其弐 切っ掛けはなんだったのか、と問われれば、朴念仁と一部に名高い犬猿の仲の鬼の性事情に、単純に興味が湧いたのだ、と答えるしかない。 もう随分と昔のことのようにも思えるし、つい最近にも感じられる。 その切っ掛けの夜、閉店時間をかなり過ぎた極楽満月に、鬼灯は薬の受け取りに訪れたのだった。 「お客さん、閉店ですよ」 ぶすくれた表情で扉を開け、白澤は鬼灯をじろりと睨む。 「どうしても時間が取れませんで」 とぼけた答を返す鬼灯は、いつものようにいきなり白澤に手を出しては来ず、多少は申し訳なく思っているようだった。 「…まあ、受け取りだけならいいさ、入れよ」 白澤は扉の前を譲り、鬼灯を通す。 「ほら、これ」 ぼすっと鬼灯の腕に紙袋を押し付け、手のひらを上にして突き出す。 鬼灯は無言で懐から財布を取り出し、薬の代金をその上に乗せた。 白澤もまた無言で受け取った金をポケットにねじ込むと、カウンターの上の伝票を指差し、受け取りにサインを要求する。 伝票にさらさらと書き込み、かたりとペンを置いた鬼灯は、では、と軽く頭を下げ踵を返した。 「毎度」 声を掛けて、鬼灯が扉を閉めるのを見届け、鍵を閉める。 それだけで終わったはずだった。 一体何が、白澤の口を再び開かせたのだろうか。 ほんの気紛れか、それとも、いつもの鬼灯でなく感じることを、少しばかり居心地悪く思ったのか。 「お前、今日は上がり?」 と、つい、呼び止めてしまったのだ。 鬼灯は顔だけを振り向かせ答えた。 「そうですね、こんな時間ですし今日はこのまま真直ぐ帰ります」 「じゃあ少しだけ付き合ってくれない? お前のおかげで目が冴えちゃった」 眉をひそめた鬼灯が、胡乱げな顔で白澤を見てくる。 「明日も仕事なんですけど」 「僕だってそうさ」 いいから一杯だけ、ね? と店の奥を目線で示した。 「…まあ、いいですけどね」 鬼灯はため息を吐いて身体を戻し、白澤の後ろに着いて台所兼食堂に入って行った。 「結構いい酒ですね、これ」 ごくり、と薄い金色をした酒を一口飲み下した鬼灯が、ほんの少し目を見張る。 「そうだろ? この前現世に行ってきたっていうお客さんがくれたんだ」 「元手は掛かってないわけですね」 「そこはいいだろ! これも僕の日頃の営業の賜物、言わばボーナスみたいなもんさ」 「収賄は犯罪ですが」 「堅いこと言うな! そんなことで贔屓したりしないっての」 まったくああ言えばこう言う、とぶつぶつ呟き、白澤も酒を呷った。 「美味いけど強いなあ、この酒」 「そうですね、大丈夫なんですか貴方」 「少しなら平気でしょ」 今度はちびり、と表面だけを舐め、上目に鬼灯を見た。 「ところでお前、いつもこんな時間まで仕事仕事って、一体いつ遊んでるの」 「それなりに時間を作って息抜きはしていますよ」 「女の子と遊んだりはしないの」 「…ノーコメントで」 「なんだよ、いいじゃん教えろよ」 「しつこいですね」 「朴念仁の補佐官様の性事情とか興味津々なんだけど」 にやにやと笑う白澤をぎっと睨みつけ、下種が、と鬼灯は吐き捨てる。 「…女性は、正直面倒なんですよ」 嫌々、という口振りで鬼灯は答え、ふう、とため息を吐く。 「なにそれ、じゃあ今禁欲中? あ、それとも、」 ぷぷっと白澤は口を押え、吹き出すように言った。 「まさか男が相手とか?」 だが、冗談で言ったつもりのその言葉に、鬼灯はぐ、と顔をしかめた。 「え、ええっ、そうなの!?」 流石に白澤も驚いて、杯を取り落しそうになった。 慌てて残りの酒を飲み干してしまう。 途端にかあっと胃の腑が熱くなり、頭がくらりと揺らめいた。 杯をテーブルに置いて肘を着き、顎を上げて鬼灯を見る。 「へえ、お前ってそういうんだったんだ?」 鬼灯は僅かに目を逸らし、ぼそりと言った。 「嗜好がそうというわけではありませんが、色々と都合がいいもので」 「都合?」 「まず、孕みません。そして何より、相手に執着することが少ない」 「ふうん?」 