前夜
学園祭前日。
フード班は明日に備え、第二調理室でケーキを作っている。普段ならもう、寮に帰っている時間だ。
オーブンをフル稼働させる調理室は、蒸し暑い。着ていたセーターは、とっくの前に丸めて床に投げた。絞り袋を固定する手で、時々額の汗を拭う。
「チケット、割と捌けてるらしいよー」
「じゃあいっぱい作らなきゃな! 数増やす?」
「馬鹿、材料ねぇよ」
スポンジの土台にマロンクリームを飾り付け、てっぺんにホイップを糊代わりに栗を載せて仕上げていく。少しでも歪んだら、的井の笑顔………もとい鉄拳が飛んでくるから、油断出来ない。
昨日で生徒会の仕事も終わり、あとはクラスの役割に専念出来る。準備期間はあんまり協力出来なかったから、せめて当日は頑張りたい。
昨日、俺は普通に話せてただろうか。きっと不自然じゃなかったよな。
大丈夫。もう大丈夫、司と紫先輩と近江先輩と大倉先輩と、皆で楽しくやっていける。気まずいのも、悩むのも嫌だ。楽しいのが好い。司とのことを考えてると、頭がぐちゃぐちゃになる。何も考えなければ司とも、皆とも楽しくやってけるんだ。
難しいことを悩むのは、いい。
「市川?」
「ほぎゃう!!」
いつの間にか意識が飛んでいたらしい、気づくと的井の顔が目の前にあって、俺は飛び上がった。
「いやいやいや俺集中してたから!!大丈夫平気!!」
「そんなアメコミみたいな声出されても……てか、それは売れないな」
それ、と指されたのは、俺がデコレーションしていたモンブランだ。見ればマロンクリームがうず高く、通常の倍以上の高さを誇っていた。
「あーっとこれは、その」
「市川………疲れてる?」
「へっ!?」
顔にパイ投げられるくらいの仕打ちは覚悟していた。が、飛んできたのはパイではなく労いの言葉で、拍子抜けしてしまう。
「生徒会の仕事とか忙しかったみたいだし」
「あー平気平気! 悪い的井、ちょっと考え事してた」
ごめーんね、と付き合いたてのカップルよろしく頬を突くと、的井はニヤリと笑って「こいつぅ」とノッてくれた。いいやつだ。
「おい的井!俺が我慢してんのにイチャこくなちくしょう!!」
教室の端から、舞原の悲痛な叫び声が聞こえてきた。フルーツタルトの装飾、という作業を数時間繰り返してきた舞原は、何となくやつれたように思える。しかし、何でフリフリエプロンをチョイスしたんだろうか。もっと皆みたく紺とか、無難な感じにすればいいのに。
「はいよ。タルト進んでる?」
「お前タルト焼きすぎ!! 終わんねぇわ!!」
世話が焼ける、とため息を吐き、的井は舞原の方へ行ってしまう。
さて、このモンブランはどうしよう。
「食べちゃえば?」
生クリームを泡立てながら、有坂は気のない風に言った。エプロンは蜂蜜大好きな某熊さんだ。
「どうせ使い物にならないし」
「あ……じゃあ木崎にあげていいかな」
昨日、元気なさそうだったし。
俺が言うと、有坂はハンドミキサーを止めて目をぱちくりとさせる。
「いいと思うけど……。北斗に見つかったら死ぬと思った方がいいよ、最近機嫌悪いから」
「………頑張る」
キョロキョロと調理室を見渡す。皆作業に集中していて、俺たちの方は見ていない。
「チクんなよ」とこっそり言えば、「指摘されたら答えるよ」と不穏な返答が来た。む、権力に寝返る気なのか、有坂は。
とにかくチャンスは今しかないと、近くにあったプラスチックスプーンをモンブランに突き刺した。てっぺんに栗がないことに気づいて、それも追加する。
廊下に出ると、他クラス他学年の生徒もまだ校内に残っているようだった。人波をかわしながら、渦を巻くモンブランが崩れないように、明日使用する教室へと走る。
こうして準備期間は過ぎ、ようやく学園祭を迎える。
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