多くの亡者、現世の人間、妖怪、神に至るまで、その根幹には同じ核を持っているように思われた。

欲、である。

欲にも色々ある。
食欲、睡眠欲、金銭欲、名誉欲、権力欲、そして色欲。
こと色欲に於いては、三界全てに共通する欲であると、多くの見聞に基づき断言できるものであった。
そして鬼灯も、その括りの中に含まれるただの一匹の鬼にしか過ぎなかった。


鬼灯が初めて女の味を知ったのはいつのことだったかもう思い出せもしないが、これほどの快楽が存在するのかと慄いたことは記憶にある。
それでも何度か味わううちに、徐々に色褪せ最初の衝撃を上回ることもなくなっていった。
尤も全く飽きてしまうということはもちろんなく、折を見ては相手を見繕いまた誘いを掛けられ、それなりに満足を得てきた。
青臭いうちは先立つものも少ないし、またそういった手練手管にもまだ慣れてはいなかったため妓楼に上がるという選択肢はなかったが、ある程度の地位を確保してからは度々、商売で男を相手にする女を買うようになった。
理由は一つ、面倒がないから。

素人の女というのはことごとく、最後には鬼灯に依存したがり猫なで声でこう言うのだ。
あたしを養ってくださいな。
それほど金を持っていなかった頃からそうなのだから、どうも鬼灯は頼り甲斐がある、甲斐性がある、と思われがちらしい。
だが鬼灯本人に言わせれば、ただ単に仕事が好きなだけであって、そこから派生する物理的、精神的な何らかを他人に分け与えようという気は更々なかった。
とは言うものの、趣味であったり興味のあることだったりであれば、その限りではないのだが。
つまりそれは、女という存在に興味はあっても、女個人そのものに興味はない、そういうことに他ならなかった。
それでもすべての女が打算ばかりというわけではなく、心を寄せてくれる女もいたにはいたが、如何せん鬼灯の側にそういう気配が芽生えることはなく、結局のところ言ってしまえば身体の関係だけで終わることが常であった。

それに対して廓の女は有体に言うと商品であるから、そこに余計な感情や思惑を乗せてくることも殆どなかったし、口も堅ければ詮索もしない、手っ取り早い性処理の相手としては最適であった。
だが、彼女たちの大方はそうであっても時々、もしかしたら鬼灯が自分を曳いてくれるんじゃないか、という期待を見え隠れさせる遊女も中にはいた。
それは鬼灯が補佐官に就いた頃からこと顕著になっていた。
正直、勘弁してほしい、鬼灯は心底うんざりしていたのだ。


そんな中、鬼灯は三度白澤に会いまみえる。
いけ好かない奴、憎たらしい奴、存在そのものが気に入らない。
最初の頃はそう思っていたのだけれど、いつからなのだろう、その性質に触れる度、その人柄を知る度に、鬼灯は白澤に惹かれていったのだ。
好きの反対は無関心とはよく言ったもので、鬼灯は他者からはわからないだろうけれどもそれを体現してしまっていた。
会う度に殴り飛ばし、暴言を吐いて気を引き、自分の存在を主張し続けた。
その行動が結果、吉と出たか凶と出たかは傍目には一目瞭然である。
鬼灯は吉兆の神獣白澤をして大嫌いと言わしめ憚らない存在となった。

白澤の女好きは有名である。
しかも決まった相手を持たず、次から次へと女を渡り歩いている。
そんな十把一からげな存在になることを、鬼灯は断じて許せなかった。

ただ少し弊害があったとすれば、鬼灯が女を抱けなくなったことである。
生理としては鬼灯も男であるからして、女を抱きたくなることはもちろんあるのだが、ある時娼妓を抱いている際にふと思ってしまったのだ。
(この女は、白澤に抱かれたことがあるかもしれない)
(一晩だけかもしれないが、白澤に愛されたことがあるのかもしれない)
それに気付いた瞬間鬼灯は、どうしようもなく醜い感情に侵された。