「男同士というのは割合頻繁に相手を変えるのです」 「そうなんだ…」 相槌を打ちながら、白澤の思考はあらぬ方向へ向かっていた。 男を相手に、この鬼は、褥でどんな振る舞いをするのだろうか。 「そういうの、知られちゃまずいんじゃないの?」 「そうでもありません。口の堅い相手を選んでいますし、知っている人は知っていますから、特に隠したりもしていませんよ」 「僕なんかに話しちゃっていいわけ?」 「貴方はそういうことで私を貶めたりはしないでしょう」 そう言うと、鬼灯はす、と視線を真直ぐ白澤に向けた。 どきり、と白澤の心臓が跳ねる。 「…そうだね、言いふらしたりはしないよ」 でも、と鬼灯の持った杯をすい、と奪い取って飲み干すと、 「お前の事情に、別の意味で興味が湧いちゃった」 杯をからりとテーブルに投げて、鬼灯の顎に手を掛けた。 きっと、酒のせいだ。 腹の底が熱くて、頭がくらくらする。 「ねえ鬼灯、僕の相手をしてみない?」 「冗談でしょう、なんで貴方と」 「余興だよ、余興」 白澤は鬼灯の腰を抱き寄せ、腕を取る。 鼻先を首筋に埋めて、舌を這わせた。 「私は疲れているんです、離してください」 「嫌なら殴っていいよ、ほら」 鎖骨に唇を這わせ、ちゅう、と吸った。 「やめなさい!」 びゅっと振られた鬼灯の手を素早く受け止め、両手を掴んだ白澤はぐっと鬼灯の身体を引き寄せ、乱暴に口付けた。 「疲れてるなら、僕が癒してあげるよ」 唇を離して欲を湛えた目で微笑むと、この淫獣、と牙を剥き出し鬼灯は毒吐いた。 これは、さっき飲んだ強い酒のせいだ。 身体の奥がぐらぐらと煮え滾っている。 寝台に押し付けた鬼灯の着物の帯をするすると解き、なだらかな胸に喰らいつく。 胸から脇へ、脇から腰へ、手のひらで、指で、唇で、舌で、撫で擦りながら降りていくと、固くなり始めた部分に辿り着いた。 「嬉しいなあ、ちゃんと感じてくれてるんだ」 うるさい、と答える鬼灯の声は、両の腕に覆われくぐもっている。 立ち上がってきたそれに舌を這わせて持ち上げてやると、びく、と内腿が強張った。 「貴方、男相手も経験、あるんですか」 少し上がった息と共に、鬼灯が忌々しそうに訊いてくる。 「あるよ、回数は少ないけど」 長く生きてると色々あるよねえ、と白澤は嘯き、くすくすと笑った。 鬼灯の中心から頭を移動させ、太腿の筋に歯を立てる。 そのままずるりと下に降り、足首を持ち上げて膝裏を舐めた。 掴んだ手から、鬼灯の足先がぎゅう、と閉まるのが感じられる。 脹脛(ふくらはぎ)、脛(すね)、踝(くるぶし)、足裏、そして爪の先まで、唾液を絡め丹念に舐め尽くした。 男を相手にしたことは、確かに何度かある。 だが果たしてこんな身体を、彼らはしていただろうか。 何人も抱いた極上の女たちは、こんなに吸い付くような肌を持っていただろうか。 白澤は夢中で鬼灯の白く滑らかな肌を何度も貪る。 鬼灯が悲鳴に似た啼き声で終に許しを乞い始めるまで、深く、深く喰らい続けた。 白澤の欲望は腹の奥からごぽごぽと吹き上がり、押し上げてくる熱と共に鬼灯を貫いて、その熱さに中心を震わせる。 絡みついてくる柔さと搾り取られるような強さに耐えきれず、数度犯した後最奥を突き上げ、喉の奥で獣の唸りを鳴らしながら鬼灯の中で達した。 白澤は己が汚した白い身体を湯に浸した布でそっと拭いながら、昏い瞳で虚空を見つめる鬼灯に語り掛ける。 「正直、お前がこんなに具合がいいとは思わなかった」 ふふ、と湿った笑みを漏らすと、ぎろりと眼(まなこ)を白澤に向けた鬼灯が、下種、と唇だけで毒吐いた。 「また誘うよ」 三日月の形に瞳を眇め、にっ、と口の端を引き上げる。 「その時は、印を送る。嫌なら破って。でもお前がいいと思うなら、それを燃やして」 否とも諾とも答えず鬼灯は白澤から目を逸らし、窓の外をぼんやりと見上げた後、その瞼を閉じた。 窓から差し込む月明かりが、白い身体を薄く照らしている。 白澤は涙の跡の残るその頬に、静かに口付けを落とした。 【了】 [*前へ][次へ#] [戻る] |