リクエスト作品
トラジカルパレード


その最上階の扉が開かれて一匹の猫が入り込む。
鼻唄をうたっていた男はそれに気付くと猫を抱き上げて優しく猫の喉元をくすぐってやった。


人々が仕事を熟して家に向かう時間帯。

日が成りを潜め闇が濃くなり始めて、街の至る所に淡い光が輝き出した。


時計塔の一角に座り込んでその街並みを眺めていた男は猫の毛の一部が短くなっていることに気付いて、どうしたアニス、とそこを撫でた。

アニスと呼ばれた猫は一度鳴くとそっぽを向いてしまう。


「ガイが悪いんだからね。他の奴の領地に入り込もうとするから」


アニスはかなり怒っている。

猫の言葉を正確に聞き取ったガイはため息をつくとそんなこと言われても仕方ないじゃないか、と思った。
自分はただアニスに目を付けた女性の居場所を突き止めて貰おうと思っただけで、それが国外にまで及ぶなどとは思っていなかったのだから。

確かに威嚇として毛を刈られたアニスは可哀相だとは思うが。



闇に潜む生き物でさえも縄張り争いをする。
それがどの感覚かはガイ自身も分からないが、自分と同族の者が自分たちのテリトリー内に入れば自ずと分かるのだ。

ガイ自身も遠くから警戒されており、しかしアニスの仲間のように直接手を出されることはない。



ガイは自分のテリトリー内でマーキングしておいて、それを取りにきただけだ。

今まで、熟すのを待って彼女を誰が貰うのか、周りに気を使って手を出さないでいたのを第三者に易々と取られて、此処の者たちはさぞ悔しく思っていることだろう。


くくっと笑ってあの酔ってしまいそうなくらいに甘い匂いを思い返す。
あんなに素晴らしい食材が妙齢な歳まで残っていたのは奇跡のようなものだ。

それも彼女の育ちの良さも起因しているのだが。


「屋敷をドレスまみれにして、ガイはお嫁さんでも貰う気なの」

「いや、お姫様なんだろ」


機嫌を直したアニスがにやっと見上げてきてそれに笑顔で応えた。

――そう、彼女はこの国のお姫様。

アニスにかなりの長旅だったと言われただけでなく城の中までは入れなかったと言われた時は驚いたものだった。


血統書付きとか凄いな、と思いながら彼女に想いを馳せる。
あれが自分だけのものになるのは何とも褒美だ。


ぐるぐると猫のように喉を鳴らせばとアニスが己を護ろうと身を縮まらせた。
ガイのような者たちは美味しいから人間を選ぶだけで基本的に己の栄養になるものであれば植物でも何でも良いのだから気が気でないのだろう。