嫉妬。

女であるというだけで、白澤に愛されるかもしれない可能性を持つ。
そのことが鬼灯の感情をこれ以上ないほどに捩じくれさせた。

だったら男を抱いてみるか。
他者が考えるより余程柔軟な思考の持ち主である鬼灯は、特に抵抗もなくそう思って実行に移してみた。
妓楼に赴き、今日は男を紹介してくれないか、そう言ったときの楼主の顔は見ものであった。
目を白黒させ、しどろもどろに、あ、ええ、はいと奥に引っ込み暫くして何事もなかったかのように座敷に案内し、どうぞごゆっくり、と商売用の笑顔を貼り付けた。
裏で何を噂されているかわかったものではないが、表向きには上手く取り繕ってくれる、廓のそんなところも鬼灯は好きであった。

初めて抱いた男は特に何の不都合もなく鬼灯を満足させてくれた。
問題ない。
これからは男を相手にしよう。
そう思わせるのに充分な快楽を鬼灯に与えてくれた。
そうやって何度か、妓楼に上がる度に男を抱いた。
頻繁に来るわけでもなかったので、見世と相手は毎回変えた。
しかし、その何人目かの相手が、少々曲者だったのだ。


ねっとりとした視線で鬼灯を舐め回すように見る男を胡散臭く感じながらも鬼灯は精を解放し、事を終えた布団に胡坐をかいて煙管を吹かしていると、
「鬼灯様、」
横たわった布団の上から手を伸ばし、男が着物の袖をちょいちょいと引いた。
目線を動かし男を見ると、にやにやと含んだ笑みを湛えていた。
「なんですか」
「鬼灯様は、男を知らないでしょう」
今抱かれたばかりだというのに、何を訊いているのだと鬼灯は怪訝な顔を男に向ける。
「男を抱いたことはあっても、抱かれたことがないでしょう」
ぐい、と袖を引かれ、鬼灯は布団に肘を着いた。
「何をするんですか」
眉間に皺を寄せ、男を詰る。
だが男は気にする様子もなく、鬼灯の手から煙管をすい、と取り上げ灰入にかつんと雁首を打ちつけた。
「あたしの見たところ、鬼灯様は男に抱かれたがっていらっしゃる」
「貴方、何を言っているんです」
「あたしに試させてみちゃあくれませんか」
そう言うと、男は鬼灯の首を抱いて布団の上に押し倒した。

「ああ、あ、あ、ん」
鬼灯の知らない鬼灯の声が、喉から漏れて止まらない。
こんな甘ったるい声を自分が出すとは。
信じたくない思いは頭の片隅に、そして多くはその快楽を受け入れる。
男の指が、鬼灯の秘部を緩く撫で回し、少しずつ少しずつ解していく。
「あたしたちは慣れていますからいきなり突っ込まれても割と平気なんですがね、鬼灯様は初めてでしょうから」
指がつぷりと差し込まれ、ひい、と思わず鬼灯は呻いた。
「大丈夫、気持ちよくして差し上げますよ」
ぐりぐりと入口を掻き回され、反射的に異物を吐き出そうと力が入る。
「だめですよ、力を抜いて」
そう言って唇を鬼灯の雁首に寄せて、ちゅう、とその先端を吸い込んだ。
「ひい、あっ、あ」
ちろちろと舌でくすぐられ、快感に気を取られ一瞬弛緩したその隙に、ずぶ、と奥まで指を差し込まれた。
「いっ! ああっ、あ」
痛みに思わず悲鳴を上げて、鬼灯は再びその場所をぎゅうぎゅうと閉めた。
「ほらここ、どうです? 好いでしょう?」
男は指を根元まで突き刺して、先の関節だけを曲げて竿の丁度裏側辺りをくりくりと弄った。
「あ、あ!? あ、や、いや、いや、ああっ」
未知の快楽が鬼灯を襲う。
射精とはまた違う衝動が鬼灯の腹の中を支配した。
男の指は容赦なく鬼灯の中を嬲って、
「ひ、い、や、ああああっ」
鬼灯が絶頂するまで、その動きを止めることはなかった。

