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「やれやれ」
 暫くの間他愛もない世間話をして、そうして保健室を後にする弘夢の後ろ姿を『人好きのする』と評価の高い笑顔と共に見送ってから。巧は小さくそう零す。
「ホント、あそこまで自覚がないのもどうかと思うけどね」
 呟きながら、机の上に残されたコーヒーカップを手に取って立ち上がった。
 はたして彼は気がついているのだろうか。
 此処でこんな風にコーヒーを飲んで帰って行くような人間が、彼以外にこの学園内に居ないという事を。
 別に禁じられているわけではない。ただ単に、自分が誘わないだけだ。誘われないのに、此処で長居をしようというような輩が学園内に居ないという事は、巧にとっては幸いな事だった。
 他人に干渉される時間は少ないに越した事はない。そう思っている。だから用事があればこちらから出向き、終われば早々に引き上げる、そう云ったスタンスをもうずっと保ってきたのだ。
 だからこそ彼−長峰弘夢は例外も例外、むしろ特別といっていいだろう。
 いや、自分からそう仕向けたと言ってもいい。
 彼が此処に赴任してきてから半年。ようやく巡ってきた好機が、志田幸治のあの捻挫騒ぎだった。
 煩わしいと思って憚りなかった姉の婚約者との対面も、あの騒ぎのお陰で大歓迎の出来事となり、普段ないほど愛想の良かった巧に、姉も母親もどういった風の吹き回しかと気味悪がったほどだ。
 そして、それが今に至るまでの大きな好機となった。
 無論、予想外の障害も待ちかまえてはいたけれど。
 まさかきっかけとなってくれた志田幸治が、ああまで自分を警戒してくるとは思ってもみなかった。いや警戒というより、むしろ敵視に近いかもしれない。
「あれは初恋が実は、ってところかな」
 クックッと喉の奥で笑いを零しながら、洗い終わったカップを棚にしまうと、巧は煙草を片手に保健室を出る。
 従兄弟とはいえ歳があれだけ離れていれば、あながちあり得ない事ではない想像だろうな、と考えながら。だからこそ彼は、自分の行動の裏に気付けたのだろう。
 まあだからといって、引き下がるつもりなど毛頭あろうはずもない。
 だいたいにして一番の難敵は、弘夢本人に他ならないのだから。
「あれはある意味貴重だよなぁ」
 あれだけの美形−いや正確に言えば美人か−が、今の今まで誰の手にも落ちていないなどと、ほとんど奇跡に近い。
 本人にしてみればきっと不本意だろうけれど、おそらく幸治が言った事−鈍すぎてあらゆるアプローチをスルーしてきたという見解は、きっと正しい。
 現に。
 巧の行動を露とも疑っている気配がないのだから。
「建前と本音」
 小さく呟いて、巧は苦笑する。漂う煙草の煙を目で追いながら。
 興味があるのは本当。人間的に興味があると言ったのも、嘘ではない。但し『彼らの思うような感情』を否定したのは、建前上だ。
 そういった意味で、巧は彼に興味を持っている。
「興味っていうか」
 もう完全に捕まってしまっているようなものだけれど。
 内心で呟きながら、煙草の灰を携帯していた灰皿の中に落とし込む。
「そう言えば」
 長峰センセは嫌煙者なのか確認しなくちゃなぁ、等と考える。
 保健室内で喫煙出来る筈もなく、かといって保健室以外で彼と一緒になった事は今の所ない。彼が喫煙者だという話は聞かないので、おそらく吸う人ではないのだろうけれど、問題は嫌煙か否かという事だ。
 そこまで考えて。
 彼が嫌がるのならば禁煙までをも視野に入れようとしている自分自身の思考に、巧は笑う。
「まったく」
 希有な存在だよ、本当に。
 胸中でそう呟きながら、巧は煙草の火をもみ消すと、己の仕事場へと戻るのだった。





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あきゅろす。
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