大きな音を起てて時計塔の鐘が鳴る。

夜に染まる時間を知らせるために揺れる鐘を横目で見て、その時が来ていることを静かに歓喜した。



ああ早く欲しい、と思ってくんっと空気を吸い込めば彼女のそそるような匂いがした。
ん、と思ってアニスに居場所を探してもらえば、以外と近くにいることが分かった。


アニスを肩に乗せたまま、高さなどなかったかのように時計塔から裏路地の石畳へと舞い降りる。
踵で音を立てながら歩いて、切れてしまいそうな街灯の間を抜けていった。


「ほら、あそこにいるよ」


大通りに出ようとしたところでアニスが小さく鳴いた。

はたしてそこには城のパーティ会場で見た愛らしい女性が、可愛らしく笑みを浮かべて歩いていた。

ガイがぴたりと立ち止まるとアニスが何してるの、と肩の上から覗き込んできた。


「護衛が一人しかついてないなんてチャンスじゃん」

「……別に急ぐ必要なんてないからね」


そんなことよりももっとよく見てみなよ、と女性ナタリアへと指を指し示した。

ナタリアの隣には寄り添うように一人の男がいて、それは護衛というよりも恋人の位置だった。
いや、あれはまさに恋人なのではないだろうか。

アニスが自分の思ったことが本当かどうか、女性からガイへ視線を戻すとブルッと震え上がった。

ガイはうっとりとする表情をして、それを見つめていた。
その表情は、ガイたちからして咀嚼物の対象となるアニスにとって、恐怖以外のなにものでもなかった。


「……味は変わらないんだけどね、恋してる人間の香は甘味を増すんだ」


ナタリアの隣にいた男が少し待っていてとでもいうように彼女を一人残して一軒の店に入っていくのを見届けるとガイは後ろを向いて、来た道を戻り出した。

彼女の居場所を確認しただけでもうあの場には用はない。


普通、あの様に女性一人になった瞬間が絶好の機会かと言われればそんなことは全くない。
ガイの種族は争いを好まない。
だからじっくりと観察して、己に気を少しでも向けて誰もいないような所まで着いてきてくれるように仕向けれる可能性がなければ相手として選ばないのだ。

しかし、ガイはもうそんなことを考える必要もない。

召使でも呼び出すかのように軽く指を鳴らす。
すると、ふらりと迷い込んだかのように先程表通りにいた女性が現れた。


アニスはかなり驚いたようであったが、なんてことはない。
ただ引き寄せただけである。


ガイはナタリアと別れる際に自分のチョーカーを巻き付けてきた。
それは、周りの者にその巻き付けられたモノには独占者がいる、という象徴と共に貴族の所有の証ともされている。

所有しているモノは近くに置くことを許されているのだ。



すぐ傍にいるナタリアからはむせ返るほどに甘い香がして、直ぐにでも彼女に歯を立ててしまいたい衝動に駆られる。

ナタリアは目を瞬かせて何故自分がこんなところにいるのかと辺りを見回していた。
そして目の前にいるガイに気が付くと瞳を輝かせてこちらに近付いてきた。

あと三歩で御馳走にありつけるというのに、それ以上彼女は近付いてこない。
ここは所有者に首筋を差し出してくるべきところだろうと思う。

こんなに見つめているのにナタリアはほんの少しの可愛らしい好感しか向けてこないで、確かガイでしたわね、と他人行儀なことを言ってきた。


未だナタリアはガイのチョーカーを着けているというのに腹立たしいことこの上なかった。


「……ええ、ナタリア」


自分たちはあの会場ではファーストネームしか名乗っておらず、どんな相手かも知らない。
ナタリアはガイから目を逸らすとガイの肩に乗っかっている猫に目を向けた。


「可愛い猫ですわね。肩にまで乗って、ご主人が好きですのね」

「ええ、そうなんですよ」

「なに適当なこと言ってんの!違うから」


ナタリアが抱き上げようとするとアニスは甘んじて受け入れていたが、ガイがさらりと嘘を言うのにフーっと怒った。
アニスが怒っただけでしかし何もしてこないのは多分、今回のお礼に人型になるための薬を十日分与えると言ったからだろう。
作ったのは同族であるジェイドなのだが。


二三度アニスを撫でるとナタリアは自分の状況やら何故ここにガイがいるのかなどの疑問が沸いてきたのだろうが、息をつめて自分の首筋に手を当てた。


「あの、ガイ。その…このチョーカーは貴方のですわよね」

「……そうですね」


その首筋を撫でる仕種は飢えを潤すことを誘われているようで、とても魅力的だった。
困ったように目を逸らしているナタリアとは反対に、こちらを見上げているアニスはガイの視線から逃げ出したい衝動に駆られているようで、ナタリアへと身体を押し付ける。


