リクエスト作品
イージーゴーイング
窓硝子に何か当たったのが視界の端に映って読んでいた論文から顔を上げた。
とうとう降ってきたかと曇り空を見上げたが、そんなことを思っているうちにざんざん降りになってくる。
硝子にぶつかる雨粒の激しさ、雨音。流れてくる滴の多さに外の景色が歪んで見える。
ガタンッと大きく電車が揺れた。
直ぐに向かいの席を見据えるが、何事も無かったように先程見た時となんら変わりがなかった。
そこにはルークとナタリアが座っていて、ナタリアはひじ掛けに肘をついてほお杖をしながら、ルークはナタリアに寄り掛かって静かに寝ていた。
硝子を流れる雨が薄い光に照らされて彼等を滑り落ちていくかのように映り、彼等を濡らす。
それがなんとも悲惨な光景に見えて、まるで棄てられた死人を濡らしているかのようだった。
中々の詩人じゃないかとガイはこっそりと自分を笑って、本に栞を挟むと隣に置いてある少し大きめのバッグに入れてデジタルカメラを取り出した。
自分の恋人であるナタリアがルークと座っているのはこのバッグの所為である。
もっと大きい荷物は三人分上の棚へと乗せてあり、それで充分なはずなのだが、ガイには多くの課題が出されており、それを持って来なければならない羽目になっていた。
バッグの中にはノートパソコンも入っており、どうしてもルークの隣に置く気分にはなれなかったのだ。
ガタガタッとまた電車が揺れる。
カメラを起動させるとゆっくりと彼等の方へと向けた。
呼吸に合わせて身体が上下する以外動かない彼等の寝顔なら先程も撮ったが、また違った雰囲気に構えたくなった。
お前は俺等の親か、といつか言ってきたルークにその時は何と応えただろうか。
確かナタリアを撮りたい時にルークがいつもいるんだと嫌味と少しの嫉妬を混ぜた言葉を贈ったかもしれない。
何か違わないか、と思うとすればルークがナタリアに頭を乗せていることであって、ナタリアが重たそうである。
いつもならナタリアが故意に寄り掛かる方なのだが、今日は不思議だなと思う。
カシッという音を起てて彼等を収めた。
彼等が光に包まれる。
まずい、と思った時には遅くフラッシュが焚かれていた。
実際、気持ち良さそうに寝ている彼等を起こしたくなかった。
前日からガイの部屋に集まっていた彼等はそれはもう煩いくらいにはしゃいでいて、今日を楽しみにしていた。
寝付きも良かったが、まだ寝足りなかったようで電車に乗って直ぐにうとうととし始めたくらいである。
眩しかったのだろう、ルークがむず痒そうな顔をしてうっすらと目を開けた。
カメラを持ったままそれを眺めていると視線をこちらに向けてくる。
「……ここ、何処だ」
ナタリアに頭を預けたまま少しだけ掠れた声でルークが聞いてきた。
何秒か状況判断してからの言葉にしては抜けているような気がする。
ああでも、もう起きてもらった方が良いかなと思って後三十分ぐらいで乗換駅に着くよ、と言って――今度はフラッシュを焚かないで――シャッターを切った。
ルークは嫌そうに身を縮め、その動作によって隣にいたナタリアも起きたようだった。
良い写真も撮れたのだが、まだ構えているとルークが前に手を突き出して顔を隠そうとする。
「やめてください。困ります」
「そうですわ。事務所を通してからにしていただきませんと」
ナタリアは焦点が合わさると同時に動いてルークを庇おうと片手を広げる。
「この娘はまだ売り出し中の子なんですから」
本当、寝起きから面白いと思えば良いのか。
面倒臭いことこの上ない二人にどうしようかと思ったが、とりあえずまた撮っておいた。
雨の酷さは変わらず。
硝子を叩き付けてくる雨は止まることを知らないようだった。
三人は土曜日から月曜日――そのうち生徒の二人は月曜無断欠席だ――を使って小旅行に来ており、この雨はその三日間ずっと続くのだろうかと心配になっていた。
起きた二人と会話を始めたが彼等も気になるようでちらちらと窓を眺めている。
梅雨に入ったからな、と思いながら三日間何も出来なくても仕方ない、と簡単には割り切れない。
今回の旅行は――短期間だが――初めてバイトをした二人がそのお金で出掛けたいと言い出したものであり、大切にしたい旅行でもあったのだ。
「雨、上がると良いな」
「ガーイー。そう思うなら調べてくれよ」
「はいはい」
悲しそうな顔をするルークに笑って返事をして携帯電話を取り出すと、ナタリアがムッとした顔をしてルークを見る。
ガイがルークを甘やかすとナタリアがむくれるというのは、もう決まっているものである。