知ることのなかった快楽を知った鬼灯の目尻に、意図しない涙が溜まっている。
はあはあと荒い息を吐きながら胸を上下させ、鬼灯は覆い被さる男を見上げた。
「抱かれたい男だと思いなさい」
男の言葉に、どくんと心臓が跳ねる。
「あたしの指を、あたしのこれを、欲しい男のものだと思いなさいな」
そう言うと男はぐ、と怒張を鬼灯の後ろにあてがって、慣らすように少しずつ押し入ってきた。
「う、ああ、あ」
思わず鬼灯は男の首を掻き抱き、足を絡めて男の腰を抱き込んだ。
「……!」
名を呼ぶことは、かろうじて堪えた。
「今、あんたを抱いているのは、鬼灯様、」
男の腰が、鬼灯の最奥を貫く。
「あんたの愛しい、男だよ」
高く掠れた悲鳴で啼いて、鬼灯はまた一つ、新たな快楽を覚えた。


妓楼に赴くことの頻度は相変わらず低く、貪る快楽もその場限り、ただ対象が女から男に、そして抱くことから抱かれることに変わったというだけで、鬼灯の日常には然程の変化もなかった。
それがほんの少し違ってきたのは、ある男娼に乞われたことによるだろう。
また抱きたい、とその男は希んだ。
それもまた良し、と鬼灯は諾した。
一度限りにしてきた廓の娼との関係を、少しばかり続けてしまったのはやはり、多少なりとも情が湧いたと言えるのかもしれない。
見返りを求めないその目が心地よかった。
無垢に鬼灯を求める姿が安らぎを与えてくれた。
だけど、それだけで済むはずもなかったのだ。
鬼灯の歪んだ想いはその男を蝕んで、どうあっても苦しみを与えるだけに過ぎなかった。
傷付けたのだ。
それも恐らくは最悪の形で。
その確信は、何故か鬼灯自身をも傷付けた。

想ってくれる相手を想えるのなら、どんなに楽なことだろう。
想う相手には想われない。
想えない相手には想われる。

心というものは、本当にままならない。

鬼灯は泣かせた廓の情人に頭を下げることしかできず、身支度もおざなりに座敷を出て足早に花街を歩いた。
灯りの落とされた道は暗く、隠れて色を買う輩には丁度いい頃合いだ。
身を隠すように歩く鬼灯にもそれは都合がよく、誰にも見られずにこの街を出られることを願った。

酷い仕打ちをしてきたのか。
例え金で売り買いする間柄でも。
自問自答してすぐに結論は出る。
理由はどうあれ、酷く傷付けたことに変わりはない。
好いた相手の代わりに、その男に抱かれることを鬼灯は望んだのだ。
例え相手が娼であっても、そこに心がないわけではない。
ましてや、その心を寄せてくれていた相手なのだ。
鬼灯はどこかでそれをわかっていて、その上で利用した。
その罪悪感は鬼灯を逃げへと誘った。

そうして鬼灯の足は、自然と天国との境界、地獄の門へと向かう。


白澤に会いたい。
会って一目顔が見たい。
一目でいい。

(白澤さん)

鬼灯の心が白澤を呼ぶ。

(白澤さん)

門を越え、真夜中の桃源郷をひた走る。


鬼灯は極楽満月の扉の前に辿り着くと、一つ大きく息を吸って呼吸を落ち着かせた。
「夜分に申し訳ありません、鬼灯です。開けていただけませんか」
こんこん、と小さく扉を叩く。
「白澤さん」
どんどん、と拳で扉を叩く。
「白澤さん!」
叫ぶように呼んだ後、鬼灯は上げた腕をずるりと落とし、扉の前で項垂れた。
暫くそうして佇んでいると、中からかちゃりと音がして、静かに扉が開かれた。

「お客さん、閉店ですよ」


因果応報、天網恢々。
鬼灯の座右の銘が頭をよぎる。

因果応報、天網恢々。


想いを告げることも許されず、鬼灯はその夜、最愛の男に犯された。



【了】

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