「その、よく分からないのですが、これがどうしても外せませんの」

「そんなことありませんよ。失礼して、取り外させていただきますね」


一歩近付くと気にしないでいた心拍がもう少し上がったようだった。
喉がカラカラになって、ナタリアを早く味わいたいという感情がガイを即す。


ついに耐え切れなくなったアニスがナタリアの腕から逃げ出した。

邪魔だったから調度良い。

彼女だけには逃げられないようにとナタリアの背を壁側に向かせるように近寄ると、両手を上げて彼女の首に回す。


ガイはチョーカーを簡単に外すと、手から放して地面へと落とした。
用はないそれを踏み付けてまた半歩距離を詰めるとナタリアはありがとう、と言ってきた。

着いていた理由も分からないでありがとう、も何もないだろう。
それに、今の自分の首を鏡で見ていたらありがとうなんて言葉は絶対に出てこない。


チョーカーが着けてあった部分には赤くガイたちだけに読める文字で所有者――つまりガイ本人――の名前と所持を示す内容が刻まれていた。


「その…私、人を待っていたので通りに戻らせていただきますわね」


ナタリアは待ち人のことでも思い出したのだろう、少しだけ頬を染めた。

その時、脳を麻痺させるような、まさにこの世のものとは思えないほどの食欲を誘う香がした。
横から抜け出そうと彼女の身体が傾き、顎から鎖骨までにかけての綺麗なラインが街灯の淡い光に浮かび上がる。

堪らずにこくり、と唾を飲み込んだ。



ガイはその美貌に手を這わせると何の予告もなく、白い首筋に噛み付いた。



よくここまで我慢してこられたと褒められるほどに酔ってしまいそうになる香と、舌を甘く刺激する味、喉を透き通るように入ってくる物足りなさ。

全てがもっともっとと急かして、ガイの思考を埋めつくす。


堪らない。欲しい。誰にも渡したくない。


ビクッと彼女は震えて、恐る恐るというようにガイの名前を呼んだ。
意味が、何をしているのか分からないのだろう。


美味しい。美味しい。もっと。


口に手を添えて漏れ出る声を押さえ付けると、彼女はガイの腕を離そうとそれを掴む。


「……ッん……ぅ…」


痛みや恐怖はない。
そんなものがあったら途端に血液の流れは悪くなってしまう。

どちらかといえば全身を柔らかく麻痺させるような感覚にさせるのだ。


頬を染めたまま目を潤ませるナタリアを横目で眺めながら牙を離すとまた唇で吸い始めた。


美味しい。まだ足りない。喉が乾くようだ。


確かにこの時ために少しばかり栄養補給を断っていたが、いくら飲んでもまるで満足しない。



ずっとこの感じを味わっていたい、とまた牙を立てようとすると、左腕に鋭い痛みが走った。


「それ以上飲んだら死んじゃうよ」


アニスは噛み付いていたガイの腕から離れると、そう言って尻尾を振った。
やっと事態に気付いてナタリアを正面から見ると彼女はぐったりとしていて、浅く呼吸を繰り返していた。


「あ、なた……何者で、すの」


ああ、まだ大丈夫だった、と思って彼女を抱きしめた。
こんなところで失ってしまいたくはない。


「吸血鬼だよ。お姫様」

「……な、にを…って…」


ふらふらと手も出せずに困惑するナタリア。
そんなことを気にせず甘い香に幸せを抱きしめていると、何処からか彼女を呼ぶ声が聞こえてきた。


段々と声と足音が近付いてくる。
きっと先程ナタリアと一緒にいた男だろう。


具合悪そうにガイに寄りかかっているナタリアはまだ十分に理解出来ていないようだった。

肩に乗ってきたアニスにガイはありがとう、と言うと大切なものを扱うようにゆっくりとナタリアを抱き上げた。



「しばらく彼女を手放すことが出来そうにないよ、アニス」



ガイは高揚とした気持ちを隠しもせずに言うと、そのまま闇に紛れて街から立ち去った。







End

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ナタリアがまったくしゃべっていないという罠。
無理やり連れて行く感じにはできたかな、と思います。

リクエストありがとうございました。


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あきゅろす。
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