どちらかといえば普通、親しい男と彼女が仲良かったら嫉妬するというのがスタンダードなような気がするのだが、ナタリアにとっては女性ではないルークも嫉妬の対象になるらしい。
「ダーリン、そんなに怒るなよ」
「貴方がガイに甘えるからいけないのですわ」
あしらう事もからかう事も出来るルークは、今回はからかうことに決めたようだった。
「嫉妬するなよ。わたしにはあなただけだから」
ゲラゲラ笑いながら言うルークにナタリアは私もあなただけですわ、と言って殴る仕種をする。
軽く手で受け止めたルークはガイの方を見て、それで天気の状態はどうなのかと目で聞いてくる。
「あ、アイコンタクトなんて許しませんわ」
「俺とガイは切れない絆で繋がってるからな」
「まあ、友情なんて臭いことを言い出しましたら軽蔑しますわよ」
「出会うべくして出会った運命の人ってやつ、かな」
「ロマンチックですわ。吐き気がします」
にこにこと笑い合う二人にガイも携帯を見ながら笑みを浮かべた。
「ナタリア、奇跡的に明日と明後日は晴れるらしいよ」
「わっ嬉しいですわ」
「流石、聞いたのは俺なのに機嫌取りが上手いなガイは」
奇跡的も奇跡的。火曜日にはまた雨が降り出す予報となっていた。
まあ、予報なんて完全には当てにならないが喜んでいる二人に知らせることもないだろう。
降ったら怒られるのは天気予報ではなくガイになるのだが、八つ当たりくらい甘んじて受け入れよう。
二人の言葉を受け止めながらポケットに携帯を仕舞うと、さて、と言った。
「チェックインの時間は変わらないわけだし、荷物置いたらどうする」
「温泉入って卓球だろ」
「カラオケがしたいですわ」
「明日にはまた違うところに泊まるんだからお土産屋巡りだってしたい」
「枕投げも必ずですわ」
「いやむしろ旅館の探険が最初だろう」
「まあ、それは良いですわ」
ご機嫌な二人を見てから歪んだ外を見る。
課題をする気にもなれなくて――きっと楽しいだろうから旅行中にあまり進めることは出来ないだろうと分かってはいた――唸りながら車内を一周見渡すとルークが呆れたように見てきた。
隣にいるナタリアもため息をついてガイを見てくる。
「……な、なに」
「えー。何って、なあ」
「ニコチンが切れたようですわね」
これだからガイは、と先程まで言い合っていた彼等は共同戦線を張ってくる。
「わ、悪かったね」
「ほら頑張れ。後少しで駅に着くから」
「着きますから」
小ばかにしたように言う二人に、このやろう一人で先に特急に乗ってやろうか、と言いたくなったが二人にしたら例え一本道であろうとも目的地に着く気がしないので冗談でも言うのを止めておいた。
「ナタリアがキスでもしてやったら」
「キスで治るようでしたら中毒者はいません」
「……ごもっともで」
「いや駅に着くまでの繋ぎに」
「繋ぎ、ですって」
ナタリアは憤慨したようにルークの頬を引っ張り、ルークはルークでナタリアの頬を引っ張った。
そんな二人の様子を笑いながらアナウンスにも耳を傾けていると、ガイは立ち上がってナタリアにキスをする。
「わっビックリしたなあ」
「ガイ、何故立ちましたの」
目を瞬かせる二人に棚から降ろした荷物を渡すと、納得したようにそれを抱きしめる。
「次降りるからね」
「駅弁。駅弁かうぞ」
「そういえば明日晴れるのでしたら何処かの河原で蛍が見れますか」
「さあ。明日になったら探してみようか」
何度見ても外は大雨。
曇った空に、滝のように硝子を伝う滴。
折り畳み傘は持っていたが絶対に濡れるだろうな、と確信して靴を見る。
立ったまま彼等を見れば、もうそんなことを気にした風でもなく楽しそうに外を見据えている。
「なんか保護者になった気分だな」
そう呟けば、何故自分が彼等の写真を撮っていたのか思い出した。
ハウスキーパーにばかり任せっきりの彼等の親に、彼等のことを見せてようとしてたのだ。
それも今更だな、と思うのだが親も親で彼等の事を溺愛しているのだから見せても面白いかもしれないと思った。
またアナウンスが流れ、目的の駅に着いたようなので彼等を促すと先頭に立って電車を降りた。
End
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旅行初日の電車の中という何とも中途半端なところでしたが、その後もこんな感じのグダグダ感で旅行中も楽しんでいると思います。
ガイ視点は多分一番やりやすくて、傍観的になってしまうのが玉に傷、というかすごい傷なんですが楽しませていただきました。
スイさま、リクエストありがとうございました。
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